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14.ゴシック・ロリータ

 あれから浮月さんにはどうにか怒りを抑えてもらって、僕らは何事もなく校外まで出ることに成功した。

 とは言え、制服姿で長く外を出歩くわけにも行かず、僕らは真っ直ぐ浮月さんの家へと向かっていた。

「ごめんなさい、星田くん」

 と、浮月さんは道中、申し訳なさそうに縮こまっていた。

「どうも白地さんに関しては些細な事が苛立って仕方なくて」

「珍しいよね、浮月さんにしては」

 凶器がないにも関わらずだから、本当に珍しいと思う。

「えぇ、元から面識だってなかった、のに……?」

 浮月さんは言葉の途中でこちらを向いた。

「……何?」

「わかりませんけど、何だか星田くんにムカついてきましたよ」

 ……ちょっと何を言われているのかわからなかった。

「さっきまで謝られていた気がしたけど」ほんの十行前くらい。

「取り消します。むしろ謝って欲しいくらいです」

 えぇ……。

 しかし浮月さんは、戸惑う僕の表情に含まれる何かしらで機嫌を直したらしく。

 それにしても、と微笑む。

「学校をサボって女の子の家にお邪魔するなんて、素行だけならすっかり不良ですね、星田くん」

「誘った本人の浮月さんこそ、何だか嬉しそうだけど、『普通部』的には大丈夫なのかな」

「構いませんよ、きっと。だって『優等生部』ではなく『普通部』なのですから、多少のお茶目はむしろ推奨されるはずなのです」

「お茶目……」

 まさか昨日の拷問も浮月さんの内側ではお茶目の範囲だったのだろうか、なんて。

 そんな疑問をしかし口には出さないまま、彼女の先導する後ろをついていく。浮月さんの実家には何度かお邪魔したことがあるけれど、大体の場面が夜であったり雨であったりで、昼日中のこの周辺となるとあまり地図がはっきりしない。一度あぜ道を経由してから別の住宅街へと入る。歩道との境目がないアスファルトに電柱列が並び、ぱっと見るだけなら僕の家の周辺と似た宅地なのだけど、先へと進むに連れて古びた家や空き地が増え始める。視界の端、塀の隙間からのっそりと林が現れたりする頃に浮月神社の境内へと続く階段が姿を見せる。

 浮月さんがスカートの端を気にする仕草をして、僕は高低差を詰める。

 階段の途中で上の方から降りてくる猫とすれ違い、浮月さんは軽く会釈した。白猫は偉そうに一瞥しただけで、しかし彼女は気にした様子もなく登っていく。そういうものかと思って僕の方も会釈すると、にゃん、と返事を寄こし降りていった。

 振り返ると浮月さんは少し不満そうだった。

「どうしたの?」

「……星田くんは動物とも会話できたんですっけ」

 かぶりを振る。

「私には懐かないのに」

 どうやら猫に返事をされた程度で嫉妬されていたみたいだった。

「……」

 竹林の作る木陰に何度か折れて、最上段の手前で振り返った高みからは街全体が見下ろせる絶景だった。

 鳥居をくぐる。

 しかし、拝殿へと続く石畳からは外れるように裏へと回って、玉砂利を踏みしだく。正面から見えない作りになっている側には、至って普通の民家らしき玄関口が用意されていた。

 浮月と表札のかかった、その小さな木造の扉を開ける。

「居間に母がいると思うので、そこで待っていてもらえますか」

 先に靴を脱ぎ、二人分の室内履きを出した浮月さんは、そう残して二階へと引っ込む。僕の方はといえば、板張り廊下の木目から伝わる冷たさに驚きながら、出されたスリッパを爪先につっかけて、パタパタと奥を目指す。居間の場所をよく覚えていないまま取り残されたせいで、適当にこの辺りだったかと開けた部屋がどうもそれで正解だったらしく、中央の空いていた座布団に腰を下ろした。

 ちゃぶ台越しの向かいに座っていた浮月さんの母親が、化け物でも見るような目でこちらを見ていた。目が合う。

「お邪魔しています」

「……」

 震える両手をちゃぶ台につき、すっと立ち上がって揺れる足取りに、浮月さん(母)は居間から出て行ってしまった。

 そのまま帰ってこないかに思えた彼女はしかし、しばらくしたらあっけなく帰ってきて、僕の前に紅茶を差し出した。

「ごゆっくり」

 彼女自身がまったくごゆっくりできなさそうな表情で下がっていった。たかだか数分さえも同じ空間には居たくないとでもいうかのように。余程紅茶に毒でも入っていないかと疑ったけど、悪食体質ゆえ死にはしないだろうと、そこは腹を決めて飲み下した。味は薄かった。

