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浮雲の賦  作者: 神尾 宥人
第三章 風雲
34/59

(十六)

 金森勢が渡河を開始したのは早暁(そうぎょう)、東の空に白山の稜線がぼんやりと浮かび上がってきた頃のことであった。まずは先頭、十数名ほどの徒士が水に入り、その深さを慥かめるようにゆっくりと進んでくる。

 氏綱は対岸の森の中に隠れて、それを窺っていた。明るくなる前に動き出してくれたのは助かった。これならまだ、こちらの動きは気取られておらぬであろう。

 何しろ此方は鉄砲衆が三十、弓衆三十、それらを守る徒士が二十いるだけである。射手にはひとりずつ装填手が付いているが、かの者らは兵とは呼べない。近郷の村からかき集めた者たちで、まだ年端もゆかぬ童や女子もいるのだ。

「……まだよ。まだ……」

 隣の木の陰では、火縄を構えた三島左門が息を詰めていた。そのうしろには、かの者が装填手として目を掛けている童、巳代吉が控えている。これがはじめての実戦とあってか、顔も蒼白く、身も細かに震えていた。

「もっと引き付けるのじゃ……もっと」

 ひとり言のように繰り返しながら、左門は氏綱の下知を待っている。眼下の河原には、渡り終えた兵たちが徐々に集結しはじめていた。その数、五十から六十といったところか。その向こうにはなおも、続々と鎧武者たちが水を掻き分けて進んでくる。

「撃てぇっ!」

 頃合いと見て、氏綱が号令を掛けた。すぐさま響き渡った筒音が、その声の残響をかき消す。さすが左門らの腕は慥かで、河原の兵の幾人かがのけ反って倒れ伏すのが見えた。あとの者たちも慌てたように散らばりながら、対岸へ戻らんと水中へ飛び込んでゆく。

 一斉射撃を終えるや否や、左門が走り出した。そうして三本ほど離れた木の影にまた身を隠すと、装填手の童に火縄を手渡す。他の者たちも同様に森の中を走り回り、その間に今度は弓隊が撃ち掛ける。

「動くのじゃ、動き回れ。小勢と覚られるな!」

 ようやく川向うから、応射が返ってきた。されど距離があるため、当たるとも思えない。

「休むなっ、絶えず撃ち掛けよ!」

 装填を終えた鉄砲衆が、まだ渡河中の者たちへと向けて一斉に放つ。再びばたばたと、水しぶきを上げて兵たちが倒れていった。弓隊もまた同様に素早く移動し、次の位置に着いて矢を|番≪つが≫える。

 攻防は半刻ほど続いた。そして太陽が稜線の上に顔を出し、水面を明るく照らし出しはじめた頃には、もう川のこちら側に動くものはなかった。金森勢はひとまず陣を立て直し、対岸に集結していた。

「どうする……まだ来るか?」

 ひとまず奇襲は成功したが、まだまだ数では圧倒的な差があった。こう明るくなってしまえば、こちらの全容もすぐに露わになってしまう。犠牲を覚悟で無理押しされればひとたまりもなかった。金森勢が再び渡河を開始するようであれば、速やかに赤谷の城まで後退するしかない。

 睨み合いはそれからたっぷり一刻以上続いた。そうして午少し前になって、金森勢が動いた。撤退を開始したのだ。

「おそらく向こうからも、赤谷の城が見えたのであろうな。落とすには骨が折れると踏んだのか」

 されどもちろん、これで終わりではない。態勢を整えたら、かの者らは必ずまたやって来る。まことの戦はむしろこれからであろう。次は敵も油断することなく、十全の準備を整えた上で攻め来るはず。

「こちらも城に退くぞ。童らを労ってやれ」

 左門は小さく頷くと、傍らの巳代吉の頭をやや乱暴に撫でた。そして兵たちを集め、河原のあと始末をはじめる。

 鎧や兜は剥ぎ取って集め、(むくろ)は水を被らない場所に並べてゆく。そしてあとで荷車を用意し、中野の照蓮寺へと運ぶのだ。それが、この地の戦のならいであった。

 

 

 氏綱の懸念はすぐに現実のものとなった。赤谷に戻ると間もなく、郡上に忍ばせていた房からの知らせが届いたのだ。

 金森家とともに羽柴に降っていた、遠藤家が動いた。当主左馬助慶隆はすでに富山へ出兵していたが、留守居であった小八郎胤直が総大将となり、五百の兵を率いて郡上を発ったという。そうして金森麾下の長屋喜三(のちの法印素玄養子・金森出雲守可重)の軍勢とともに、向牧戸城を望む二つ屋口へと向かっている。一度は退いた本隊もそれに合流するのであれば、おそらく総勢は実に三千にまで膨れ上がるであろうと思われた。

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