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浮雲の賦  作者: 神尾 宥人
第三章 風雲
29/59

(十一)

 翌日に荻町城に着くと、大和守時慶の率いる百の勢と合流する。さらに二日のちには越中に入り、栃波(となみ)郷の上見(うえみ)城で篠村太左衛門の百が加わると、いよいよ此度の外征の兵がすべて揃った。

 上見城は近郷の集落を丸ごと堀の中に取り込んだ、いわゆる惣構(そうがま)えの城である。また米や粟などの収穫も多いため、領地のほとんどが峻厳な高地である内ヶ島家にとっては、貴重な兵糧の供給地でもあった。そこで氏理はひとまずはここに留まり、間もなくはじまる収穫を待って兵糧を蓄えることとしたようだ。同時に情勢を探り、今後の指針を練る必要もあった。

 帷幕の中では今まさに氏理と、この外征における脇大将である大和守時慶による軍議が行われている。それに篠村太左衛門を含めた三人の他は人払いされ、氏行ですら中には入ることが許されていなかった。夕刻からはじまった軍議は、すっかり夜も更けてなお続いている。

「なぜ、すぐにも出立せぬのだ。富山城は大きな城なのであろう。兵糧など、向こうでどうとでもなるではないか」

 その氏行はここでの足止めが不満なようで、苛立ちを露わにそうぼやいていた。宥めるのはやはり、荻町城で合流した半三郎氏勝である。

「さようなわけにも参らぬでしょう。聞けば佐々どのの元にはなおも牢人が集まり、すでに二万余に達しているとのこと。それではいかな米どころ越中とはいえ、兵糧も逼迫しておられるのではないでしょうか。我らの分は我らで調達せねば、先方にご迷惑がかかるまする」

「だが、こうしているうちに羽柴が動いたらどうするのじゃ。戦は呑気に待ってなどくれぬぞ」

「若殿、富山はもう目と鼻の先にございます。関白が京を出たと知らせが来てから動いても、遅くはありませぬ」

 氏行はまだ得心がゆかぬと言いたげに目を向けてきた。とはいえ善十郎としても、「山下どのの申される通りかと」と答えるしかなかった。戦がはじまるまで、まだしばらくは間があるはず。おそらくは月が明けて八月に入ってからだ。

 氏理としては、この若衆たちのことも考えての足止めかもしれない。多くの牢人たちが集まった富山城下は、いつかの様子よりもさらに殺伐としているであろう。ほとんど初陣も同然の者たちが、気の立った破落戸のつまらぬ諍いに巻き込まれても堪らない。また諍いを起こさぬまでも、空気に当てられて疲弊してしまうことだってある。ならばまだ今しばらくは、慣れた土地で英気を養っておいたほうが良い。

「ともかく、じっとしておれぬわ。半三郎、久しぶりに槍で仕合うのはどうじゃ!」

 氏行はそう言って立ち上がったが、声を掛けた旧友にはにべもなく断られてしまう。

「某は槍は不得手なれば。それに、若殿の憂さ晴らしに付き合わされるのも真っ平にございます」

「変わらぬの、おぬしは」

 (へりくだ)っているのは上辺だけ。歯に絹着せぬ物言いでも角が立たないのは、幼き頃から互いを知っている気安さからか。旧友のそんな様子に氏行も少しは気も晴れたようで、表情がふっと緩んだ。

「まあ、よいわ。行くぞ小太郎!」

 傍に控えていた長瀬小太郎は、名を呼ばれて慌てて「はいっ!」と立ち上がる。そうして小走りに、若き主君のあとをついていった。

「あ奴も大変ですのう、落ち着かぬ主を持って」

 半三郎は苦笑しながら、善十郎に向かって言った。そうは言っても、あれはあれでよい主従なのだ。氏行も小太郎のことは特に可愛がり、気遣ってもいる。

「ところで飯島さま。此度の戦、どのように推移すると思われまするか」

 不意に真顔に戻った半三郎が、わずかに声を落として尋ねてきた。とはいえ、善十郎には何とも言えない。ただ多勢に無勢で押し潰されるのみ、などと率直に答えるわけもなかろう。

「さて……某には何とも。むしろ山下どのの読みをお聞きしたいですな」

「さようですね……」と、半三郎はしばし思案する。そのときになって善十郎は、問いを返したことを後悔した。頭のいいこの若者のこと、此度の戦が絶望的であることなど、とっくにわかっているかもしれなかった。

