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霖CPSS集  作者: 雨宮雪色
8/9

夏色花火(布都霖)






 星屑が弾けるように次々生まれては消えていく光の欠片を、布都は神の御業だと思った。

 そうに違いない。だって、なにも特別な力を持たない人里の子どもたちが、棒切れにロウソクの炎を当てただけであんなにも美しい光の花々を生み出しているのだ。道術でも、魔術でも、妖術でもない。ならば神様が里の子どもたちに授けた、理屈を超えた神秘の御業に他ならないのではないか。


 ついつい計算外の道草をしてしまった、人里からの帰り道だった。既に太陽はなく夜が広がり始めていた街道を、息を切らせながら大急ぎで走っていた道すがら、布都は民家の軒先で黄金色に輝く光の花を見つけた。早く帰らないと屠自古に夕御飯を抜きにされる危機感なんて、もう一発で空の彼方に消し飛んでしまった。

 生まれて初めて見る、美しさだった。形そのものは枝垂れ桜にも似ていたが、あの奥ゆかしい美しさを秘めた花とはまったく受ける印象が違う。火花が弾けるような音とともに光を散らす美しさはあまりに鮮烈だ。目を瞑っても、まぶたの裏で煌き続けている。布都は走るのも考えるのもやめ、棒立ちになって、えも言われぬ神秘の光景に無心で目を凝らした。

 少しの間、呼吸すらも忘れていたようだ。それが花ではなく、また単なる光でもなく、どうやら本当に火花が弾けているらしいと気づいたのは、息が苦しくなって、ゆっくりと深く、肺にめいっぱいの空気を送り込んでからだった。

 焦げくさい。なにかが焼けている臭いだと、布都は思う。目先の美しさばかりに気を取られて気づかなかったが、弾ける黄金色に交じって、白い煙が立ち上がっているのが見えた。


「い、一体なんなのだ、あれは」


 好奇心をただならぬほど刺激された布都は、少し、あの黄金色を観察してみることにした。名も知らぬ民家の軒先で、数人の子どもたちが集まって笑い声を上げながら、揃いも揃って黄金色の花を生み出している。用いているのは細い木の棒のようななにかと、ロウソクの炎。棒の先端に炎を当てると、火花が弾けて枝垂れ桜のようになるらしい。

 もちろん、それが一体なんであるのか、どういう原理で引き起こされているのか、常日頃から時差ボケに悩まされる布都が知っているはずもない。


「き、気になる……!」


 むくむく膨らみ抑え切れなくなった好奇心に、布都はその場でそわそわした。普段であれば一目散に駆け寄っていって、なにをやっているのだ!? と目を輝かせながら子どもたちを質問攻めにしたことだろう。

 だが大変惜しいことに、布都は自分がなにをしている途中だったのかを思い出してしまった。薄闇に包まれた世界。今は一秒でも早く道場に帰らなければ、布都の晩御飯は憐れ宵の夢幻と消えるだろう。


「う、うぬぬ」


 あの火の花々が一体なんなのか、尋常ではないくらいに激しく気になる。でも今は早く帰らなきゃ。でもでも。いやいやでもでもでも。

 ……ちょっとくらいなら、大丈夫だろうか。いやいややっぱりダメだ。美味しい夕御飯がなくなってしまうし、屠自古に怒られるし、太子様だって心配なされる。だからせめて、この光景をしっかりと記憶に焼き残して、あとで誰かに詳しく話を聞くなりすべきであって――


「……あ」


 はたと、気づいた。名案が脳裏を駆け抜けた。人里の子どもでもできるようなこととなれば、本当に神の御業である例外を除けば、なんらかの道具を使っている可能性が高い。だったらこれはもう彼の専門分野だから、彼に話を伺うのが一番ではないか。

 古道具屋『香霖堂』の店主、森近霖之助。道具に関する知識ならば幻想郷で比肩する者なし――と布都は本気で思っている――の、布都にとっては神子たちと天秤にかけられるくらいに大好きな人。

 そういえばここしばらく、布都は霖之助に会いに行っていなかった。最後に香霖堂に行ったのは一昨日だから、もう二日近くも会っていないことになる。これは由々しき事態だ。すぐに会いに行かなければ。

