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あくる日の六月より  作者: 榎本知音
第一章 不良少女と通り雨
7/31

以前投稿していたものの、改稿版になります。

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 2


 テレビの音が小さく聞こえている。お堅い喋り方から、ニュース番組だというのが容易に予想できた。

 顔を上げると、一目で作りがしっかりしているとわかる机に、突っ伏して寝てしまっていたことを思い出す。なんだか、あの部屋にいると不安に駆られるのだ。だからこうして、気晴らし程度に休憩室でぼうっとするようになった。初めの頃は、ここも人が大勢いてゆっくり安らぐことができたものではなかったが、通う内に利用者の少ない時間帯を見定められ、その時間帯になると自然と、俺の足は休憩室へと向いていた。

 見渡してみると今日は、初めまして見る人たちが、緑色の硬そうなソファに3人組で腰掛けている。小声で話しているせいで、内容までは聞き取れはしないのだけれど、会話を楽しんでいるようだ。

 俺はまた机に突っ伏した。

 目を瞑てもこれ以上は眠れそうにない。いい加減、あの清潔な白に色塗られた、緊張感の絶えない部屋に戻ろうかと考えていると、俺のすぐ隣の椅子に人が座る気配がした。わざわざ隣に人がいる椅子に座らなくてもいいのに、と思っていたが、そんなことするのはまた、あの『いつもの子』だろうと思いそっとそちらを覗いてみると、案の定であった。


「やっほ」

 俺と目が合うと『いつもの子』は陽気そうに軽く挨拶をしてくる。それに返事をしない、というのがここ数週間の一連の流れとなっていた。

 『いつもの子』はおもむろに口をひらく。それは驚くほどたわいのない話で、俺はほとんど聞いていなかった。覚えているのは、数日前に話していたナゾナゾの作り方と、回文のことだけだった。両方とも自分で作ろうとは、思えなかったけれど、聞いている分には楽しかったんだと思う。

 今日はまた違う話をしているみたいだ。

 机にもたれかかっていた身体を起こし、『いつもの子』を放っておいて部屋に戻ろうとしたところで、急に背中に強い痛みを覚えた。反射的に背中に手を回す。数日ぶりに出た後遺症だと思われる。俺はその場に倒れこんだ。だんだんと意識が遠退いていく。『いつもの子』の必死の叫びが次第に小さくなっていき、終いには消えてしまった。



 いや、微かに聞こえていた。

 体も、軽く揺すられているようで、その都度背中が痛みを訴えてくる。

 俺は朦朧とする意識の中、薄目をあけて辺りを探るように見回した。カラフルに彩られた遊具がまず目に入る。その周りでは、小学校低学年くらいの子どもたちが、甲高い声を上げてワイワイと騒いでいる。どうやら俺は、公園にいるようだ。しっかりと身体を起こす。まだ背中に痛みがある。背中を擦りながら、もう一度周りを確認すると、よく見知った公園だとういうことに気が付いた。俺の自宅の近所にある小さな公園だ。

 しかし、自分がなぜ公園にいるのかが理解できない。記憶が正しければ、俺はついさっきまで学校の屋上にいたはずなのだけれど。

 そこであることに気が付いた。

 さっきまで一緒にいたはずの、多下幸の姿が見えない。身体をねじり、後ろを確認してみると、俺が今座っているベンチの背もたれの奥に、少女が立っていた。


「えと、大丈夫?」

 その少女は明らかに警戒した顔で、俺に問いかけてきた。その証拠に、少女の手は胸の前で握りこぶしを作っている。完璧な防御姿勢だ。

 さすがにその少女は、多下幸とは別人のようだ。

 俺は警戒心を少しでも解いてもらうために、いつもは使わない、なるべく優しい声で、「大丈夫」と答えると、その少女は安堵の溜息をついた。俺の態勢がきつそうに見えたのか、少女は、はっと気が付いた表情を見せると、俺の真ん前まで回り込んできた。動きの一つ一つに跳ねる上下運動があって、うさぎのようで可愛らしい。少女の姿に癒されていると、俺の視線は少女の胸元にある名札に向いていた。2年3組。どうやら背格好から見ても、小学校2年生のようだ。その隣には少女の名前が記されている。小学生でもわかるような簡単な漢字で構成されている名前を、俺は2度読み返した。2回目はゆっくりと、間違えることがないように小さく声に出しながら。


「た、も、と、こ、う」

 そこにはついさっきまで一緒にいた彼女の名前が記されていた。

 多下幸。

 俺は比べるように、名札と少女の顔を交互に見た。よくよく見ると、少女の顔はどことなく多下幸に似ているものがある。

 せわしない俺の目線に、少女は少しだけ戸惑っているように見える。


「あの。どうかしたの?」

 さっきは気が付かなかったが、声色も多下幸とそっくりである。少女の名前も多下幸。どういうことだ。俺の頭はまたいかれてしまったのだろうか。常識的に考えると、同姓同名で声とか特徴とかが似ている、多下幸のそっくりさんというのが結論だと思う。しかしなぜだか、少女が多下幸と他人のようには思えない。

 まさか本当にタイムスリップが成功した? いや、そんなことはあり得ない。しかし、もしものことがある。現に女子高生多下幸は、この場に居ないのだから。


「ちょっと質問なんだけど、今って、何年の何月か分かる?」

 俺は恐る恐る少女に訊いてみた。

 少女は俺の質問を不審に思ったのか、また少しだけ警戒心を戻して、同じく恐る恐る答える。

「2009年の、6月だけど……」

 俺の意識は一瞬だけ、ぐらっと左右にふらついた。

 タイムスリップが成功したのか、何かの間違えか、少女は俺が思っていた年数から、8年前の西暦を言い

放った。


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