 されど半三郎は暗い表情も見せず、いつもの淡々とした口調で答えてきた。

「富山城は神通(じんつう)川の中州に築かれた、浮城とも呼ばれる堅城にございます。そう簡単に落ちるとも思えませぬ。また鉄砲もかなりの数を揃えているようにございますので、無理押しすれば攻め手もかなりの痛手を負うことでしょう」

 善十郎もついつい「……ふむ」と聞き入った。さすがはかつて神童とも謳われた若者である。さらに冷静な分析を続ける。

「関白どのも名うての城攻め上手、ゆえにあたら兵を失うような真似はいたしますまい。播州三木城、因幡鳥取城、備前高松城。いずれも大軍で城を取り囲み、兵糧攻めにて落城せしめましてございます」

「此度も、同じようにいたすと申されまするか?」

 半三郎は「いかにも」と頷く。「徳川とは和議を結び、紀州、四国を平らげたとあらば、関白どのもさほど急ぐこともないかと。むしろここで味方に痛手を負えば、それが次の火種になりかねません」

 長久手の戦で露わになったのは、羽柴方も決して一枚岩ではないという弱味であった。織田恩顧の大名たちも、まだ心から関白秀吉を主と認めているわけではない。かの者のために命まで投げ出す者が、はたしてどれだけいようか。

「よって我らは城内に入ったところで、助けにならぬどころか、貴重な兵糧を食い潰す厄介者となることでしょう。むしろ城外で兵糧を調達し、それを運び込む算段を立てるべきかと」

 慥かにそれができれば、此方のような小勢であっても大きな力となろう。問題はそれを運び込めるような隙が、羽柴の包囲陣にあるかどうかであった。こんなことならあの女を連れてきておくべきであったかという後悔が、ふっと善十郎の頭を過る。

「関白が動員した兵は、七万とも十万とも聞いております。それだけの兵で城を囲めば、まさに蟻の這い出る隙もありますまい」

「そこで考えたのです」と、半三郎が身を乗り出した。「白川より金堀衆を呼び寄せ、城内に通じる坑道を掘らせてはいかがでしょう。慥かに荷駄が通れるほどの穴となれば手間はかかりましょうが、今からはじめればまだ間に合うはず」

「面白きことを考えますな、山下どのは」善十郎は直に感心し、唸った。「されどそれには、神通川の下を通すことになります。地盤も緩いでしょうし、水も漏れ出ましょう……はたして可能ですかな」

 すると半三郎はふっと笑みを浮かべ、何か秘め事を明かすかのように声を落とした。

「実は内ヶ島にも、同様の仕掛けを施した城があるのですよ。我が荻町城ではありませぬが。ゆえ、できぬことではないと心得まする」

「それは……やはり、帰雲城でございますか?」

 もしも庄川の下を潜り、帰雲館と城を結ぶ坑道が掘られているのだとすれば。あり得ぬことではなかった。それならば、万一城下に敵の侵入を許したとしても、民を速やかに城内へと逃げ込ませることができよう。また川を越えて城攻めを仕掛ける敵の背後に、伏兵を差し向けることも容易だ。敵に知られれば侵入口とされる危険もあるが、完全に秘匿さえされていれば有効な防御策としても機能するはずだった。

「どの城とは申し上げられませぬ。知りたくば、飯島さまももっと偉くなってくだされ」

 これ以上は、一兵卒に過ぎぬおのれには教えられぬということか。それも無理はない、と引き下がるしかなかった。

 そのとき背後の闇の中に、何かの気配を感じた。振り返ると、いつからいたのか女がひとり跪いている。蔦ではなかったが、その顔に覚えはあった。慥かあの女が手懐けていた、阿通の方の侍女のひとりだ。

「何ごとだ?」

 声を殺して尋ねると、女が顔を上げて答えた。

「金森法印が動きました。兵千五百を率い、越前大野から尾上川沿いに下ってきています」

 善十郎は「……そうか」と頷いた。別に驚くようなことではない。おそらくは来ると予測していたことだ。

「すでに備前守さまが手勢を連れて、赤谷城へ向かっております。敵はおそらく岩瀬橋を渡ると思われますので、そこで迎え撃つおつもりかと」

「殿にはそれを?」

「お伝えいたしました。殿は、備前守さまを信じておられるようで」

 慥かに、今はそれしかないであろう。あとは向牧戸城の川尻備中守もいる。小勢であっても、かのふたりであればそう簡単に抜かれはすまい。

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