 つまりはあの美しい光の花について、明日、香霖堂で詳しく教えてもらえば万事おっけー。疑問は解決できるし、ついでに霖之助にだって会える。

 いや……正しくは、霖之助に会えるし、ついでに疑問も解決できるし――か。


「そうと決まれば」


 もういつまでもここに留まっている理由はない。布都は半ばスキップを踏みながら道場に帰って、門限を破ってしまったことを詫びつつ、明日香霖堂へ行く旨を報告した。

 その際に、ほんとに布都は森近さんが好きなんだねえ、と屠自古に言われたので、もちろんだぞ! と自信たっぷりに頷いたのだけれど。

 それで呆れられたのは、一体なぜなのだろうか。






 ○



 そういえばこのところ、布都に会っていないなと霖之助は思う。今や香霖堂一の常連客となった彼女が最後にドアベルを鳴らしたのは、もう三日前の話だろうか。たった二日会っていないだけで、なんとも満たされないというか、言ってしまえば寂しいと感じてしまうあたり、どうやら霖之助も、内心では相当彼女の存在をありがたがっていたらしい。

 考えてみれば――いや、考えるまでもなく、当然のことなのだろう。布都は、この幻想郷の中で一番、霖之助にとってありがたいお客さんだ。断言できる。香霖堂にとってプラスとなるお客さんは、他にも何人かいるけれど、布都と並べてしまえば霞むのが道理。

 布都は、知人から軒並み不評な霖之助の蘊蓄話を、嫌な顔一つせず、それどころか目を輝かせながら熱心に聞いてくれる。道具でなにか困ったこと、気になったことがあると、真っ先に霖之助を頼ってやってきてくれる。そうでなくとも毎日のように香霖堂のドアを叩いては、何気ない世間話だったり、道具に関することだったり、歴史にまつわる話だったり、様々な雑談に応じてくれる。霖之助が知らない風水や道教の知識を、一切勿体ぶることなく、見返りを要求することもなく、一から十まで快く教えてくれる。我が物顔で勝手にお菓子を食べたり、茶葉を漁ったりすることもない。それどころか、しばしば差し入れを持ってきてくれたりもする。

 そして極めつけは、気に入った道具を見つけると、積極的に購入してくれること。

 霖之助が思い描く理想のお客さんが、体を得てこの世の顕現したのではないかと思う。

 とまあそういうわけで、霖之助が依怙贔屓気味に布都を高評価してしまうのも、無理からぬことなのである。つい先日、紅白巫女と白黒魔法使いに店のお菓子をひとしきり食い尽くされてしまったので、できることなら布都と話でもして、精神回復を図りたいのだけれど。

『元気』という言葉が服を着て歩いているような少女が、まさか体調を崩したなんてことはなかろうが、場合によっては霖之助の方から様子を見に行ってみるのも悪くはないだろうか。


「りんのすけー!!」


 などと香霖堂の帳場で頬杖をつきながら考えていたら、噂をすればなんとやら、布都が元気よく店内に飛び込んできた。あいもかわらず元気満点百点満点な笑顔は、さながら薄暗くて陰気な香霖堂に、太陽の光が差し込んだようであった。

 頬杖を解く。


「いらっしゃい」

「うむ! お邪魔するぞ!」


 ありふれた社交辞令とはいえ、もし布都が本当に邪魔なお客さんなのだったら、香霖堂の床すら踏めなくなる者が果たして何人出てくるのだろうかと、霖之助はふと疑問に思う。

 ともあれ。


「今日は、どんなご用件で?」


 帳場を挟んで向かい側に座った布都へ問えば、うむ、と彼女は大仰に頷いて、


「今日は、霖之助に訊きたいことがあって」

「聞こうか」


 どうやら買い物をしにきたわけではなさそうだったが、そんなの、布都であればまったくもって構いはしなかった。むしろ、こうしてただ話をするだけでも大歓迎である。霊夢や魔理沙あたりに知られたら不公平だとブチキレられそうだが、日頃の行いとはそういうものだ。


「昨日の宵の口に、人里で不思議な道具を見たのだ」

「ふむ? それはどんな?」

「細い木の枝みたいな棒を持った子どもらが、先っちょから綺麗な光の花を咲かせておった!」


 興奮冷めやらぬ様子で昨夜を振り返る布都に対して、ふむ、と霖之助は腕組みをした。人里で見られるようなものであれば、霖之助の未知の道具という線は低い。しかし、綺麗な光の花を生み出す棒切れとは、一体なんのことだろうか。