「……どうして湯呑みなんか使っているんですか?」

 戻ってきた浮月さんの一言目はそれだった。

「どうしてだろうね」

「アールグレイですね」

 そう言い残して、お母さんと呼び掛けながら奥へと向かった浮月さんの背中はゴシック・ロリータに包まれていて、実用性とはほど遠い作りのリボンで黒く結ばれていた。しばらくして戻ってきた彼女はティーポットとティーカップを持ってきていて、僕の前の湯呑みをさっと奪い去りティーカップに淹れ直して差し出してくれた。

「……」

 もう一度見直しても、彼女の私服姿はゴスロリだった。

 ここは神社で、和室で、かろうじて飲んでいるのは紅茶(皿付きティーカップ)ながら、それでも違和感が打ち消せない。

「包帯が目立たなくなるんです」

 そういう種類のファッションなのだとは、流石の僕も知っていた。

「確かにそんな方向性もあるだろうけどさ」

「似合うでしょう」

「似合うからこそなんだけど」

 続けて言いかけたものを途中で諦めて、僕は肩をすくめた。

 会話の節目を見て取った浮月さんが、本題を切り出す。

「対策を考えましょう」

「白地さんへの?」

「のみならず問題全体に対してですね」

 このままでは落ち着いて登校もできませんから、と。

 しかし僕は、浮月さんの落ち着かない登校というものが想像できなかった。

「今のところはっきりしているのは『死体消失』だけ?」

「あとそれから、似た別物として翌朝に登校してくる、なんてことが今朝判明しましたね」

 これで仮説その二。『成り代わり』の立証完了です、と誇らしげだったけれど。

 その説明だけではまだ少し足りない気がした。その旨を指摘してみても、浮月さんはピンとこなかったらしく、首を傾げる。

「と言いますと?」

「だって昨日、僕らは白地さんを深夜遅くまで拘束したはずだよね」

 その切り出しでようやく、僕の懸念が通じる。

「……あぁ、そうですね。私たちのような『異常』の生まれならともかく」

「『普通』な家庭に暮らすはずの白地さんが、家族に探されもしなかったのはおかしい」

 それこそ捜索願いくらい出されても仕方のない時間だった。

 僕の考えを浮月さんはしばらく考えている様子だった。

「そこは少し失念してましたね。A組の皆さんの方とて、死体が消えた昨日の放課後から今朝時点まで、ずっと死にっぱなしだったと考えるのは無理があります」

「つまり、死んだ瞬間には自宅に復活する?」

 自宅。それ以外だと生まれた場所。殺された場所。殺した相手の隣。

 ……。どれも微妙にしっくりこない。昨夜白地さんが死んだのは真夜中過ぎだったから、それまでの間彼女がこの世界のどこにも不在だった、と考えるのもまた無理がありそうな話だった。あるいは白地さんの両親さえも、すでに殺されてしまっていたりするのだろうか。

「もしくは、まだ想像にすぎないのですが。そもそも学校で活動する白地さんと自宅で活動する白地さんは別物なのかもしれません」

「うん?」

「つまり、私たちが思うほど被害は大きくないのかもしれません」少し考えて。「……いえ、これも実際に見てみないことには説得力がないですね」

 と自説の展開を途中で控えた。その先は気になったけれど、浮月さんが慎重に進めようとしている物事のテンポをあえて崩すのも気が引けて、僕は話を変える。

「ならやっぱり現状、僕らにできるベストは放課後以降の監視辺りかな」

「そう思います。次点は私たちの手で改めてA組の皆さんを抹殺とか」

「……」

 浮月さんはテンポなんてものをあまり深く考えていないのかもしれない。

 ともかく、と。散らかった話題をまとめるように机を指で叩く。

「もしこれ以降も感染。仮に感染としますが、それが広がるならば、二人で対処できるうちに感染者を叩いておく。というのもどうせ翌朝には生き返ってくるから無駄でしょうけれど、監禁くらいはしてみても良いんじゃないかと思います。あくまで最後の手段ですが」

「その辺りが現実的かな」

 パンデミックなんてゾンビ映画のお約束で、それを防ぐ一番の手立ては、迅速な感染者の隔離だろう。

「となるとやはり、感染源の存在を真っ先に抑える必要があります。最初に白地さんを突き落とした誰か。白地さん本人が拷問を通してさえも頑なに素性を隠そうとした相手です。そんな存在が残っている限り、仮に私たちがA組全員を捕縛したとしても、その誰かは別クラスを起点に同じことをやり直すだけでしょうから」

