(六)
翌日、善十郎は氏理から呼ばれて帷幕に向かうと、周囲には数頭の馬が集められていた。何があったのかと大和守に尋ねてみたが、おのれで聞いてみろとばかりに、中へ向かって顎をしゃくるだけだった。
仕方なく、善十郎と氏行は帷幕に入った。すると氏理は、伝来の革威に身を固めて待っていた。
「これより富山城へ向かう。内蔵助どのに会うて、存念を慥かめてくるつもりじゃ」
「さようですか……ずいぶんと急でございますな」
「まあの。されど敵が集結してしまえば、文の遣り取りさえ難しくなるのでな。会うなら今のうちであろう」
そう頷いて、氏理は重たげな音を立てながら歩み寄ってきた。そうして氏行の前に立ち、睨むように見つめる。
「孫次郎。おぬしと馬廻を護衛とする。付いて参れ」
おそらく喜ぶであろうと思って言った言葉だったのだろう。されど息子の反応が煮え切らないものだったので、氏理の表情は訝しげに曇った。そうして、どうしたのだと言いたげに善十郎に目を向けてくる。応えは小さく首を振るだけにとどめた。
氏行は昨日羽柴の大軍勢を目の当たりにして以来、すっかり口数が少なくなっていた。おのれらが置かれている状況をようやっと理解して、怖気に囚われてしまったのか。されどこれも、必要な過程と思うしかなかった。この若殿は一介の兵ではないのだ。いざ戦という段になっては、決して怖じたところを見せてはならぬ立場である。ならば本格的に戦がはじまる前に、その壁を乗り越えておかねば。
「不服か、孫次郎?」
「……いえ」と首を振り、氏行は顔を上げた。「この命に替えましても、父上をお守りいたします」
その答えに、氏理は満足げに「……うむ」と頷いた。もっともまだ戦ははじまっていない。そこまで気負うこともなかった。
栃波から富山へはさほどの距離はなかったが、神通川沿いを大きく迂回して向かわねばならないため、半日がかりの行程となった。それでも羽柴方の斥候と行き合うこともなく、夕刻前には城下に入ることができた。
富山の城下は以前にも増して張り詰めた空気が漂っていた。目につくのは明らかに牢人と見ゆる者ばかりで、商家はみな鎧戸を閉め切っている。元からいた町人たちは、すでに難を避けて城下をあとにしたのであろう。せいぜいが商魂逞しい者たちが、露天に出て品を並べているのをぽつぽつと見かける程度であった。
大手門まで着くと、馬を降りて番兵に名を告げた。此度の訪問については、すでに文で知らせてあるはずであったが、確認のためにしばらく待たされることとなった。そうして半刻ほど経って、ようやく門が開いた。
二の丸で馬を繋ぐと、天守へと向かう氏理と氏行を見送ろうと、善十郎は深く頭を下げた。
「それでは、我らはここにてお待ちしております」
されど氏理は「……いや」と首を振る。「善十郎、おぬしも来てはくれぬか」
そうしてちらりと、傍の氏行へと目をやった。相変わらず塞いでいるかに見える嫡男が気になっていたのであろう。
「よろしいのですか?」
「構わぬ。孫次郎も固くなっているようじゃ。おぬしが共にいてくれれば心強かろう」
そういうことであれば、と善十郎は同意した。そして現れた小姓に先導され、三人で天守へと上がって行った。
会所に通されると、そう待たされることもなく足音が近付いてきた。ゆっくりとして静かな足運びで、耳を澄まさねばそれとは気付かないほどだった。そうして襖が開き、一同は深く平伏する。
「頭を上げてくれ、兵庫どの」野太く、されど穏やかな声が言った。「我らは主従ではない。対等の盟を結んでおったのではなかったか?」
「さようでございました」と、氏理が答えた。合わせて、善十郎も顔を上げる。そうして目の前に座る男をあらためて見た。
富山城主・佐々内蔵助成政。尾張の土豪・佐々成宗の子として生まれ、家督を継いだのちに織田家に仕える。やがて馬廻から戦功を重ね、信長の黒母衣衆のひとりに抜擢されると、主に鉄砲隊を率いて各地を転戦した。あの設楽原の戦でも、前田又左衛門や野々村三十郎とともに鉄砲隊を率いていたゆえ、善十郎とも照星を挟んで相見えていたいたかもしれなかった。
その後柴田修理の寄騎として北陸に赴くと、一向一揆平定や対上杉戦に功をなし、天正九年に越中半国を与えられて富山城主となる。そして本能寺の変で信長が死したのち、柳ケ瀬の戦では柴田方についたものの、直截戦闘には加わらなかったことで赦免されて今に至る。
その体躯は六尺にも届こうかという大身と聞いていたが、まさにその通りであった。黒々と雪焼けした顔は、やはりあの真冬の立山越えがまことであったことの証左か。されど瞳は奇妙に穏やかで、眼前に座る氏理に向けられているのに、どこか遠くを眺め見ているかのようだった。そのせいか威圧感もなく、存在すらどこか希薄に感じられた。
「よう来てくださった。魚津での戦以来かの」
「さようですな。内蔵助どのもお変わりないようで、何よりでござる」
「この面を見てもさように申すとは、兵庫どのもなかなか太いお方よ」
成政がうっすらと浮いた顎髭を摩りながら笑った。氏理が平然と冗談を言えるのも、この城主が纏っている奇妙に穏やかな空気ゆえであろう。先ほどまで顔を強張らせていた氏行も、おかげで少しはほぐれたようだった。




