あの日の出会い
秀介が生徒会に入ることが決まったのは入学式のことだった。
秀介が上の高校を目指していたこともあってか、彼は賢木高校入学式において新入生総代の挨拶を務めた。
秀介は初めて人前に立った。緊張で身体がガチガチに硬くなったままの挨拶は、誰が見ても滑稽であったに違いない。
入学式前に、総代挨拶の説明で一度学校に呼び出されていた秀介は、その時に美紗緒に初めて会った。それは、秀介はまだ中学校の制服を着ていたときだ。
学校に着き、秀介が待たされていた応接室に、突然現れたのが美紗緒だったのだ。
「こんにちは」
「え……はい」
「私は2年……いえ、新3年の滝元美紗緒といいます」
美紗緒先輩は「よろしく」と言ってにこっと笑った。
その笑顔をみた瞬間、秀介の視界はまるで朝日が差しこんだように輝きが増したのだ。
―――すごい、きれいな人だなぁ……
そのときの秀介は、目の前の美紗緒の美貌に圧倒されていた。
今まで見たことがないような艶のある黒髪。聡明な眼差し。
その黒目がちな瞳は、淀みがなく美しい湖面のように煌めいて見えた。
―――吸い込まれちゃいそうだ……
秀介は、その瞳に魅入られていたのだ。
あの笑顔にだまされていた。
振り返る度に、彼はそう思うのだった。
ニコニコとした美紗緒の笑顔は、秀介には裏の無い純粋なものに見え、秀介の胸はかつて無いほどに高鳴っていたのである。
「ぼぼぼぼ……僕はこの4月からこの学校に入学する長戸です……」
見たことも無い美人を前に、極度に緊張した秀介は自己紹介をするもどもってしまう。顔が熱くなり、いやがおうにも赤くなっているという事が自分で分かる。
「うん、知ってるよ。総代の、長戸くん」
美紗緒は「フフッ」とやわらかく笑いながら前髪を自然な動作で左手で後ろに流した。
その動作だけで大人っぽい彼女の表情に艶が差す。
「そ……そうなんですか」
「私は生徒会長なの。貴方と同じように、入学式でスピーチするのよ」
「生徒会長さんですか! せっ生徒会長だとそういうことやるんですね!」
秀介は、彼女が『生徒会長』であるということを聞き、驚くと共に自分でも良く分からない返答をしてしまう。しかし、彼女がここへ来たのも色々な打ち合わせのためとか、と納得ができた。
秀介が美紗緒をぼぅっと見つめていると、美紗緒はおもむろに話を切り出してきた。
「ところで、貴方に一つ頼みごとがあるの」
「え……? 僕に!?」
美紗緒は思わず一歩身を引いてしまった。
「な、なんでしょうか……?」
初対面の上級生に頼みごとをされるなどと、いきなりのことで当然驚く。秀介は恐る恐るそう尋ねた。
入学式の挨拶で言うキーワードのようなことを言われるのだろうか。
それとも、何か重大な発表でもしろとか言うのだろうか。
彼女のその『頼み』は、全く想像もできない。
しかし、次に彼女が発した言葉は秀介には思いもよらない事だった。
「貴方に生徒会に入ってほしいの」
「へはぁ!?」
いたって真面目な風の彼女の口から突拍子も無い言葉が発せられ、秀介は素っ頓狂な声を上げてしまった。
「ぼぼぼぼぼ、僕は新一年生なんですけど! しかも入学前ですよ!?」
目の前に手に両手を突き出して、「いやいや!」と何度も言うのに合わせて手のひらを左右にそれを振る。それにつられてか首も横に振っていた。
「まぁ、そんなに焦らないで。別にキミに押し付けるとか、そういうのじゃなくてね」
美紗緒は秀介の左肩に右手を軽く置いて笑いながら言う。
先ほどの笑顔とは少し色が変わっている。
秀介の目には、黒いオーラのようなものが彼女の後ろで渦巻いているように見えた。だが、すぐさまキレイな笑顔にその錯覚を打ち消す。
「私も困ってたの。でもキミなら大丈夫だろうと考えてね。人を見る目はあるのよ、私は」
秀介の肩に置いていた手を放し、両腕を組んで「大丈夫!」と続けて言った。
「ど、どういった役職ですか? 書記とか……会計ですか?」
秀介はがっくりと肩を落としながら視線だけ美紗緒に向けて尋ねる。
「やってくれるの?」
「うーん……あぁ……」
ワケのわからない状況になり、秀介はお茶を濁すような返答しかできない。
秀介の判断の付かない言葉に、美紗緒のほうは「やってくれるわよね」と半ば強引にことを進めようとしている様子だ。
先ほどまでの、やわらかかった美紗緒の雰囲気が徐々に威圧的なモノに変化している。そのことを秀介ははっきりと感じていた。
「キミにやってもらいたいのは、“総務係”」
「そうむ……がかり?」
秀介が今まで聞いたことも無い役職名だ。
一体何をするものか分からず、秀介は眉を顰めた。
「何……の役職ですか?」
「んん~~……なんでも係ね」
「はぁ?」
美紗緒は、そうざっくりと言った。
なんていい加減なポジションなんだ、と秀介は声に出さずに思った。
口をあんぐりと開け、美紗緒を見る。
彼女は何でもなさそうにニコニコとしていた。
「じゃ、よろしくね。また後日、入学式にでも会いましょうね」
それだけ言うと、要件は済んだとでも言うように、さっさと応接室から出て行こうとドアノブに手をかける。
「え……それだけの為にここに来たんですか!?」
「いえ。ただの挨拶だけのつもりだったんだけど……キミの顔を見て決めたの」
彼女の言葉に「僕の、顔を見て?」と首をかしげる。
「ピンと来たの……ふふ、またね」
そう言い切らないうちに、応接室のドアを開いて行ってしまった。
ドアが閉まる音が虚しく部屋の中に響く。秀介の言葉を拾ってくれる者はだれもいない。
彼は、その場に呆然と立ち尽くしたのだった。