気まぐれ
蹴ったサッカーボールが明後日の方角に飛んだ。
弧を描き地に落ちていく。
ドン、ドン、と地と空を数回行き来して止まる。
私は私が蹴ったそれを拾いに行かねばならなかった。
拾いに行った先のコンクリートに多くの赤いダニが存在していた。
ウロウロと徘徊していた。
私は『このダニにつばを落とす』という思いつきを行動してしまった。
ダニは吐かれたつばの中で身動きが取れなく静かで、私はこのダニが死んだのではないかと心配になった。
つばの中からダニを取り出すためにつばに指を入れた。
粘着質なそれの中でダニを取り出すのは難しかった。
取り出すために力を入れると、とうとう赤いダニは潰れてしまいコンクリートの上の赤い線となった。
潰した私でも驚く程に鮮やかな赤。
鮮血色とはこれを言うのだ、と誇らしくなったのも束の間であって、私の稚拙な思いつきで1つの命を奪った事を悔いた。
いや、悔いたという言い方はおかしい。
心から悔いてはいないが、その心は悔いている心そのものだ。心が悔いようとしているという言い方が正しい。
まるで『こうあるのが正解だ』とあらんばかりに、心が動いている。
狩猟が中心のその日暮らしの頃の人は動物を殺した時きっとこんなことは考えなかっただろう。
スーパーに行けばバラバラになった動物達が低価格で売られている時代だからこそ歪んだ倫理観。
人間はその親から、社会から洗脳を受ける。
これもまたそれに影響されたものなのかもしれない。
ボールを元にあった場所へ返して、家に帰る。
漆黒に塗られた空気に黄色を添える電柱がポツポツと続く道を私は自転車で走った。
漕げば漕いだだけ進む。
それは私が自転車を好む理由の1つであった。
努力が報われるのは嬉しいから、努力が報われないのは悲しいから。
人生は理不尽で大変憂き事が多いと知ってしまったから。
家に着きドアを開けようとドアに近づくと私の前を何とも知らぬ虫が横切った。
カブトムシのように尻を下にされ、重力に引かれまい地に落とされまいと懸命に飛ぶそれを見て私は手でこの虫を払おうという野暮な事を考えるのはやめた。
きっとこの虫は飛ぶことに向いてはいない。それでも、というその姿に私は心を打たれたのだ。
私はしっかりと虫がどこかへ飛ぶのを見届けてから家に入った。
この事を後に疑問に思ったが、私にはあのように飛ばんとする心がない故にあの虫を少し尊敬して見ていたのだと結論づけた。
家に帰ってしばらくしてから分かったが親や社会から受けた洗脳を人は『文化』とか『常識』と言うのだ。
歯を磨く、服を着る、箸を使う。
親が教えなかったら知り得なかった要素達。
やはりそれらは『洗脳』にイコールで結ばれる存在であると私は考えた。
次の日学校に行くと靴箱から私の靴が消えていた。
職員室に行き来賓用のスリッパを借りた。
教室に入ると数人が私のスリッパを見てほくそ笑んだ。
しかし私は特に嫌ではなかった。
あの赤いダニ同様に人生とは気まぐれで何かを奪ったり何かを奪われたりする。
きっとこれは何かを奪った私の帳尻合わせや、贖罪と言った意味を持つのだろう。
決して何事もなく授業を終えて掃除をして帰り道を歩くと私は後ろからスクールバッグのあたりを蹴られた。
私は前のめりに倒れて、石が体に刺さる。
後ろから笑い声が聞こえる。
きっとこれは私の贖罪で、あいつらもこの贖罪が後に起こる。
それでもこの状況からの救いを求めるのは良くない事だろうか。
私は出来た人間ではない。出来た人間ではないからと言って故意的に虐げられるのは理不尽ではないだろうか。
それでも私はその心を行動にする事は出来ない。
そんなこと私はできないから。
砂まみれの服を払いながら歩く不格好な帰り道。
私はこれから先何1つとして変えれないまま人生を終えるのだろう。
そんな時にまたあの虫を見つけた。
胴体をぶら下げたような飛び方で、不格好だが懸命に飛んでいるあの虫だ。
今日も今日とて重力に負けそうになりながらも必死に飛んでいる。
その姿に再び私は感銘を受けた。
私もこうあるべきなのだ。こうあらなくてはいけない。
その日ずっとその虫のことが頭に残って、その事しか考えられないぐらいに私はその虫から決意をもらったのだった。
次の日の帰り道、また後ろから蹴られる。私は前のめりに地面に倒れたが、倒れただけではなかった。
昨日体に刺さっていた野球ボールぐらいの大きさの石を手に持ち立ち上がり、奴らに投げた。
石は勢いよく飛んでいき、1人の顔をかすめて後ろのガードレールに当たって非常にけたましい音を立てた。
私は奴らが驚いている間にもう片方の手の石を投げた。
1人の胸に当たってドスッと鈍い音が聞こえた。
息が荒く紅潮している私を恐ろしいと思って奴らは逃げ出した。
その後ろ姿を見て達成感を感じた。
私が1つ変えた。何も出来なかった私は変われた。
私は私が尊敬したあの虫になれたのだ。
遠くを見るとあの虫が見えた気がしたが、錯覚だと分かった。
家に帰って調べてみるとあの虫は『オサムシ』と言うらしい。
なんだか名前まで不器用で少し笑ってしまった。
それでもきっとオサムシに支えてもらったこの出来事はきっとこの先の人生で長く重宝されるだろう。