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浮雲の賦  作者: 神尾 宥人
第二章 暗雲
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(四)

 それから数日ほど経った、ある朝のことである。若者たちが集まる裏庭に向かうと、聞き覚えのない声が聞こえてきた。見ると、蓬髪(ほうはつ)に着流し姿の大男が、居並ぶ若侍たちを威嚇するようにがなり立てている。手には二間半はある長槍を構え、切っ先をひとりひとりに向けては、得意げな笑みをだらしなく浮かべていた。

「わかっとるのか、おぬしら。世は大きく動いとるんじゃ!」

 大男が唾を飛ばしながら続ける。長槍が大きく振り回され、若侍たちが怯えたように後ずさる。

「おぬしらは知らんだろうが、右府信長はとっくに討たれた。右府を討った明智も、羽柴筑前なる者に討たれた。然らば世は羽柴のものになると思うか。さようなことは断じてない!」

 善十郎は呆れながら、裏庭の隅の落葉松の木に背をもたれかけ、腕を組んだ。

「聞けば羽柴筑前なる者は百姓上がり、鼠顔の小男だそうじゃないか。さような者に誰が従うと思う。誰が頭を垂れると思う。良いか、世は必ずまた大きく乱れる。何もかもが滅茶苦茶になる。腕一本で何でも手に入る、糞面白ぇ世になるんじゃ。それなのにおぬしらはかような山奥に引き籠って、湿気(しけ)た村守っとるだけで良いんか!」

 目を巡らせると、どの顔にも恐怖と、そして押し隠すことのできない嫌悪が滲んでいた。輪のもっとも外側で、すっかり蒼白になった顔を俯かせているのは右近だ。ひょろりとした体躯をいっそう頼りなさげに縮こまらせて、他の者の背に隠れるようにして震えている。それで、この騒々しい大男の素性が窺い知れた。これが件の川尻勘兵衛か。なるほど、聞きしに勝る虚け者であった。

 若侍のひとりが善十郎に気付き、さりげなく近付いてくる。慥か氏理の小姓のひとりで、名は平四郎といった。

「この騒ぎはいったい何だ」

「あ……飯島さま。それが、あの……」

「まあ、大方は見るだけでわかるがな。若殿はいずこにおられる?」

「はい、若殿さまは今日は、殿にお城へ呼ばれておりまして……」

 やはり委縮した様子で、囁くように答えてくる。それも偶々(たまたま)とは思えなかった。おそらくは数日前から、氏行が不在のときを待ち構えていたのであろう。

「そんな餓鬼の玩具みてぇな木槍を振り回して、いったい何に備えてるつもりだ。言っておくがな、こんな辛気臭ぇ村なんぞ、誰も攻めやしねぇよ。無駄だ、無駄ぁ。おぬしらはここにおる限り、世から取り残されて、誰からも相手されずに死んでゆくのよ。それでまことに良いんか。わしと共に来て、面白ぇもんを見てぇとは思わんか?」

 勘兵衛はなおも、馬鹿げた講釈を続けている。そのうちにひとり、またひとりと善十郎がいることに気付き、救いを求めるように振り返りはじめた。そしてとうとう、大男もまた胡乱な目を向けてくる。

