本当の気持ち
「秀くん! 秀くん!! しょぼ顔秀介くん!!?」
頬をバシバシと叩かれる感触と、自分を呼ぶ声が聞こえてくる。
秀介は「う……ん」と呻き声ともつかない声を口から漏らしながら、机にうつぶせになっていた状態を起こして目を開いた。
「あら、起きたかしら」
「わっ……琴乃先輩!」
クリアになった視界に映ったのは、生徒会役員で3年書記担当の更科琴乃だった。
今日の生徒会会議に不在だった彼女が何故ここにいるんだろう、と思いながらも秀介は彼女にこう尋ねた。
「琴乃先輩、起こしてくれるのはありがたいのですが、さっき後半なんて言いました?」
「……風邪引くわよ」
しかし、琴乃は秀介の問いかけなどスルーだ。
琴乃は目を大きく開いて、秀介を見つめながら口を開く。
「秀くん、いつもの居残りお掃除?」
彼女は「大変ねぇ」と言いながらも手伝ってくれる様子は全くない。
秀介はさっき掃除を再開しようとほうきに手に取ったのはいいが、結局やる気が出ずにイスに座り込み、色々考え事をしているうちに机に突っ伏していたら寝てしまったようだ。
いくらなんでも無駄な時間を食った、と秀介は項垂れながら反省していた。
「琴乃先輩? 生徒会来ないからてっきり帰ったのかと思いましたよ」
「うーん、ここに忘れ物してたの思い出してね」
先輩は前髪を後ろに流しながらそう言う。
「そう……ですか」
彼女の大人っぽい仕草に一瞬見惚れた。
――美紗緒先輩も美人だけど、琴乃先輩も美人だよなぁ……
「あった、コレコレ!」
秀介は視線で彼女の動きを追う。
琴乃は棚の一番上の段の奥に手を伸ばしていた。
そして、彼女が手に取ったのは単行本。
―――『愛憎の日々』だ!!!
秀介は思わず口を全開にしていた。
彼は過去に生徒会に所属した男子生徒の持ち物か、勢か義実のモノだと考えていたからだ。
―――琴乃先輩って、一体……
「良かった。こんなトコにしまっちゃったのね」
嬉々とした様子で、琴乃は持っていたカバンの中にその本を入れて、ドアのほうに向かう。
秀介は、愕然とその様子を見ていた。
「それじゃ、帰るね~。秀介君、邪魔してごめんね」
ドアノブに手を掛け、琴乃がそう言ったところで秀介は我に返った。
「あ~、ちょちょちょ……ちょっと待ってください!」
そして思わず、秀介は琴乃を呼び止めていた。
「聞きたいことがあるんです!!」
秀介がそう言うと、琴乃も足を止めてドアノブから手を放すと秀介のほうに向き直った。
秀介が必死になっているのを、琴乃も感じ取ったのかもしれない。
そして、にっこりと微笑んで秀介に言った。
「じゃ、私帰るから~頑張ってね」
とてもいい笑顔だ。
彼女は思わせぶりに立ち止まっておいて、改めて帰ろうとしていたのだ。
「ちょちょちょ……待たんかい! あんた話の流れを綺麗に無視すんな!」
秀介は思わず琴乃の意味不明な行動に対し、衝動的に肩を強く掴んでしまう。
「いたたたた……。冗談だってば!」
「いや、あの! すみません、すみません!!」
秀介は、衝動的とはいえ琴乃に乱暴な態度を取ったことを謝った。
琴乃は「こっちもふざけてゴメン」と言い、掴まれた肩を擦りながら秀介の真向かいのパイプイスに腰掛けた。
先ほどのニコニコした表情ではなく、笑顔が消えて真面目な顔つきになっていた。
そして、秀介が口を開く前に琴乃が先に言葉を発した。
「秀くん、生徒会……辞めたいとか言うんでしょ?」
「え……あ、はい」
琴乃は、どこかで何かを感じ取っていたんだろうか。
「そうだよね」と言いながら頷いていた。
「あれだけ美紗緒にこき使われてれば誰だって嫌になるよね」
琴乃はひじを机に立てて手を顔の前で組む姿勢になる。
「僕は、なりたくてなったわけじゃないんです」
秀介の言葉に「そうだね」と、言いながら琴乃は続けて言った。
「でも、一旦任されたことを途中で放棄しちゃうの?」
「え……」
いきなり嫌なところを突かれ、秀介は返す言葉が見つからなかった。
視線が少しばかり泳ぐ。
しかし、彼女は「まぁ、でも辛い仕事は無理してやる必要はないと思うんだけどさ」と、朗らかに言って続ける。
「でもさ、辞めたいって言うのも私に対していう言葉じゃないよ。ちゃんと美紗緒に言わないと」
彼女は「秀くんを選んだのは、美沙緒なんだしね」と、言った。
「……はい」
確かに、本来言うべき相手は美紗緒だ。秀介もそれは分かっていた。
誰かに聞いて欲しかっただけだったのかもしれない。
「じゃ、申し訳ないんだけど私は先に帰るね。力になってあげられなくてごめんね」
そういい残すと、琴乃は立ち上がり再びドアのほうへ向かった。
秀介も分かっていたが、琴乃は意外と厳しいのである。
―――僕。先輩を引き止めてまで、先輩にどんな言葉といってほしかったんだろう……
秀介は情けない気持ちでいっぱいになり「はぁ~」と溜息を吐く。
「秀くん、辞めるなら辞めるで最後まで言われた仕事はしっかりやるんだよ」
ドアノブに手をかけたまま、琴乃は秀介を見ずにそういった。
「わかってます」
「でもさ、美紗緒はキミのこと信じて仕事任せてるんだから。頑張って」
「は……い」
秀介の言葉は消え入るように小さい。
彼の不安感や虚しさが、その声から伝わってくる。
「美紗緒も馬鹿だわ」
琴乃の独り言ともつかない声とともに、ドアの閉まる音がした。
「え……?」
ドアのほうを見れば、やはり既に琴乃の姿は無い。
再び秀介は生徒会室で一人きりになった。
―――美紗緒も馬鹿だわ
あれは、どういう意味だったんだろうか。
秀介は生まれた小さな疑問を胸に、箒を再び手に持った。
先輩が生徒会室からいなくなって、すぐに秀介は掃除を始めた。これがすんだら本当に生徒会を辞めてやるつもりで、一生懸命やっていた。
怖いけどちゃんと美紗緒には言う。
これが最後の仕事だと思ったら急に方の力が抜けたのだ。
―――最後なんだからきっちり仕事してやるさ!