 ですが、と続ける。

「監禁の結果、A組全員が登校して来なくなれば、流石に警察が呼ばれてしまうかもしれません」

「あぁ、それは困るよね」

 言いきってしまえば今のところ、僕らの方こそがただの誘拐犯なのだ。

 それに。万一司法の場へ引きずり出されたとして、僕の方はともかく浮月さんはといえば、たぶん叩けば叩くほどに埃しか出てこないだろうし。

 つまり穏便にことを収めたいのは、こちらも同じということだった。

「改めて見ると結構八方塞がりだね」

「まぁこれはあくまで、もし正面から対峙するならの話です」

「協調路線もありうる?」

「理想はそうなのですが、結局は向こうの目的次第でしょうね」

 と肩をすくめる。

 しかし言外に彼女自身、その可能性を考慮の外に弾いているようにも聞こえた。

 だからというわけでもないだろうけれど。

「私、普通部って結構すごいと思うんです」

 唐突に自画自賛が繋がる。

「その心は?」

「そのままの意味ですけど」と、首を傾げる。

 そう可愛くきょとんとされても困ってしまう。

 仕方なく真面目に問い直す。

「何が言いたいのかさっぱりなんだけど……」

「つまりですね」と、顎に指を当てて。

「私たちの側から見れば、『普通』というのは才能のたぐいだと思ってしまいますよね」

「……まぁ、そうかもね」

 『普通』になることにも生まれ持ったものが必要なのだろうとは日々痛感するところ。それはもちろん、僕らが『異常』であるという点を差し引きした上でのことで、例えば家庭、環境、過去と並べてみて、どれを鑑みても『普通』であるためには『普通』のそれらが必須項目に思える。

 だからこそ僕らはテンプレートを模倣する。後天的に学習したそれらを基盤とすることで初めて、『異常』な僕らは『普通』な人々と同じ行動原理や思考手法を手に入れることが出来る。

 浮月さんは首を振った。

「違いますよ星田くん。『普通』であるとは結局、所属意識の問題なんです」

「……」

 提示された答えのあまりの簡明さに、束の間言葉を失う。

 それはだから、つまり。

 どうにか問い返した僕の声は、少し震えていたかもしれない。

「……なら僕らは、いつか『普通』になれるの?」「なれません」

 と、断言される。

「……」

 正直なところ。

 ずっと前から、薄々そうだろうなと予感はしていた。

 されど改めて言葉にされると、目の前が暗くなる思いだった。

 沈黙の底を歩き始めた僕を差し置いて、浮月さんは続ける。

「偽りなく生き続けるかぎり、きっと私たちは一生『異常』の側でしょう。それでもたぶん、私たちは『普通』であろうとしなければならないのです」

 ……。

 デインズさんに問われて、僕が『人間』ではなく『普通』を選んだ意味を、今更に答え合わせされたような気分だった。

 それはなんて絶望的な道程なのだろう。

 生涯。人にはなれないことを踏まえながら、人として、人に寄り添って生きていかねばならない。『異常』としてマイノリティに生まれたからというただその一点だけの理由で。

 決して僻んだりしない。媚びも妬みもせずに、ただ淡々とマジョリティたる『人間』に受け入れられることを求める。そのための努力をひたすらに積み重ねる。

 浮月さんが立ち上げた『普通部』とは、恐らくそんな場所だ。

 彼女の選んだ道が間違っているとはまったく思わない。むしろその在り方が正しいと心の何処かで感じたからこそ、僕は彼女に付き従ってここまで来たのだろう。

 されどそうであるならばこそ、きっと。

 僕らは絶対に白地さんたちとは相容れない。

 だから、と浮月さんは続ける。

「だから『普通』であろうとしない限り、彼女たちは『普通』ではないのです」

 彼女たちが侵略を止めない限り、私たちの間に歩み寄りはなく、協調もあり得ません。

「……そう」

 と、答えた僕の声音に浮月さんは首を傾げる。

「どうかしましたか?」

「いや、」大丈夫だよ、と。

 一瞬、ほんの少しだけ覚えた違和感を、あえて飲み下す。

 浮月さんの示すそれとは、また何か別の道があるのではないかという淡い希望。

 僕らだけでなく白地さんも含めて、誰もが上手くそれぞれの道を選び、緩やかに繋がり続けられるような。

 所詮、世間知らずな僕の描く絵空事ではあろうけれど。

「話は変わりますが、星田くん」

「何かな、浮月さん?」

 僕は自身の戸惑いを取り繕うように微笑む。もう全体としての方針は決まったのだから、特にこれといった議題は残っていないはずと思いつつ。

「私、今まで家まで遊びに来るような友達っていなかったんです」

 その声の、思った以上の真剣さに視線を上げる。

「マリカやりませんか?」

「……」

 マリカをすることになった。

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