「それだけだとピンと来ないね。他に特徴はあったかい?」

「うーんと……」


 布都も腕組みをして、


「断言はできぬのだが、多分その光の花は、火花が弾けてできたものだったと思う」

「……ああ」


 火花、という一言を聞いて、霖之助はすぐに納得した。花のように弾ける火花となれば、もう答えは一つしかない。


「それは、花火だね」

「はなび?」

「そう。『火花』を逆さまにして、花の火、と書く」


 子どもたちが使っていたというから、手持ち花火だろう。火事と火傷に注意しさえすれば誰でも気軽に楽しめる、小さな夏の風物詩だ。霖之助が子どもの頃にはなかったものだが、今では人里でも買えるほどに普及している。

 霖之助は隅に置いてあったボールペンを手に取り、その先端部分を指で叩きながら、


「棒の先端に、いくらか火薬が仕込んであってね。ロウソクとかで火をつけると、弾けて、布都が見たみたいに火花を咲かせるんだよ」

「お~……。さすが霖之助、なんでも知っておるのだな!」


 布都の瞳が早速キラキラしだした。


「花を咲かせて、それからどうするのだ?」

「どうもしないよ。花火は『見て』楽しむアイテムでね。夏の夜空の下で火花が弾ける様を眺めて、風情を感じるのさ。……もっとも、火には潜在的に人を高揚させる力があるから、子どもたちはよくはしゃぎ回るようだけどね」


 その結果、勢いあまって火傷をしたりさせたりするから、保護者の監視は絶対だ。毎年この時期になると、指や足を火傷してやってくる生徒がいるんだと、慧音がぼやいていたのを思い出す。


「ふ~ん……それって、我にもできるのか?」

「もちろん。というか、そこの商品棚に並んでるよ」

「本当か!?」


 手持ち花火は、外の世界でも広く世間に普及しているアイテムだという。なので夏の無縁塚では、まれに、流れ着いた外の手持ち花火を蒐集する機会がある。

 そんな経緯で香霖堂にやってきたひとつの花火セットが、埃っぽい商品棚で、手に取ってくれる人を今か今かと待ち侘びているのだった。


「おおっ、本当だ! 『よいこのはなび』と書いてあるぞ!」


 愛らしい動物たちのイラストが目を引くビニール袋の中には、色鮮やかな装飾の手持ち花火が二十本ほど。『よいこのはなび』とすべて平仮名で書かれている通り、小さい子ども向けの花火セットである。

 棚のちょっと高いところに置いてあった花火セットを、何度もぴょんぴょんしてやっとこさ手に取った布都はますます目を輝かせて、


「おおおっ! これに火をつけると、あんなにも美しい光の花になるのだな!?」

「そうだよ」

「おおお~!」


「すごいのう、すごいのう」と何度も呟きながら花火セットを逆さまにしてみたり、裏返しにしてみたり、天井に掲げてみたりする布都はいかにも楽しそうで、霖之助の頬にも自然と笑顔が浮かんだ。


「なんだったらそれ、君にあげようか?」

「え!? で、でもこれ、売り物であろう?」

「構いやしないよ」


 譲渡を惜しむほどの値段で売っていたわけではないし、布都には香霖堂を随分と贔屓にしてもらっているから、こういうところで日頃の感謝を示すのは吝かではなかった。あのまま飾り続けたところで、どうせ売れ残って秋を迎えてしまうだけなのだから、せっかくなら布都に楽しんでもらいたい。


「で、でも、そうしたら霖之助の貴重な収入が……」

「……いや、まあ、君に心配してもらうほどではないよ?」


 確かに香霖堂の収入は、雀の涙すら枯れ果ててしまうような有り様だけれど、元々趣味でやっている店だし、お金がなくともそれなりに生きていける半妖の身の上だし。

 しかし布都としては、なにやら並々ならぬ葛藤があるらしく。


「う、ううっ。でも、霖之助には普段から世話になっているのに、その上こんなものまでもらってしまっては……」

「世話になっているのは僕も同じだよ。……君は、自覚していないかもしれないけどね」


 真面目な話、布都と知り合ってからというもの、霖之助は香霖堂の営業が楽しくなったのだ。決して今までがつまらなかったというつもりはないが、やはり彼女のように熱心なお客さんが一人いるだけで、営業と向き合う心構えは随分と変わってくる。

