今日も彼は私を甘やかす
「こんにちは、可愛いお嬢さん。また来たよ」
「ジスラン様!いらっしゃいませ、お待ちしておりました!」
私はリナリア。しがない平民で、パン屋を営んでいる。今日朝一で来てくれたこのお客様はジスラン・エルキュール様。この辺り一帯を領有する男爵様だ。若くして爵位を継いだ彼は、結婚していないどころか婚約者すらいないらしい。こんなにかっこいいのに、勿体ないな。
ジスラン様が領地経営を行うようになってから、この辺りは一気に豊かになった。元々細々とやっていた刺繍や織物や染物が、ブランド化されて高く売れるようになった。また畑の土をジスラン様自ら改良したことで、品質の良い野菜を生産できるようになりそれもブランド化され高く売れるようになった。その質の良い野菜を餌として、のびのびと育てられた牛や豚や鶏も次第に品質が良くなりまたもブランド化。ここまで行くとジスラン様は神様なのかなと思ってしまう。また、ちょっと遠くでは鉱山の労働者への待遇が良くなってみんなのやる気が戻り業績が回復したり、そこで取れた鉱石を加工する技術がかなり高いと評判になったりと凄いらしい。
そんなジスラン様は、実は私の幼馴染だ。幼い頃は平民に混じって遊んでいたジスラン様は、相変わらず私を友として扱ってくれる。けれど、それではダメなのは自覚している。でも、ジスラン様が大好きな私は突っ撥ねることができない。
「今日はね、君が喜びそうな物を持ってきたんだ」
「え?何でしょう?」
「ふふ。…洋梨のシャルロットだよ」
「わあ…!ありがとうございます、ジスラン様!」
「喜んでもらえてよかった。ねえ、昔みたいにジズって呼んでよ。君の口からそう呼ばれるだけで、僕は幸福なんだ」
柔らかな微笑みを浮かべるジスラン様。でも、平民の私がジスラン様をジズなんて呼べる時期はもうとっくに過ぎている。無理だ。
「ジスラン様、ダメですよ。いずれジスラン様は可愛らしい貴族のお嬢様をお嫁に迎えるんですから。私、嫉妬されちゃいます」
「…そんな心配は要らないよ。僕は君以外を嫁として迎えるつもりはない」
ジスラン様は、たまにこういう笑えない冗談を言う。ダメなのに。
「もう、ジスラン様!そういう冗談はダメだって言っているのに!」
「…冗談じゃない」
ジスラン様は突然私との距離を詰めて、私を壁に追いやった。初めてのことにジスラン様の身体を押すがびくともしない。それどころか両手を繋がれて壁に押し付けられた。
「ジスラン様…?」
「この数年で、血を吐くほどの努力をした。領地経営なんて苦痛でしかないのに、それでもリナリアを手に入れるために、リナリアを幸せにするためにって…そして結果を叩き出した。それからリナリアとの結婚を認めないなら出て行く、爵位も返上すると脅して、今日やっと祖父と父を説得出来た。やっと、君にアピール出来る…なのに、そんなこと言わないでよ…」
「じ、ジスラン様、どうしたんですか…?」
ジスラン様がそんなに苦痛を背負っていたなんて、知らなかった。毎日笑顔で私の焼いたパンを買っていくジスラン様。領地経営が楽しいんだろうと思っていたのに…幼馴染なのに、私は全然知らなかった。…恥ずかしいな。悲しいな。こんなに好きなのに、知らないことばっかりだ。
…て、え?
「出て行く!?爵位を返上する!?」
「ああ、祖父と父を説得出来たから、もうその必要はないよ」
「よ、よかった…」
ジスラン様がいなくなったら、この辺一帯はすぐに活気を失うだろう。本当に良かった。
…ん?リナリアとの結婚を認めないならとか、君にアピール出来るとか聞こえた気がしたけど気のせいだよね?
