004 村はずれの獣医さん
第二章が始まる前に第一章の見直しやら補完やらをやりたいと思います。 蛇足と呼ばれなきゃいいな。
「本当は馬のお産なんて手伝っている場合じゃないんだけどなあ」
アーサーは、ベイカーさんの馬のお産を手伝いながらも気が気ではなかった。 妻のドリーが早朝に陣痛が始まって、急いで産婆のローラさんを呼んで任せて来たんだけど、本当は付き添ってあげたかったのだ。 旦那が妻の出産に付き添ってもやれる事なんか無いし、足手纏いなのは分かっている。
しかも、お産に立ち会う旦那なんて聞いた事がない。男は仕事が戦場で活躍するのが当然で、家の事は妻に任せておけばいいのだ、そんな事は百も承知だ。 でも今朝のドリーの苦しそうな顔が忘れられない。 初めての子供という事もあって緊張しているのも間違いないが、それ以上に なんだか今日は特別な事が起こりそうな予感がして仕方がない。
例えれば、10年くらい前に隣の国に生まれたという聖女様、5歳で神の声を聞き、人々に伝え、様々な知恵を与え人々を救っているという巫女ヨーコ様のような特別な子供が生まれるような予感。もちろん、平凡な畜産家であり獣治療師の自分と平凡な薬師のドリーから、そんな特別な子供なんて生まれないってのは分かっている。 でも、なんだか不思議な予感、きっと絶対に良い子が生まれるってのは間違いない。 だって、あんな素敵なドリーの子だから、男の子だって女の子だって、見た目も性格もとびっきり素敵な子になるに違いない。
アーサーとドリーは、この山奥の辺鄙な村キャトルベリーで育ち、出会い、結婚した。アーサーは21歳、ドリーは18歳。この国の平均的な初婚年齢。多くの女の子は16歳で成人すると すぐに花嫁修業を始め、20歳前にはほとんど結婚する。 男の子は25歳くらいまでに結婚する場合が多い。男が威張りくさって女がそれに従う風習からすれば、男性が少し年上の方が収まりが良い。あと、男は女房子供を養うために経済力を付けておく必要があるというのが男女の結婚年齢の違いであった。
でも田舎の村で伸び伸びと育ったアーサーやドリーには そんな世間の風習など関係なく、男も女も働いて一緒に家庭を作っていく考えだった。 農村では男女問わず小さな子供のころから家業を手伝って、手が空いていれば男でも女でも料理や洗濯や力仕事や家畜や畑の仕事を何でもやるのが普通だったから。 それにアーサーにとってドリーは年下だけど、尊敬できる少女だったから威張る気持ちなんてこれっぽっちも無かった。 よく働くけど決して慌てない。いつも落ち着いているけど笑い上戸で小さな事でもよく笑う。その度に栗色のくせっ毛がゆらゆら揺れるのが印象的な子。植物や虫や動物に詳しくて、いつも野山でしゃがみこんで観察したりしていた。本もよく読んでいた。村一番の読書家だと言って否定する人はこの村にはいないであろう。教会の図書室に居なければ道端でしゃがみこんでいると有名だった少女は、成人する頃には自分でいくつも薬を調合して実家の雑貨屋で販売を始めた。 その後、神父さんに魔法の才能を認められ、魔法薬の調合も始めた。 ドリーの薬はたちまち評判になり、近隣の村からもはるばる買いに来る人もいるくらいになった。
そんなドリーの店に、よく若い獣治療師がやってきていた。 アーサー・マクレーという村はずれの農場の息子。この村では珍しく王都の学校に行ったらしく、村では珍しい複雑な計算も読み書きも出来、医療の知識も豊富で、しかも牧場育ちなので家畜や獣にはとても詳しい、たちまち腕の良い獣治療師として評判になるまで時間はかからなかった。 背は標準くらいか どちらかといえば低いほう、服装には全く拘らない。
「マクレーさん、いつもその破れたシャツですね。」
「おうっ、これが風通しが良くて涼しい最高の服なんだ、羨ましいだろう?」
「うふふっ、そうですね、私もお揃いになるように破いちゃおうかな。」
「女の子が脇のところが破けた服なんか着てたら破廉恥な罪で捕まっちゃうぞ。」
「あはははは、私の事、逮捕してくれるの?」
「うちの牢獄はブタやウシの糞だらけだぞ。」