「何者だ、手前は」

「何者でもよかろう。好きに続けるがいい、そら」

 そう言って、善十郎は続きを促すように顎をしゃくった。そうして若侍たちをぐるりと見回し、投げ遣りに続ける。

「おぬしらも、行きたければその男に付いて行け。別に止めはせぬ」

「飯島さま……」と、ようやく顔を上げた右近がつぶやくように声を漏らす。それをちらりと見やり、善十郎はせせら笑うように鼻を鳴らした。

「ただしかような(うつ)け者に付いて行けば、遠からず(むくろ)となるがの。それで良いなら行くがいい」

 そう言い放った善十郎の言葉に、大男が血相を変えた。しかしそれにも取り合わず、松の木を離れてゆっくりと歩み出す。若侍たちの前へ。

「講釈は終わりか。では去ね。鍛錬の邪魔じゃ」

「手前ぇ……」

 ぎりぎりと歯ぎしりの音が聞こえる。されどもう、そちらには目も向けなかった。善十郎は若侍たちに向き直り、いつものように胸を反らして声を張り上げる。

「でははじめるぞ。槍構えい!」

 されど若侍たちはまだお互いに顔を見合わせているだけで、善十郎の前に並ぼうとはしなかった。誰もがこの大男を毛嫌いしながらも、無視することもできぬようだ。

 そのとき、不意に殺気を感じた。まるで隠すつもりのない、駄々洩れの殺気だった。続けて、槍の穂先がこちらに伸びてくるのがわかった。ただしまったくもって遅く、鋭さもない。かような長槍を扱う膂力もないようで、突き出しながら穂先が頼りなくぶれている。

 善十郎は斜に構えたまま、その槍を片手で掴んだ。穂先はあと一寸ほど、こちらの首筋には届かなかった。

 勘兵衛は口惜し気に「くっ……」と呻きながら、掴まれた槍を引こうと藻掻く。しかし槍は、まるで岩にでも食い込んだように動かなかった。

「……見よ」善十郎は若者たちに目を向けたまま、小さくため息をついて言った。「所詮はこの程度よ。おぬしらも、かような虚仮脅しに怯むでないわ」

 はじめから、一瞥したのみでわかっていた。この長槍は一度も戦場で使われたことがない、と。手元のみ垢で汚れていたが、その先はまるで打ち立てのように綺麗なものだったからだ。槍とは突くものに非ず、叩くものである。よってひとたび戦に出れば、どこも傷だらけになるものだ。大方見せびらかして歩くのみで、ろくに振るったこともなかったのであろう。

「糞がっ!」

 勘兵衛はとうとう槍を抜くことを諦め、手を離して拳を振るってきた。すかさず善十郎は槍を逆手に握ったまま、頭上で大きく一度回し、大男の脳天に振り下ろす。

 一陣の風が若者たちの髷を揺らし、次の刹那、筒音にも似た衝突音が響き渡った。振り下ろされた槍の柄によって、勘兵衛は潰れた蛙のように地に倒れ伏していた。

 善十郎はそこでようやく槍を持ち替える。そうして、上体を起こした勘兵衛の眼前に穂先を突き付けた。大男は焦点の合わない目を泳がせながらも、気を失ってはいないようだった。頭蓋を叩き割るつもりで振り下ろしたのだが、どうやら頑丈さだけは常人離れしているらしい。

武人(もののふ)に槍を向けた以上、覚悟はできておるよの」

 そう言ってやると、ようやく状況が呑み込めたのか、虚ろであった目に恐怖が浮かぶ。善十郎はまたちらりと右近に目を向けた。

 これが、おぬしの恐れた兄のまことの姿よ。とくと見やれ。言葉にはせず、目のみでそう語りかける。

 大男は喉から絞り出すように「……ひっ」と声を漏らすと、助けを求めるように他の者たちへ顔を向けた。

 そのとき、ひょろりとした人影が前へ進み出てきた。右近であった。顔は蒼白なまま、脚もまだ震えていた。それでも声だけは(しか)りと張りがあった。

「兄上、もうお行きくだされ。ここには、兄上にお供するような者はおりませぬ」

「右近……手前ぇ」

「お行きくだされ、どこへなりと」

 きっぱりと言い放ち、右近は顔を上げた。その相貌はまだ頼りなかったが、それでも逸らすことなく虚けの兄を見据えていた。

 勘兵衛はよろよろと起き上がると、また足を縺れさせてつんのめった。それでもこけつまろびつしながら、裏庭から逃げ去ってゆく。善十郎は長槍を足元に放り捨てると、庭の隅へとぞんざいに蹴りやった。

「皆の者、何をしておるのだ」

 快活な声が響き渡った。見ると、城に行っていた氏行が戻ってきたところだった。傍らには、いつぞやのように小太郎を伴っている。

「すまぬな、善十郎。遅くなってしまった。父上は小言が長いのじゃ」

 善十郎は何事もなかったように小さく笑い、氏行に列へ加わるよう促した。

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