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日常論  作者: 塵箱
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差別論

 人間は違和感を是正しようとする。

 これだけ発展した人間社会で未だにいじめなどの問題がなくならないのはそのためである。

 だが、理由はそれだけではない。

 人間は残虐な生き物である。

 異物を積極的に排除しようとするのもまた人間である。

 グローバリズムが進む中、日本は他の国に比べてどの国よりもグローバリズムが遅れていると考えられる。

 それは思考では分かっていても、長い間島国として発展してきた日本人としての血筋であろう、異国の人々に対してどうしても差別的な感情を抱かずにはいられないのである。

 日本でいじめが多い背景としてはこの事が要因の一つとして考えられるのではなかろうか。

 だが、そういう、マイノリティに対する差別思考は何も日本人のみが抱くものでは無い。

 人類が発展してきた歴史を語るにはこれらを語らなくてはいけない。

 義務教育で習う範囲だけであっても、白豪主義制作やアパルトヘイト、近い話であれば二次大戦の頃のナチス・ドイツのユダヤ人虐殺。

 古来から現代に渡るまで、人類史というものは差別の塊のようなものなのである。

 人は下を見て上を目指す。とでも言おうか。

 人を虐げるということは紛れもなく人類を進化させた。

 優越感というものはなくてはならない物なのだ。

 だが、優越感を抱くということは、必ず対照には劣等感を抱く者がいる。

 これはいじめの根本である。

 歴史を見てくると、差別の背景には、生まれつきのコンプレックスなどが挙げられてくるが、島国、日本では少し変わってくる。

 ほぼ同じ民族で構成される日本では穢多身分などといって、同じ民族同士で差別してきた。

 その名残が未だに残っているとは言い難いかもしれないが、いずれにせよ、日本人はそういう事ができる民族である。これもまた現代日本でのいじめが絶えない要素である。

 いじめには、いじめる側を団結させる力がある。

 いじめがある団体とそうでない団体では団結力が違ってくる。ナチス・ドイツがうまくそれを利用したのは周知の事実である。

 もし、社会からいじめが無くなればきっと社会は崩壊する。

 差別意識を取り払おうとするのは謂わば本能に抗う事。

 だが、いじめは良くない。普遍的な考え方であるし、僕もそう思う。では、どうしたらいじめを無くせるのか。その考えに至るのは少し傲慢かもしれない。

 それは自分がいじめの対象にならない絶対の自信から来るのだろうか?いじめをなくす方法など、誰にもわからない。集団の意思をそのまま代弁できる人でもいない限りは。だから、他人の事を傲慢に考える前にまず、自分がどうすれば虐められないか、差別にあわないかを考えなければならない。

 今現在いじめにあっている人に打開策を僭越ながらアドバイスさせてもらうとしたら、シンプルに学校に報告することをお勧めする。近年、そういう自体が増えて学校側も敏感なはずだ。それが出来ないなら転校する、転職する等環境を変えるしか生憎思いつかない。何にせよいい運命を願う。

 さて、長らく意見を語ってきたが、少しでもあなたの考え方への参考になれば幸いだ。


<経済>(次回予告)

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