(九)
登城するよう申し付けられたのは、その三日のちのことであった。理由は知らされていなかったが、碁の指南の続きではないことだけはわかっていた。その日は各支城の城主たちを含めた重臣が一堂に会する、月に一度の合議が開かれているとも聞いていたからである。
会所に入ると、上座の氏理の他に六人の男たちがいた。ただし、知っている顔はふたりのみである。氏理の右隣に緊張した顔で座っている孫次郎氏行。そしてその正面にいる筆頭家老・尾上備前守氏綱。
ただしあとの四人も、ある程度は素性が窺い知れた。氏綱の隣に座っている、ずんぐりとした体躯の五十年配の男が、おそらくは向牧戸城城主・川尻備中守氏信であろう。顔半分を覆った伸び放題の髭は、いかにも豪放磊落な性向を表している。
牧戸は内ヶ島家初代の為氏が飛騨に移封された際、はじめて城を構えた地であり、また南の遠藤、東の三木に対する守りの要でもある。さらに領内でも最大の採掘量を誇る六厩金山も近く、本拠の帰雲と並ぶ重要な拠点であった。そこを任せられている氏信は、こと戦に関しては筆頭家老の氏綱をも凌ぐ発言力を持っているという。
もうひとりの痩身で怜悧げな男は、荻町城主・山下大和守時慶か。なるほどどことなく、半三郎の面差しが覗けるような気もする。氏理にとっては又従弟でもあり、三家老と呼ばれる重臣の中ではもっとも年若だが、堅実な領地運営と周到な用兵で家中でも信頼を集めているらしい。
末席にいるどこか茫洋とした人の好さげな男は、おそらく上見城主の篠村太左衛門。正式に内ヶ島家と主従となったわけではないが、時慶の妹を娶り縁を結んだことで、一族扱いでこの合議に参加しているという。
あとのひときわ若いひとりは僧形であることからして、照蓮寺の関係者であることは明らかだ。照蓮寺と内ヶ島家はかつて激しく対立し、氏理の祖父・雅氏が時の住持・嘉念坊明教を討ち果たしたことで、寺はひとたび滅んだ。しかし本願寺法主蓮如が仲立し、越中へ逃れていた明教の子・明心が雅氏の娘を娶ることによって両者は和解し、再びこの地に伽藍を構えることとなる。以来内ヶ島家と照蓮寺は手を携え、物心両面から白川郷を治めてきたというわけであった。察するにこの者は現在の住持・嘉念坊明了その人か、近しい者であろう。
「飯島善十郎、罷り越しました」
そう平伏すると、氏理はいつもと変わらぬ調子で「よく参ったな、善十郎」と笑顔を見せる。されど氏行と氏綱の表情は固く、また備中守氏信と思しき髭面の男が険しい目でじろりと睨んでくる。それで、先日の一件についてであると察しが付いた。
「おぬしが飯島善十郎か。なるほど、ひと筋縄ではゆかぬ面構えよ」
大和守時慶らしき痩身の男が、表情を変えぬままひとり言のように言う。善十郎はどう答えたものかと迷った末、「……はっ」ともう一度頭を下げた。
「そう畏まるでない。本日の合議はもう終わっておる。ただ備中が、城に戻る前におぬしの顔を見ておきたいと申してな」
氏理の言葉に、やはりかと内心でつぶやいた。そうして髭面の男に目を向ける。
「勘兵衛を斬らなかったそうだの」
氏信が前置きもなく言った。かすれひび割れ、それでいて地の底から響いて来るかのようによく通る、重々しい声だった。なるほどこれは、声だけで震え上がる者も多いことであろう。この父とあの兄では、右近や刑部が委縮するのも無理はないと思えた。
「わしへの気兼ねか?」
善十郎は「そのようなことでは」と即答する。それは事実である。あえて気兼ねがあったとすれば、右近に対してのものだ。
「どちらにせよ、愚かなことよ。何ゆえ斬らなかった」
「斬るまでもないと思ったまで。あれでは、どうせ長生きはしますまい」
「で、あろうの。それでも、斬っておくべきであった」
小さく首を振り、氏信はきっぱりと言い切った。そこにはもはや、親子の情など欠片もないようだった。いやむしろ、親子だからこその言葉なのか。
「あれは疫病神よ……生かしたことが、いずれ災いを呼ばねば良いがの」
「備中、そのくらいにしておけ」
ずっと黙っていた氏綱が、苦々しげにそう口を挟んだ。おそらくこの場にあっても、そんな苦言を挟める男はそういないのであろう。せいぜいが当主の氏理か、あるいはこの氏綱ぐらいか。
「わざわざ呼びつけて悪かったの、善十郎。もういいぞ、下がれ」
氏理が困ったようにそう言った。ここは直に従ったほうがよかろうと、善十郎もまた頭を下げる。そして退出しようとしたその間際に、また氏信が口を開いた。
「右近が世話になったことは……礼を言う」
「当然のことにございます」とだけ答えて、善十郎は広間をあとにした。