 まあやっぱり、布都はまったく自覚していなかったらしく、戸惑ったように首を傾げていたけれど。


「そ、そうなのか……? いやでも、さすがに譲り受けるのは……でも、今日はお金が……」


 しばらくうんうんと一人で唸った布都は、ほどなくして、ぱっと表情を輝かせ声高に言った。


「わかった! じゃあいい感じに間を取って、霖之助と一緒に花火をすれば解決であろう!」


 一体どのあたりにある間を取ってきたのかさっぱり不明だが、あの花火セットはもう布都にあげたものだ。それをどう使うのかは、布都の自由。誰とやるのかもまた、彼女の自由だろう。

 それに布都はどことなく危なっかしいから、目の届くところで見ていた方が安心だろうかと、思ったので。


「構わないよ。それじゃあ、夜になったらまたおいで。支度をして待ってるからね」

「うむ! ……あ、太子様たちを連れてきても」

「それも構わないけど、あんまり大所帯だと、君のやる分が少なくなってしまうからね?」

「わかった!」


 そこから先はもう待ち切れなくなったらしく、花火を商品棚に戻した布都は回れ右をして、「太子様に知らせてくるのだ!」と元気よく香霖堂を飛び出していった。

 そんなに急がなくたって、今はまだ午前。日が沈むのは、ずっと先の話なのだけれど。


「まあ、布都らしいといえば布都らしいね」


 霖之助はそっと苦笑して、未だ遠い夜を待つための相方――つまるところの本を探しに、一度香霖堂の奥へ引っ込むのだった。






 ○



 その後は誰一人として客が来ることもなく、絶好の読書日和を終えて、いよいよ夜に


「りんのすけー!!」

「……」


 ……夜になる前に、布都がやっぱり元気よく香霖堂に突撃してきた。突然の来訪にびっくりしたドアベルが、小さな体には似つかわしくないけたたましい悲鳴を上げた。


「……どうしたんだい。夜はまだ先だよ」


 黄昏時というやつだ。窓から差し込む西日で、普段は薄暗い香霖堂も鮮やかな茜色に染め上げられている。当然、花火をやるにはまだまだ早い。

 布都は、えへへぇ、と照れくさそうに頬を掻いている。


「花火が楽しみで、ちょっと早めに来てしまったのだ」

「ちょっと、ではない気がするけどね」


 ちょうどいい頃合いになるまでは、まだ二時間近くはあるだろう。けれど布都は白い歯を見せて笑い、


「そんなの、霖之助と話をしておればすぐだ!」

「……そうか」


 その言い分があながち大袈裟でもなかったので、霖之助もついつい笑ってしまった。布都と道具の話などをしているうちに時間を忘れて、ふと気づけば何時間という時が経っていたことなど、決して一度や二度ではない。


「ところで、一人で来たのかい?」


 確か神子と屠自古も誘ってくるという話だったはずだが、ドアが開いたのは一度だけ、店に入ってきたのも布都だけだ。都合がつかなかったのだろうか。


「う? なにを言っておるのだ霖之助、ここに太子様が……あれ?」


 自分の後ろに誰もいないことに気づいた布都は、首を傾げながら、ドアから顔を外に出して、


「あっ、太子様。どうされたのですか、いつの間にかいなくなっていたのでびっくりしましたぞ」

「ふ、布都が速すぎるんですっ。もう、いきなり走り出したりなんかして、置いていかれたかと思ったじゃない」

「おお、これは失礼しました。霖之助に会えると思ったらつい」

「もう……あなたは本当に、森近さんのことが好きなのね」

「当然です!」


 などというやり取りののち、布都に連れられて入ってきたのは、人里で聖人君子と名高い豊聡耳神子であった。霖之助の個人な評価を言えば、尸解仙の法の不具合とやらで大分間抜けな性格になってしまった、残念な少女ということで名高い。


