(五)
「なるほどのう……」と氏綱はため息とともに答え、憂鬱げに眉根を指で揉んだ。鍛錬を終えてのち尾上屋敷を訪い、朝の一件を報告してのことである。
「殿も備中も、頭が痛いことであろうの。して、右近の様子はどうであった」
「はい。勘兵衛が去ったのちは、いたって変わらぬ様子にございました。むしろ此度のことは、あの者にとっても良い契機であったやもしれませぬ」
右近についてはそう願いながら、今は見守るしかなかった。それよりも、気になるのは勘兵衛である。あの思慮の浅い虚け者が、このまま尻尾を巻いてこの地を去るとは思えない。
「おぬしの庵の周辺には、しばらく腕の立つ者どもを見回らせるとしよう。もっともおぬしに比べれば、些か頼りないかもしれぬがの」
「どうかお気遣いなく。おのれの目の前の羽虫は、おのれで払えますゆえ」
何よりあそこには、手練れはもうひとりいる。勘兵衛がおかしなことを企もうものなら、まさに火に入る夏の虫というものであろう。
「しかしかの者、これまで何処で何をしていたのでござろうか。あの様子では、いずこかの家中に仕官していたようにも見えませなんだが」
「聞くところによれば、美濃にて山賊まがいのことをして糊口を凌いでいたとのことじゃ。されど遠藤家の者に追われて、這々の態で逃げ延びて来たとか。備中ところにも、郡上から文句が来ておったらしい」
「心中お察しいたします、とお伝えくだされ」
善十郎がそう小さく頭を下げると、氏綱は眉尻を下げて「さようなことを言えるものか」と笑った。
尾上屋敷を辞去すると、善十郎は村の中をぐるりと見て回ることにした。氏綱はしばらくの間手の者に見回らせると言っていたが、おのれもそれに加わったほうがいいのかもしれないと思ってのことだった。
さりとて村の中で騒動が起こっている様子はなく、いつものように賑わっている。されど見るからに百姓と見える風体の者は少ななかった。そもそもの数が少ないためだ。目立つのは商人らしき者と、金堀衆と見える屈強で色白の者たちだった。
この白川郷は谷間のため田畑にできる土地が少なく、また土も痩せているため、領民すべての口を満たせるだけの石高はなかった。それゆえに内ヶ島の代々の当主は、米よりも金や硝石などに目を付け、それによる商いを活発にすることで国の財政を成り立たせてきたという。それは現在までうまく運んでいるようで、領民は飢えることなく、また一揆や逃散もなく、むしろここ数年でいっそう増え続けているらしい。今ではこの城下だけで数百戸、三千人ほどが暮らしている。
そんな村の中をしばし歩き、川べりに出てふと見下ろすと、河原に何やら人だかりができていた。何ごとかと訝っていると、傍らを童が数人、「巫女さまじゃ、巫女さまが来た」とはしゃぎながら駆け抜けてゆく。耳をすますとなるほど、笛の囃子が聞こえてくる。
「歩き巫女か。かような土地に珍しいの」
歩き巫女とはその名の通り、諸国を巡って舞や笛を披露して歩く巫女の集団である。そうして五穀豊穣を祈願して喜捨を得たり、また春を鬻ぐなどして身過ぎをしていると聞く。
また風説ではあるが、かつて武田の屋形はかの者らを間者として庇護し、また使役していたとも言われている。その真偽のほどは不明であるが、もしもまことであれば、ここ帰雲に現れた理由に思い当たる節がないでもなかった。




