(四)
突如現れた敵に、城内は忽ち大混乱に陥っていた。主郭内では次々に焙烙が弾け、続けざまに火柱が上がる。得物を持たぬ負傷兵や逃げ込んできていた民たちが逃げ惑い、腰曲輪から戻ってきた兵たちも身動きが取れずにいた。
「怯むな、敵は小勢に過ぎぬ!」
坑道はせいぜい人ひとりが通れるほどの広さしかなく、ゆえに侵入してきたとしてもさほどの数ではないはず。氏信は炸裂音に負けじと大声を張り上げながら、炎の中に飛び込んで行った。そこへ鉢合わせるように飛び出してきた兵を、咄嗟に槍を振るって串刺しにする。
斃した対手の顔に見覚えはなく、敵兵で間違いなかった。鎧は身に着けておらず、せいぜい額金をしている程度だ。おそらく戦闘は想定しておらず、工作のためだけに侵入してきた間者であろう。負傷兵に紛れて外へ逃れようとしていたのか。氏信は素早く槍を引き抜くと、続けざまに現れたもうひとりを叩き伏せた。
そうしてさらに潜んでいる敵を探さんと踏み出しかけて、火の勢いに煽られてたたらを踏んだ。これ以上は必要ない。もしもまだ残りがいたとしても、おのれが放った火に巻かれて、身動きも取れぬまま果てることであろう。
そのときになってようやく、氏信はかすかなうめき声が聞こえてくることに気付いた。火の中に、逃げ遅れた者たちがまだ残っているらしい。追い付いてきた兵たちが、それを救い出さんと果敢に飛び込んで行く。
されどすでに火は手のつけようがなかった。氏信は「……やめよ」と兵たちを手で制す。
「もはや手遅れよ。おぬしらも無理はするでない。死人を増やすのみぞ」
口惜しげに唇を噛み締める兵たちを促し、燃え盛る主郭から外へ出た。そうして曲輪を見渡すと、戦況は一変していた。動揺は兵全体に広がり、そこかしこに綻びが出はじめている。
特に御手洗川に面した西側がまずい。主郭を守るために兵を割いたため、今度はそちらが手薄になってしまっているのだ。攻め寄せる金森勢を押し止めることができずに、徐々に侵入を許しつつあった。
氏綱は戻ってきた城主に駆け寄ると、兜をぶつけるほどの距離で問うた。「侵入してきた敵はどうした。数は?」
されど氏信はその問いには答えず、沈痛な表情で首を振る。
「もはやこれまでのようだ。おぬしは今のうちに、手勢を連れて引き上げよ」
「何を申す!」氏綱がその鎧を叩いて声を上げた。「まだ立て直しはきくぞ。鉄砲衆を御手洗口に回す。それで押し戻せるはず……」
「無理よ。おそらくそろそろ玉薬も尽きるであろう」
先ほどまでの豪放さは消え、どこか諦めさえ滲ませた静かな声で氏信は言った。
「立て直すのであれば、一旦は引くしかないわ。今ならまだ、裏手から山道へと抜けられよう」
氏綱はもう一度、ぐるりと上から曲輪を見渡した。慥かに戦況は苦しい。なんとか持ち堪えている東側も、いったいいつまで保つか。味方の筒音ももう聞こえない。氏信の言う通り、もはや弾も火薬も尽きたのやもしれぬ。
「わかった。やむを得まい」
「金堀衆のことも頼むぞ。あれは兵ではないのだ。できる限り逃がしてやりたい」
「頼む……とは。おぬしはどうするのだ」
「わしは残るしかないであろう。身内の不始末は、おのれで拭わねばな」
氏信は有無を言わさぬ声音でそう言うと、振り返っておのが子を探した。「右近、どこにおる!」
「何でございましょう、父上」すぐに駆け寄ってきた右近が、氏信の前に膝をついた。
「おぬしも行け。以後は、そこな備前守の下知に従うのじゃ」
右近ははっとして顔を上げた。信じられぬとでも言いたげに。きっとおのれは最後まで、父とともに戦えると思っていたのであろう。
「それはならぬぞ、備中」氏綱はなおも詰め寄った。「この向牧戸が落ちたとて、まだ終わりではない。金森の兵は赤谷で必ず食い止める。おぬしはそのためにも必要な男じゃ。ここで死なせるわけにはゆかぬ」
