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浮雲の賦  作者: 神尾 宥人
第三章 風雲
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(三)

 それからふた月ほどが過ぎた十一月、善十郎の言った通り、戦の流れは突如として大きく動くこととなる。

 その日も城下へ出た蔦は、道端の露店を冷やかして歩いていた。風もいつの間にか刺すほどに冷たくなり、誰もが背を丸めて歩いている。それでも帰雲の城下は、いつになくひときわ賑わっていた。やがて雪に閉ざされば、この街道も行き来できなくなるゆえだ。誰もがその冬を越すための準備に余念がなく、すなわち商人たちにとってもかき入れどきなのだ。

 商家の前にはずらりと行列ができ、道端に並んだ露店の前も人だかりができている。その中に、ぽつりと人垣が途切れている場所があった。座っているのは、薄汚い身形の干魚売りがひとり。誰も足を止めないのは、並べている品が貧相なためであろう。されど蔦はあえて、その前に立ち止まった。

「お久しゅうございます、甚太郎さま」

 干魚売りの男が、こちらにのみ聞こえる声で言った。蔦は応えを返さず、永楽銭を一枚投げて渡す。男はにやりと笑みを浮かべ、釣りとして悪銭を二枚返してきた。そうして男は永楽銭を大事そうに懐へ納めると、売り品を選ぶ振りをして顔を伏せた。

「三介が、鼠と手打ちをいたしました」

 その知らせには、さすがに蔦も「……何と」と言葉を失った。あまりに予想外でもあったからだ。戦のそもそもの発端、織田三介信雄と筑前守秀吉が、いきなり和を結んだということだ。

「伊賀と伊勢、それぞれ半国。代わりに三介は権大納言の宣下を受けるとのこと。それで鼠も了解したそうにございます。合わせて、間もなく徳川さまも兵を引かれますとか」

「愚かな……勝てぬ戦でもなかったであろうに」

「されど、決め手を欠いていたこともまた慥か。いつまでも睨み合いを続けるわけにもいかなかったことでしょう」

 慥かに総兵力は、徳川方の三万に対して羽柴方十万と、圧倒的な差があった。それでも最も大きな兵のぶつかり合いとなった長久手の合戦では、徳川方が大勝している。三河守家康の用兵や見事、以来羽柴方は迂闊に手を出せずにいると聞いていた。

 ただし全面衝突となれば、兵力の差で圧し潰されることは必至、仕掛けるに仕掛けられずにいたのは徳川も同じだったということか。あるいは十万の兵を日の本中に展開させながら、綻びを見せずにいる羽柴の体力にも恐れをなしたのか。

「なるほどの……して、戦は終いか」

 尋ねるでもなくそう漏らすと、男はひひっと笑って「はて、さて……それは、まだ何とも」と答える。

 なるほど、と蔦はまた小さく頷いた。信雄にとっての戦は終わりでも、秀吉にとっては違うわけだ。これもまた、戦における布石のひとつ。そもそもの大義を失わせ、包囲網の中でもっとも手強い徳川を退場させる。そうしてこれから各地に散らばる敵を、ひとつずつ潰してゆくつもりか。

 雑賀、長宗我部、北条、佐々。どれも個別に戦えば、とてもではないが羽柴の敵ではない。あるいはそれこそが、この戦のそもそもの狙いであったか。徳川と決着を付けるつもりなど最初からなく、いたずらに戦を長引かせて各地で火種となりそうな勢力を炙り出し、ひとつずつ叩いてゆくことこそが。

「それでどうなさりまするか、甚太郎さま」

「どう、とは?」

「徳川さまはずいぶんと興味を示されております。まだ、我らとともに来ていただく気にはなれませぬか」

 何を申すと思えば。蔦はうっすらと笑いながら、一度だけ首を横に振った。

「まさか、佐々ごときと心中するおつもりか」

「そんな気はさらさらないわ。佐々になぞ、何の義理もない」

 万にひとつも佐々方に勝ち目はない。それは蔦にもわかっていた。先の末森城攻めも圧倒的な兵力差をもってして、とうとう城を落とすには至らなかった。それはもちろん前田勢の奮闘もあってのことだが、佐々の大軍が寄せ集めのため統制を欠いたという要因も大きい。そんな張りぼての軍勢で、どうやって城攻め巧者の筑前守に立ち向かえるというのか。

 蔦は「されど……」と言いかけて、ついと顔を上げた。すっきりと晴れ上がった晩秋の空。されど西のほうの一角に、すでに重い雪雲が迫りつつあった。

「……されど?」

「だからこそ、よ。これからが面白きところでな」

 そう言い残して、蔦はくるりと背を向けた。その口元にはずっと、堪え切れない笑みが浮かんでいた。

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