「いらっしゃい、神子」

「お邪魔します」


 霖之助と神子が初めて知り合ったのは、春の終わりに布都に招かれて参加した、宴会の席。それ以来はたびたび――主に布都の様子を見に来るだけで、買い物をしてくれたことは一度もないけれど――香霖堂を訪ねてきてくれているので、豊聡耳、という長い苗字を霖之助が呼ぶこともなくなった。


「今日は、お招きいただきありがとうございます」

「ああ」


 清水を流すように一礼する神子の仕草からは、体に染み込んだ深い教養の色が窺えた。例え間抜けになろうとも、やはり元聖人だっただけのことはある。

 今でも聖人ですよ!? と顔を真っ赤にして反論されそうだが、そんなのはさておき。


「ところで君は、花火を見たことがあるのかい?」

「いえ……。知識としては知っていますが、実際に見たことは。なので、今からとても楽しみです」

「我もです! 霖之助の花火となれば、きっとものすごーっく美しいことでしょう!」


 いや別に、ただ無縁塚から拾ってきただけで、霖之助が汗水垂らして手作りしたわけではないのだけれど。

 しかしまあ、『ものすごーっく』の部分を両腕いっぱい広げて表現する布都はなんとも微笑ましかったので、そう思っているうちに指摘するのも忘れてしまった。


「それで、屠自古は?」


 布都と同じく神子腹心の従者である、蘇我屠自古の姿がいつまで経っても見えなかったので尋ねてみれば、神子が痛いところを突かれたとばかりに目を逸らした。


「屠自古は、その……きょ、今日は色々とお仕事を頼んでしまってて、それでちょっと手が離せないらしくて、その……」

「え? 我には、今日はもう太子様の顔なんて見たくないからって言ってましたぞ?」

「わ、わあわあわあ!?」


 顔を真っ青にした神子が慌てて布都の口を押さえるが、時既に遅し。


「……神子」

「……うっ」

「あまり、従者を困らせるものではないよ」

「う、ううっ」


 曰く尸解仙の法の不具合で間抜けになってしまった聖人は、しばしば間抜けな失敗をやらかしては屠自古の怒りを買っている。果たして今度はどんな間抜けな失敗をやらかしたのか、別に知りたいわけではないけれど、そのうち堪忍袋の緒が切れた屠自古に辞表を叩きつけられるのではなかろうか。べちーんと顔面に。

 吐息。


「ともかく、花火を始めるにはまだ早い。……お茶を淹れてくるから、ゆっくりしていくといい」

「あ、森近さん。私でよければお手伝い――」

「いや、いいから」


 神子に手伝わせたが最後、湯飲みを破壊されるかお茶をぶちまけられるかの強制二択になる未来しか見えない。もちろん、丁重にお断りである。

「私だってお茶くらい淹れられるのに……多分……」といじけている聖人を放置して、霖之助はお茶の支度を開始する。







 ○



 さてどうやって時間を潰したものかと初めこそ悩んだけれど、最近拾ってきた外の世界のおもちゃで遊んでいるうちに、あっという間に頃合いになっていた。いつしか茜色の空は西へと消え去り、代わりに青白い月明かりが、窓からの景色を幻想的に照らし出している。

 霖之助は椅子から腰を上げた。


「どれ、そろそろいい時間かな」

「おお! 遂にこの時が来たのだな!」

「あの、待ってください!? せめて一回、せめて一回勝てるまでやらせてください!?」


 神子がなにやら悲痛な叫び声を上げているが、霖之助は有意義に聞き流した。『黒ひげ危機一髪』で驚異の四十連敗を成し遂げた神子は、香霖堂で末永く語り継がれる伝説となるだろう。

 商品棚に飾ってあった花火を早速手に取り、布都が輝く笑顔で駆け寄ってくる。ぴょんぴょんとしきりに飛び跳ね、全身で待ち切れない興奮と期待を表現しながら、


「霖之助っ、霖之助っ、早くやろう早く早くっ!」

「ああ。それじゃあ、裏庭に回ろうか」

「ひゃあああっ」

「……神子、黒ひげはもういいから」


 どうしても納得が行かずもう一度短剣を握った神子が、しぱーん! と見事に黒ひげを打ち上げた。香霖堂の床を転がり神子を見上げた黒ひげの笑顔には、えも言えぬ嘲りの色が混じっている気がした。これで四十一連敗。記録更新だな嬢ちゃんやったじゃねえかうひゃひゃひゃひゃひゃ。