右近も「さようでございます、ともに参りましょう」と口を揃える。まるですがりつくような目で。されど氏信はどこか晴れやかにも見える顔で首を振り、ふたりに背を向けた。
「先ほどの乱波よ。おるのであろう?」
その声と同時に、闇の中から蔦が進み出てきた。まるで今までもずっとそこにいたかのように、まったき自然に。されどいつもは能面のように無表情か、あるいは嘲るように冷たい笑みを浮かべているかでしかなかったその顔に、何やら不機嫌そうな色が浮かんでいた。
「その者らを無事にここから連れ出すよう命ずる。良いか、尾上備前は我らが要。決して死なせるでないぞ!」
氏信は背を向けたまま、声高らかにそう命じた。されど蔦はむっつりと唇を横一文字に結んだまま、すぐには応えを返さなかった。
「どうした、聞こえなかったのか!」
返事がないことを訝ったのか、氏信は肩越しに振り返る。それを太々しく睨み返して、蔦はふんと鼻を鳴らして短く答えた。
「断る」
「何だと……?」
「断ると申したのよ。聞こえなかったのか?」どこかうんざりしたような声で、女は続ける。「尾上さまのことはお守りしよう。それが旦那さまの頼みであるゆえな。だが、おぬしごときの命に従うなど真っ平御免じゃ」
突然の無礼な物言いに、みながここが戦場であることも忘れて凍り付いた。呆気にとられて咎めることもできず、ただまじまじと女を見つめるしかできなかった。
「……尾上さま。行けと申しておるのですから、さっさと参りましょう。死にたがりはさっさと死なせてやればよろしい。かような臆病者、いたところでものの役にも立ちますまい」
「おっ……臆病者、とな……?」
氏信はみるみる顔を紅潮させ、蟀谷を細かく震わせる。そんな様子も屁とも思わぬのか、女は氷の如き口調で続けた。
「この者は恐いのでございますよ。これからおのれが目の当たりにする困難がわかっていて、それと真正面から向き合うのが恐ろしくて仕方ないのです。ゆえにそれをすべて貴方さまに押し付けて、おのれはいち抜けしようというわけですな。情けない限りじゃ」
「こっ、この乱波風情が……無礼にも程があろう!」
「違うとでも申すつもりか?」
女の両の瞳が、ようやく氏信に向いた。ふたつの昏き陥穽のようでいて、その奥に激しく燃える何かを覗き見たのか、家中きっての槍上手が、怯んだかのように言葉を詰まらせる。
「おぬっ……おぬしごときに、何がわかる。ことここに及んでは、それ以外にできることなどなかろうがっ!」
それでも呪縛を振り払うように、氏信は吠えた。されどそれはもはや、地団駄を踏んで駄々を捏ねる童にしか見えなかった。
「父上……おやめください。この方の申される通りにございます!」
「うるさいっ……おぬしも、おぬしらにも、何がわかるというのだっ!」
最後にそうすべてを拒絶するように叫ぶと、氏信は再び槍を手に取って、本丸から駆け下りて行った。そうして乱戦となりつつある西側の腰曲輪へ、獣じみた雄叫びをあげながら飛び込んで行く。
「備中!」
「父上っ!」
氏綱と右近が同時に叫んだ。されど氏信はもう止まらなかった。そのずんぐりとした体は、すぐに入り乱れる兵の群れに隠れて見えなくなってしまう。
それを追って駆け出そうとした右近の腕を、気が付くと女が掴んで引き止めていた。その力は思いの外強く、簡単に振り解けそうにはなかった。
「離してくだされ。父上が……!」
「無駄にございましょう」と、蔦は無情に言い切った。「あれは病にございます。この乱世に蔓延り、付ける薬もあり申さぬ。さような、質の悪い病にございますれば」
蔦はそう言って、未だ夜明けには遠い天蓋を見上げた。氏綱もその視線の先を追って目を上げる。星ひとつ見えぬ漆黒に、火の粉だけがゆっくりと舞い上がってゆく。まるで蛍の如く。それは地上の狂奔が嘘のような静かな情景であった。
「参りましょう」
なおも淡々とした冷たい声で、蔦は言った。




