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浮雲の賦  作者: 神尾 宥人
第二章 暗雲
16/59

(八)

 屋敷の門を出ると、ちょうど見回りのひとりと行き合った。氏綱の配下で、金堀衆上がりの喜八(きはち)という男だった。山に少し入ったところで、焚き火の跡を見つけたという。そして周囲には、食い散らかされた魚の骨が落ちていたらしい。

「実は今朝ほど、庄吉のやつが蔵を荒らされて、売り物の干魚がなくなっていたと言っていやした。おそらくはそれかと」

 傍迷惑なやつよとつぶやくと、喜八も「まったくでさ」と深く頷いた。

 再びひとりになって、善十郎は焚き火の跡を慥かめに行った。聞いていた通り、乱暴に齧られた干魚の骨が散乱していた。足跡からして三、四人ほどはいるようだ。あのような虚けに郎党がいるというのも驚きではあるが、どうせ似たような食い詰め者であろう。

 そのとき、木々の間からちちちっと何かが鳴くような声が聞こえた。鳥のようであるが、鳥であるはずがない。鳥ならば、木の上にいるはずであった。訝しく思いながら、声のほうへと数歩歩み寄ると、遠ざかりながらまた同じ声が聞こえた。

 どうやらこちらを誘っているらしい、と気付いた。何かの罠かとも思えなくもなかったが、あの虚けどもがかようなことをするとも思えなかった。たとえ罠だとしても、対手が多少増えたところでどうということはない。いっそ誘われるままに乗ってやろう、と腹を据えた。

 そのまま声の導くほうへと歩を進めてゆくと、前方からまた違う声が聞こえてきた。今度は慥かに聞き覚えのある、舌っ足らずのだみ声だった。さらに灌木を掻き分けて進むと、村の外れの小径へと出た。そこに、腕を抑えて蹲るひょろりとした影と、抜き身の太刀を手にした大男の姿が見えた。右近と勘兵衛であることは間違いなさそうだ。

 上空で雲が流れ、月が顔を覗かせてあたりを照らし出した。右近は右腕に手傷を負っているようだが、さほどの深手ではなさそうだ。何より刀を取り落としていながらも、しっかりと目を対手から離さずにいる。この数日で、ずいぶんと気も強くなったものだ。善十郎は感心しながら、わざと小枝を踏み拉きながら木の陰から出て行った。

「かようなところにおったのか、右近。皆が案じておったぞ」

 はっとしたように、ふたりがこちらに顔を向けた。右近の顔には明らかな安堵が、そして勘兵衛には瞬きほどの刹那、恐怖が浮かんだのを見逃さなかった。なるほど、やはり蔦の言うことは正しかったようだ。

「飯島さま……どうしてここが」

「偶々よ。歩き回った末に、ようやく見つけたまで」善十郎は右近と勘兵衛の間を遮るように立ち、尋ねる。「それよりも右近。おぬしは何ゆえ、かようなところへ?」

 すると右近は、ばつ悪そうに目を足元に落とした。小声で「……お許しください」と言ったので、善十郎も責めているわけではないと首を振ってやる。

「屋敷の表に出たときに、兄が山のほうへと向かってゆくのを目にしたのです。それをどなたかに伝えようとしたのですが、偶々どなたも見当たらず……」

 それで、ひとりであとを追ってきたというわけだ。おそらくは、それも誘いだったのであろう。勘兵衛は最初から、馬廻の誰かを人気のないところへ連れ出そうと、故意に姿を見掛けさせたのだ。それが右近であったのが、この男にとっては好都合であったか、あるいは不運であったか。

「まあ良い。おぬしは皆のところへ戻れ。手当ても必要であろう」

「兄を……どうされるのでございますか?」

「それは、おぬしは知らずとも良きことよ」

 言って、善十郎は勘兵衛に向き直った。大男は精一杯の虚勢か、あるいは郎党を連れて気が大きくなっているのか、また顔に歪な笑みを浮かべている。

「へっ……また手前か。面白ぇ……」

 そうつぶやきながら、目だけをきょろきょろと巡らせた。されど、その目の先には誰の姿もない。

「おい、どうした金蔵(きんぞう)左介(さすけ)……藤兵衛(とうべえ)!」

 その代わり木の上にちらりと、月光に照らされた白いものが見えた。善十郎にのみわかるように、蔦が一瞬だけ顔を覆った布を外したのだ。勘兵衛が連れていた郎党どもはすでに始末済みであることを、こちらに知らせるためであろう。

 善十郎は背後の若者に、どうしたと問いかける。右近は立ち上がりはしたものの、駆け出す様子はなかった。むしろ一歩ずつ、こちらに歩み寄って来る。そうして「戻りませぬ」ときっぱり答え、取り落としていた太刀を拾い上げた。