 一人寂しく落ち込んでいる神子を放置し、布都と一緒に裏庭へ向かう。

 香霖堂の裏庭は、魔法の森がすぐ近くにある影響もあって特別風流な景色が広がっているわけではないけれど、広さだけは充分に兼ね備えた場所だ。アルバイトの妖夢にしばしば手入れをお願いしているため、魔法の森から侵略してくる変な植物とも無縁の敷地は、少人数の花火はもちろん。ちょっとした宴会にだって対応できるキャパシティを持っている。まあ、この場所を宴会場として使ったことはないし、今後も使う予定は一切ないので、ほとんど宝の持ち腐れみたいなものだが。

 花火に必要な道具は、既に縁側に準備済みだ。水を張った桶に、マッチ、ロウソク、燭台。マッチの入った小さな箱に気づいて、布都が目を輝かせた。


「あっ、これは知ってるぞ! 『まっち』という、火を起こす道具であろう!」

「正解。よく知ってるね」


 マッチのことを布都に教えた記憶はないので、きっと人里あたりで覚えてきたのだろう。どうやら使い方まで心得ているらしく、布都は燭台にロウソクを立てると、意気揚々とマッチ箱を手に取った。


「霖之助っ、我が火をつけてもよいか?」

「いいよ。火傷しないように気をつけてね」

「うむ!」


 馬手にマッチ棒、弓手にマッチ箱。ひとつ深呼吸をして気合を入れた布都は颯爽と、マッチ棒をマッチ箱目掛けて、

 シュ。


「……」

「……」


 シュ。

 シュ、シュ。

 シュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュシュ――


「……布都、」

「ま、待って! 大丈夫、ちゃんとつけられるから!」


 このやり取りをしている間も、布都の手元ではシュシュシュシュシュシュシュシュと哀愁漂う失敗の音が量産されていく。何回やっても何十回やっても、マッチ棒からは煙の一筋すら上がる気配がない。


「な、なぜだっ? この前やった時は、確かこんな感じでできたはずなのに……」


 焦りでじわじわと頬を赤くする布都を見て、霖之助はそっと苦笑した。古代の火打ち石然り現在のマッチ然り、或いは外の世界のライター然り、火をつける道具というのはコツを掴まないとなかなか扱えないものばかりだ。幼い頃の魔理沙も、よくマッチで火をつけようとしては何度も失敗し、そのたびにへそを曲げて箱ごと地面に叩きつけていた。ひどい時はそこに踏んづけ攻撃が追加されることもあった。魔法使いとなった彼女が炎の魔法を熱心に専攻しているのは、あの頃の苦い記憶が少なからず影響しているからではないか、と霖之助は時折考えることがあるがそれはまあさておき。

 未だにシュシュシュシュシュシュシュシュが途切れないので、さすがにアドバイスした。


「こすり合わせるんじゃなくて、打ち合わせるような感じでやってごらん」

「う、打ち合わせる? ……こ、こうか!?」


 こちらとしては火打ち石のイメージで言ったつもりだったのだが、焦りに焦る布都は、霖之助の言葉を大分オーバーに受け取ってしまったらしい。なんとも余裕のない声で叫ぶなり、勢いよく右手を振り上げ、一気に振り下ろし、

 パキッ。


「…………」

「…………」


 まあ、折れるに決まっている。霖之助は緩くため息をついて、悔しさと恥ずかしさでふるふる震える布都の後ろに回った。


「僕と一緒に、もう一度やってみよう」


 布都がこくんと頷いたので、先ほどと同じように右手にはマッチ棒、左手にマッチ箱。ただし今度は、飴細工みたいな布都の小さな手に、霖之助の手が重ねられている。


「さっきほど勢いをつける必要はないよ。イメージとしては、火打ち石とそんなに変わらない。手首のスナップだけでこすり合わせるんじゃなくて、腕全体を動かして、打ちつけるようにやってみるといい」