「あの、ジスラン様?」
「なあに?リナリア。ああ、今日からは昔みたいに呼べるのか。…リナリー」
リナリー。そう耳元で呼ばれて私はりんごみたいに真っ赤になった。
「脈ありかな?」
ウィンクするジスラン様は当たり前のようにかっこいいのが狡い。
「ジスラン様、からかわないでください!」
「からかってないよ。リナリー、真剣に聞いて」
ジスラン様に見つめられて、息を飲む。手を解放され、ジスラン様は私の前で跪いた。
「僕は、ずっと…昔から、リナリー一筋だ。愛してる。…僕の婚約者になっていただけませんか」
そういってジスラン様は小箱を取り出し、中から出てきたのは品のある指輪。
「ジズ…」
思わず昔の愛称で呼んでしまう。私の目には涙が溜まる。ジズは不恰好にぼろぼろ泣いてしまう私の左手を取ると、婚約指輪を薬指に嵌めた。
「結婚指輪は二人で選んで買おうね。…受け取ってくれるだろう?」
涙でぐちゃぐちゃになった私を愛おしげに抱きしめて、頭を撫でるジズ。私はただ頷くしか出来なかった。
ー…
あれは幼い頃。僕は厳しい祖父から逃れるため、屋敷をそっと抜け出しては平民の子供と遊んでいた。そんなある日、湖に行ったら白いワンピースを着た可愛らしい女の子が一人で素足になって、ワンピースをたくし上げ水遊びをしていた。
僕は、その光景に釘付けになった。一言で言うならば、一目惚れだ。
その女の子は、僕に気付くと一緒に遊ぼうと声をかけてきた。僕は彼女と遊ぶのが楽しくて、次の日もその次の日も一緒に遊んだ。彼女は、僕の天使だった。名前はリナリア。リナリーは、祖父からの厳しい教育に耐えかねていた僕の心の支えだった。
ある程度成長して、屋敷を抜け出すことも平民の子供達と遊ぶことも叶わなくなった僕は、それでもリナリーを求めた。僕は苦手な勉強を頑張り、実力を祖父と父に見せつけて男爵の爵位を継いだ。ちなみに政治に全く興味がないリナリーは知らないようだが、僕の家は公爵家だ。いずれは僕も公爵位を継ぐ。男爵位は余ったものを先に貰っただけだ。領地も今はこの辺一帯を貰ったが、その内もっと広大な土地を領有することになる。リナリーには言わないけどね。
そして、領地経営を行うようになると、死にものぐるいで領内を発展させた。祖父も父も驚いていたが喜んだ。早く上位貴族のご令嬢と結婚させようと画策している祖父と父に、もし望まぬ結婚を押し付けるなら爵位と領地を返上するし継がないしなんなら自決すると脅しをかけた。そして、平民である愛おしいリナリーとの結婚を認めないなら貴方達の大切なもの全てを壊すと宣言した。僕が本気だと気付いた二人は、それでも女を知れば気が変わるだろうと色々な手段を使おうとした。媚薬を盛って美人と二人きりにしようとしたりとか、本当に色々。けど、まあ、はっきり言って僕はリナリー以外に反応しなかったので間違いも起こらず、むしろ女性に恥をかかせただけだった。ちなみに毎回きっちり祖父と父には報復していた。祖父が無理矢理手篭めにしたお気に入りの愛人に手切れ金を渡して逃がしたり、父の浮気の証拠を母に渡したりとか、色々。
そんなこんなで、リナリーを認めなければ僕を失うどころか何も残らないとやっと気付いた祖父と父から了承をもぎ取りリナリーの所に喜び勇んでやってきたわけだけれど、まさかリナリーが最初から受け入れてくれるとは。やはり彼女は僕の天使だ。
「ジズ…私、こんなに幸せでいいのかな…」
「もちろん、いいに決まってるだろう?僕の可愛いお嬢さん」
キスをリナリーの唇にそっと落とす。リナリーを守るためならば、僕はこの先なんだって出来る。リナリーのためにも、もっと領地経営を頑張らないとな。
「リナリー…僕の天使。ずっとずっと、一緒だよ」
「はい、私の王子様!」