「これは我ら、川尻の家の問題にございます。ならば、嫡男の我が片を付けるべきこと」

 善十郎は「……さようか」と頷いて、ゆっくりと身を引いた。

「では某、飯島善十郎が立会人を務めるといたそう。心置きなく、存分に戦われよ……川尻どの」

 右近は緊張を滲ませた声で、「(かたじけの)うございます」とだけ答えた。善十郎はそれに頷きを返すと、ちらりと樹上に目配せを送る。

 危うくなるようであれば、暗器を飛ばすなりして助けてやれ。そう指示を送ったつもりだが、言わずとも蔦ならばわかるであろう。これは立ち合いではなく、処断である。然らば卑怯も糞もない。

 右近が太刀を構え、擦り足で前に進み出た。それに対して勘兵衛は、大仰に太刀を振りかぶって威嚇する。まだ郎党が現れることを期待しているのか、あるいは右近を嘗めているのか、顔にはまたへらへらとした笑いが浮かんでいた。しかしそれも、次第に引き攣ったものに変ってゆく。

 じりじりと、じりじりと、右近が間を詰めてゆく。切っ先はしっかり兄に向いて、ぶれることはなかった。勘兵衛が戸惑ったように、わずかに後ずさる。ほう、と善十郎は感嘆の声を漏らした。あの気弱だった右近が、気で圧している。痩せても猛将・川尻備中守の子というわけか。

「くそっ……何をしている、金蔵!」

 大男がまた、郎党のひとりの名を呼んだ。目が右近から離れ、脇の木立の中へと向く。その刹那に、若者が一気に大きく踏み込んだ。そうして「はっ」という短い気合とともに、逆袈裟の斬撃を放つ。

 ただし気が逸ったか、まだわずかに間合が遠い。切っ先は咄嗟に後退した勘兵衛の袖口を掠めたに過ぎなかった。されどわずかに腕も捉えたのか、あるいは蔦が何かを飛ばしたのか、鮮血が飛沫(しぶ)き大男が膝をつく。

 返す刀が、容赦なくその頭を目がけて振り下ろされた。勘兵衛は寸前でそれに気付き、転がりながら躱す。右近の太刀が地を削り、斜に食い込んで止まった。

 まさに全霊を込めてのひと太刀だったのか、若者はそれだけでもう肩で息をしていた。ここで反撃されれば危うかったが、勘兵衛も太刀を拾い上げる気もないようだった。舐め切っていた弟の思わぬ斬撃に、魂を抜かれたように呆然としている。

「……兄上」右近がかすれた声で言った。それでも、言葉ははっきりと聞き取れた。「右近は兄上がずっと恐ろしゅうございました。されど同時に、憧れてもおりました」

 されどその言葉は、肝心の兄に届いているのか。勘兵衛のほうはただぱちぱちと瞬きを繰り返すのみで、何の反応も示さない。

「ゆえ、兄上のさような姿は見とうありませんでした」

 右近はそう言って力を込め、地に食い込んだ太刀を抜いた。そうしてもう一度、頭上に振りかぶる。されどその構えにはもう、つい今しがたまでの気迫は感じられなかった。

 いかな非道とはいえ、兄であることに違いはない。その兄を斬ると決めた先のひと太刀に、どれほどの覚悟が込められていたことか。憔悴するのも無理はなかった。今はもう、構えるだけで精一杯であろう。

 善十郎はもう一度樹上に目配せを送ると、鯉口を切って前へ踏み出した。しかしそれを遮るように、右近はまた口を開いた。

「お行きください、兄上」

 その言葉に、勘兵衛の目が信じられないというように見開かれた。

「次はありませぬ。二度とこの地には足を踏み入れませぬよう」

「右近、良いのか?」

「はい、構いません。次にこの兄が現れたときは……我が決着をつけます。川尻の家名に賭けて」

 そうまで言われしまえば、善十郎にはもう言えることもなかった。尻餅をついたままの勘兵衛に目を向け、行けと顎をしゃくる。大男は慌てて立ち上がると、いつぞやと同じようにこけつまろびつ走り去って行った。

 その背中が闇に溶けて見えなくなると、右近は力なく膝をついた。おそらくはもう、立っているのも限界だったのであろう。指はそのまま固まってしまったかのごとく、太刀を離すこともできないようだった。善十郎はしゃがみ込み、その指を一本一本解いてやる。

「……申し訳ありませぬ」

「まことに、あれで良かったのか?」

 繰り返しそうたずねると、右近は泣き笑いのような顔で白い歯を見せる。

「はい、斬りとうにも、我はもうこの有様でございます。とはいえ、どなたかにお願いすることではありません。これは……我の役目ですゆえ」

 善十郎はまた「さようか」と頷くと、気配に気づいて振り返る。闇の中からふらりと、蔦が出てくるところだった。まるでそのあたりに山菜でも摘みに行っておりましたとでも言わんばかりの風情だった。

 そうして目のみで、どうするかと尋ねてくる。今からでも勘兵衛を追って片付けるか、指示をしろということだ。放っておけ、と善十郎は小さく首を振った。

 蔦はどことなく不満げに頷き返すと、また闇の中に消えた。きっと始末した郎党たちの骸も、決して目に付かぬままにどこかへ埋められるのであろう。

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