そんな冗談を重ねるうち、いつしか二人は『ずっと一緒にいるならこの人と』と思うようになっていった。 そしてドリーの17歳の誕生日にアーサーがプロポーズして結婚。アーサーは実家の農場を改造してドリーのために小さな薬屋を作った。アーサーの両親は数年前に大流行した疫病で命を落とし、二人には大きすぎる家を持て余していたという理由もあった。 ここに店があればドリーが毎日楽しみながら、家の事も任せられる。 二人で朝早くから起きて家畜の世話をして、朝食を食べたらアーサーは再び牧場へ、または予約が入っている日は獣治療の仕事に、そしてドリーは家事をしながら薬を調合したり、店番をしたりの毎日。 そんな二人にも1年半後、初めての赤ちゃんが生まれる事となった。
今日のアーサーの仕事も終わり。先月のとは打って変わって今日の馬のお産はとてもスムーズに終わった。とても幸先が良い気持ちになる。
「いやあ、アーサーいつもありがとう。本当に助かってるよ。」
「いやいや、これも仕事ですから、ベイカーさん。それに今日はすんなり生まれてくれたので、僕なんか要らないくらいでしたからね。」
「先月のように逆子みたいな事もあるからな、やっぱり治療師さんに来てもらうだけで安心感が違うんだよ。」
「そう言えってもらえれば助かります。 それじゃあ、今日はこの辺で。」
「なんだぁ、もう帰るのか? いい酒が入ったんだ、一杯やってかねーか?」
「実は、うちのカミさんが今朝産気づきまして、きっと、もう生まれてると思うんですよ。」
「何だって? それを早く言わねーか、そりゃ飲んでる場合じゃねーな。とっとと行ってやれ。」
「ありがとうございます、じゃあ、早速」
アーサーは、慌てて荷物をまとめにかかる。といっても簡単な診察道具が入った小さなカバンだけだ。 今日はドリーのお産に直行する事を考えて荷物は少なめだ。家まで4キロほどの道のりを走って行かなければならなのだ。
「おう、アーサー、急ぎたいだろうから、どれでも好きな馬に乗っていきな。また落ち着いたら返しにくればいい。」
「いや、ベイカーさん、それは流石に悪いっすよ。」
「なあに、オマエに貸している間のエサ代も浮くしな、もし気に病むんだったら、何なら今日の料金を負けてくれればいい。」
「あははは、さすが大牧場主はしっかりしてるなー、診療費は負けられないけど、お言葉に甘えて馬は借りていきます。今度おいしい酒でも持ってきますんで。」
言うが早いがアーサーは一番近くに繋がれていた4歳の牝馬の綱をほどき、鞍もつけていない背に飛び乗ると、颯爽と駆け出した。 畜産家、獣医として生まれた頃から動物に親しんできたアーサーにとって、この近辺で飼われているほとんど全部の動物と仲良しだったし、貧乏故に鞍もなく馬に乗るのが当たり前だったから。
アーサーが家に付いた時、ちょうど赤ちゃんが生まれたところだったらしい。 産婆さんのエリザベスがちょうど外に出て身体を伸ばしている庭にアーサーは飛び込んでいった。
「おかえり、アーサー、無事に生まれたよ、中でドリーが抱っこしているよ。」
「ありがとう、エリザベス!」
返事を待つ間もおかずアーサーは家に飛び込んでいく。 馬はエリザベスがつないでおいてくれるだろう。
夫婦の寝室に入ると、ドリーが真っ白な何かを抱えながら最高の微笑みでこちらを見つめていた。
「ドリー、よくやった。 ついてやれなくてゴメンな。」
「ううん、ベスもいたから大丈夫。 仔馬も無事?」
「ああ、早く走りたいとでも言いたげな顔でスルッと生まれて来たぞ。」
スルッっとの言い回しが可笑しかったのか、ドリーはクスッと笑うと、上半身をひねって腕の中の白い布にくるまれたフワッフワなものがアーサーによく見えるようにした。
「女の子なの。 ねえ、私、産む時ね、すっごく苦しいかったから、何か別の事を考えようとしてて、そしたら浮かんだの?! この子、エリーって顔してない?」
「へー、これが、、、何か変だな、俺、よく考えたら生まれたての人間見るの初めてだよ、、、あー、すげー、もう爪が生えてるんだ! まつ毛も産毛も生えてる! うわー、ちゃんと人間なんだな、そうだ、人間なんだよな、俺とドリーの子なんだよな! うわー、すげー、 エリーだっけ? うん、なんか言われてみれば段々エリーって顔に思えてきた。 いい名前だ。 うぉぉぉぉおおおお! 俺もオヤジになったぞーーーーー!!!!」
部屋を飛び出してはしゃぎ走り回るアーサーをドリーは微笑みながら見ている。 こんなに愛されている私とこの子、もう、幸せな将来しか見えない。 近頃は疫病も流行ったり、干ばつがあったり、税が高くなったりと悪い事ばかり続いているように思えるが、今この時は、かけがえのない最高のひと時。 たとえこれからどんな困難が待ち受けていようと、私達三人なら必ず乗り越えて行ける、そう思わせるに十分な春の午後だった。