表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
浮雲の賦  作者: 神尾 宥人
第二章 暗雲
14/59

(六)

 庵に戻ると、蔦は庭に出て茣蓙(ござ)を敷き、黒っぽい紐のようなものを並べているところだった。何をしておるのかと尋ねると、振り返った女は笑いながら「蕨にございます」と答える。

「先日買い求めた干蕨を、旦那さまは大層気に入ったようでございましたので、おのれでも作ってみようかと思いました。あちらの山に入ったところ、もう食べ頃に育っているのを見つけましたゆえ」

 慥かに数日前の夜に食したものは、意外に美味かった。もちろん伊那にいた頃も山菜はよく食していたのだが、一度乾物にして戻したものは滋味も増して、酒の肴にちょうど良い。村の者に聞くと、このあたりの干蕨は出来が良く、富山や北ノ庄の城下でも評判らしい。白川布と並び、商人たちがもっとも好んで買ってゆく品なのだという。

「ところで、そこの河原に巫女舞が来ていたぞ。おぬしも見物に行ってみてはどうだ」

「まあ、巫女舞でございますか。それは楽しそうでございますね」

 白々しくそう言って、蔦はまた背を向けた。まあ良い。善十郎とて、別に問い詰めようという気もなかった。

 それよりも今は、別に伝えておかねばならないことがあった。善十郎は庵に上がると、縁に腰を下ろす。そうして、今朝の騒動について話した。そして、氏理から先日聞かされた、勘兵衛についての話を。

 蔦はそれを手を止めぬまま、何も口を挟まずに聞いていた。とはいえ、確りと聞いているのかと念押しする必要はない。この女はこうして興味なさげな振りをして、一言一句すべて聞いている。そして決して忘れない。

 すべて話し終えると、女はようやく手を止めて、されど背を向けたまま尋ねてきた。

「ゆえにこちらへ、その川尻勘兵衛がなる者が夜襲をかけると仰せでございますか?」

「あくまで、そのようなことも考え得るというだけのことよ。そのときは手加減は無用じゃ。存分に料理せい」

「それは仰せの通りいたしますが……さて。旦那さまも、思慮深いように見えて抜けておられますから」

 そう言って、蔦はまたいつものようにくすくすと笑った。揶揄(からか)うように。せせらうように。

「抜けておる、だと?」

 善十郎はわずかに気色ばんで、上ずった声で問うた。他の者には多少揶揄されたところで聞き流せるのだが、どういうわけかこの女相手だと冷静になれない。

「それは聞き捨てならぬの。わしのどこが抜けておると言うのだ」

 すると女はすっくと立ちあがり、草鞋を脱いで縁に上がってきた。そうして善十郎の前に座り、真っすぐに見つめてくる。その目には何の色も浮かんではおらず、相変わらず心根は見えない。

「抜けておられる、とは言い過ぎでしたか。では改めましょう。旦那さまはお強うございます。それゆえ、弱き者のことがわかっておられませぬ」

「弱き者、とな?」

 蔦は笑みを消して、「……はい」とゆっくりと頷きかけてきた。まるで幼い童に言い聞かせる母親のように。

「お尋ねしますが……かつて牛首なる御仁は、その虚け者を打ち据えたのでしょうか。容赦なく槍で。あるいは、拳で」

「いや。あくまで(げん)で厳しく叱責しただけだと、殿は申されていた」

「そうでございましょう。ですから、嬲り殺しにされたのでございます。されど旦那さまはその手で打ち据えてみせました。怖気を、かの身に叩き込んでやったのです。ならば勘兵衛なる弱き者は、もはや旦那さまに手出しは出来ますまい。たとえ衆を(たの)んだとしても」

「そうか?」善十郎は納得できず、首を傾げた。「わしには、そうとも思えぬが……」

「ですから、旦那さまはわかっておられないと申し上げておるのです。それができぬゆえ、弱き者なのでございますよ。さような者が次に牙を向けるのは……さらに弱き者でございましょう」

 さらに弱き者。その言葉を、善十郎は声に出して繰り返す。

「幸いにしてそれで十分、旦那さまの顔を潰すことができますゆえ」

 そう言って、蔦はまたうっすらと笑みを浮かべた。いかにも情の薄げな、せせらうような笑みを。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