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浮雲の賦  作者: 神尾 宥人
第三章 風雲
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(二)

 翌日、先の大風で傷んだ屋根を修繕していると、不意に「善十郎、何をしておる」と声をかけられた。振り返ると、庭から怪訝そうに見上げてくる孫次郎氏行の姿があった。

「これは若殿、お見苦しいところをお見せしました」

 善十郎は手を止めて、体を起こす。高いところから見下ろすのも失礼かと、急いで梯子を下りた。

「冬に備えて、屋根の手入れをしておりました。先の冬は酷い目に遭いましたからな」

「善十郎もいつまでもかようなあばら家におらず、どこかに屋敷でも建てれば良いのだ。何なら我が屋敷に部屋を与えても良いのだぞ?」

 氏行は呆れたようにため息をつき、幾度も断った話を蒸し返す。この若殿も、今や数えで十四になった。女性的に整った面差しも精悍さを増し、徐々に風格さえ漂わせはじめている。傍らの小太郎も、三十人ほどに増えた馬廻を束ねる立派な武士だ。

 そしてもうひとり、懐かしい顔があった。思わずかつてのように気安く名を呼びそうになって、慌てて飲み込む。

「これは山下どの。お久しゅうございます」

「止めてくださいませ、飯島さま。どうぞかつてのように、半三郎とお呼び捨てくだされ」

 そう言って細面に苦笑を浮かべたのは、山下半三郎氏勝である。一年ほど前に帰雲を離れ、現在は荻町(おぎまち)城にて父・大和守時慶の補佐として辣腕を振るっている。齢十八ながら、すでに内ヶ島家の重臣のひとりと言ってもよかった。今日はおそらく城での合議のため、父時慶に同行して来たのであろう。

「とんでもない。話は聞いておりますぞ、先日の庄川堤(しょうかわづつみ)の修繕の際は、見事な差配ぶりでお父上を唸らせたとか」

「それは多分に、父の手前贔屓でございますよ。それにせっかく教えていただいた槍のほうは、今でも不得手で……お恥ずかしい限りです」

「されど弓のほうでは、なかなかの才を見せたとか。ならばそちらを伸ばしなされ。おのれを守り功を成すには、何かひとつ得手があれば良いのでございます」

 懐かしさについつい舌も滑らかになる。されどこのまま立ち話を続けるわけにもいかず、善十郎は三人を庵の中に迎え入れた。蔦は城下のほうへ出ているので、何のもてなしもできないが仕方がない。

「右近もおればよかったのですが、どうやら牧戸を離れられぬとのこと。備中が不在の間は、あの者が城代にございますゆえ」

「それは若殿もお寂しゅうございますな。されど川尻どのも立派になられたものよ」

「刑部はどうにも頼りないがの。まだまだ、目を離すわけにもいかぬわ」

 そう言って若者たちは目を見合わせ、楽しそうに笑う。右近の弟刑部は、この者らにとっても兄弟のようなものなのであろう。しかしその談笑もつかの間、氏行は不意に真顔になって、善十郎に向き直った。

「ところで、父上より聞いたぞ。今日の合議のこと……内蔵助どのが末森城に攻め込んだというのはまことか」

「はい、どうやら慥かなことのようにございます」

「それでは我らも内蔵助どのに従って、兵を出すことになるのか?」

「さて……今のところ、そうした求めはないようにございます。佐々どのの兵は一万五千、対して末森の城兵は二千足らず。我らの合力などなくとも、城はすぐに落ちましょう」

「じゃが、そのあとはわからぬであろう?」

 末森城は、前田領のちょうど中心、加賀と能登を繋ぐ要所である。ここを成政に抑えられては、領地をふたつに分断されてしまう。それこそ死に物狂いで奪回を図るであろう。

「とうとう、我らもこの大戦に巻き込まれるというわけか。いったいこれからどうなるのであろうの……」

 尾張の戦は長久手で徳川が大勝したのち、互いに手を出せぬまま睨み合いに入っていた。ただし長宗我部が讃岐で、雑賀衆が摂津で羽柴方に攻め入っている。北条は佐竹・宇都宮らと上野にて衝突し、さらに上杉が参陣するとの風聞も流れていた。そこへもってきて、此度の知らせだ。戦線はいよいよ日の本中に広がり、泥沼の様相を見せつつある。

「結局……羽柴筑前に日の本を束ねるだけの力はなかった、ということか」

 氏行が、どこか残念そうに肩を落として言った。しかしそれに、半三郎が口を挟む。

「どうでしょうな。逆にこの窮地を切り抜ければ、いよいよ世は羽柴に傾くのやも知れませぬ」

「しかしこの混乱を、いったいどうやって収めると言うのだ。いかな筑前とて、身はひとつしかないであろう」

 そうして氏行は、教えを請うような目を善十郎に向ける。

「善十郎はどう思う。もしも内蔵助どのより求められれば、我らも兵を出すべきか。あるいは手切れをして羽柴に付くべきか」

 尋ねられ、狡いのを承知で問いを返した。「おふたりは、どうお考えで?」

「それはここに来るまでも、半三郎とさんざん話した。この者は羽柴に付くべきと言っておる。この戦、最後は羽柴が勝つであろうと」

「では、若殿は佐々どのに合力せよと?」

「せぬわけには参るまい。内蔵助どのはたとえ寄せ集めとて、二万近い兵を擁しておるのじゃ。敵に回してはひとたまりもないわ」

 答えはおのれの中で固まっていたのであろう、氏行は即座に答えた。

「それに内蔵助どのとは盟を結んでおる。それも力ずくで切り従えてもよいはずのところを、あくまでも対等の盟ということにしてくれたのじゃ。その友誼に応えずして、何が武士じゃ」

 そこへ「ですが、家も守らねばなりませぬぞ」と、半三郎が遠慮なく言い放つ。おそらく今頃城の中でも、それぞれの父親たちが同じような論を闘わせているであろう。そんなことを思いながら、善十郎は若者たちを見ていた。

「ともかく、我らのことはいいのじゃ。善十郎はどう思う?」

 と、氏行は話を戻す。どうやら答えぬわけにはいかないようだが、かと言ってどちらとも言いようがない。

「実は殿からも、同じようなことを尋ねられました」

「父上からもか。して、何と答えたのだ?」

「すべては殿がお決めになること、善十郎はその下知に従いますと」

 その答えに失望したのか、氏行は身を反らして大きく息を吐き出した。

「狡いのう、善十郎は。それでは小太郎と同じではないか」

 ずっと黙っていた小太郎が、恥ずかしそうに肩をすぼめた。しかし俯きがちにこちらに向けた目は、どことなく嬉しそうでもあった。

「実際、そうとしか答えようがありませぬ。某は所詮、槍を振るうしか能のない者ですゆえ。しいて言うなら、今しばらくは様子を見るべきかと。佐々どのからもまだ、兵を求められてはおりませぬ。ならばまだ、今しばらくの時はありまする。戦とは、往々にして突如として流れが変わるもの。答えを出すのは、ぎりぎりまでそれを見定めるべきかと」

 氏行はまだ不満げに、半三郎は何か得心したような顔で、善十郎の言葉に耳を傾けていた。逼迫した状況であることは承知で、そんなふたりの様子が微笑ましくもあった。

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