「腕全体を……」

「そう。こんな感じで」


 まずは一緒に右手を動かして、マッチ棒を箱に打ちつけるシミュレーションから。


「箱に対して、マッチの先端が斜めに入っていくように。そうすると折れにくくなるよ」

「ふむふむ」


 二~三回繰り返し、今度は左手も併せて、より本番に近いイメージトレーニング。

 繰り返すこと五回、


「うむ、少しわかった気がするぞ! やってみる!」

「そうか。頑張って」


 布都はアホの子っぽく見えて、まあ実際アホの子なのだが、それでも飲み込みは相当早い少女だ。幼い頃の魔理沙と違って、この程度はあっという間にマスターしてしまうだろう。

 手を離し、布都の静かな戦いを見守る。緊張を孕んだ面持ちで、布都が生唾を呑み込んだ。


「よーし……ていっ」


 一度目は失敗。けれど布都も一発で成功するとは思っていなかったらしく、めげずに繰り返した二回目で、


「たあっ」


 見事成功。マッチ棒の先端に小さな炎が灯り、白い煙が立ち上がった。

 布都が飛び跳ねながら大喜びした。


「り、霖之助っ! できたっ、できたぞ!」

「ああ、おめでとう――って、うわっ」


 喜びを抑えられなくなった布都が勢いよく振り返れば、当然、霖之助のすぐ目と鼻の先にマッチの火がやってくるわけで、びっくりして尻餅をついてしまった。


「あっ……す、すまぬ」


 気不味そうに縮こまった布都に、苦笑して、


「とりあえず、それでロウソクに火をつけてくれるかい」

「あっ、そうだな!」


 縁側に立ててあったロウソクに、なんとも楽しそうに火を灯す布都の背を見ていると、怒るどころか笑顔が浮かんでしまうのだから不思議なものだ。紅魔館のフランドール・スカーレットと一緒で、甘やかされるのが上手な純真さというべきか。

 立ち上がり、服についた土埃や葉っぱを払いつつ、


「……で、君はいつまでそこで観察を続けるつもりなのかな」

「ふふ、ごめんなさい。微笑ましかったのでつい」


 霖之助たちのちょうど死角となっていた庭の隅から、ひょこりと神子が顔を出した。先ほど布都の後ろへ回る際に、視界の隅で獣耳みたいな髪が一瞬チラついたのには気づいていたが、まさか今になるまでずっと隠れたままだとは思っていなかった。黒ひげへの未練は完全に断ち切ったらしく、口元に手をやって、実に微笑ましそうに目を細めている。


「森近さんったら、もうすっかり布都のお父さんみたいですね」

「そうなると、お母さんは君かい?」

「……へあああっ!?」


 もちろんほんの冗談だ。冗談だったのだが、どうにら神子は真に受けたらしく、一瞬で顔を茹でダコにして飛び跳ねるように仰け反り、勢い余ってひっくり返りそうになって慌てて近くの枝を掴むも、呆気なく折れてしまい結局尻餅をつくという、見ていて飽きないコントみたいなリアクションを炸裂させてくれた。


「いたたぁ……」

「……大丈夫かい?」


 しかし相手が神子となっては、出てくるのは笑いどころかため息である。

 あ、はい……と神子は蚊の鳴くような声で、


「で、でも森近さん……それは、いくらなんでも話が急すぎるといいますか、その、さすがにちょっと困っちゃうと言いますか……いえ、決して嫌とかそういうことではなく……」

「……」


 決して嫌ではない、というのが果たしてどういう意味なのか。折れた枝の葉で顔を隠し、傍目でもわかるほどにしおしお縮こまっていく神子を見ながら、ついついそんなことを考えてしまいそうになったけれど、霖之助は苦笑して頭を振った。

 まさか、と思う。


「冗談だよ?」

「あ、はい、それはもちろ――え、冗談?」


 木の葉の脇から顔を覗かせた神子が、少しの間、写真に残しておきたくなるくらい間抜けな表情をして、


「――あ、ああ! そうですよね、冗談ですよね! 大丈夫です、もちろん初めからわかってました!」

「……」

「太子様、先ほどから一人でなにをしておられるのですか?」

「なんでもありません! さあ布都っ、花火を始めましょう!」


 持っていた木の枝をぽーんと明後日の方向に放り投げ、神子はわざとらしくテンションを急上昇。布都と盛り上がりながら花火の支度を始めるその頬が、夕焼けみたいに赤いのは、盛大な勘違いをしていた自分を恥じているのか、それとも――


「霖之助っ、霖之助っ! 準備ができたぞ! やり方を教えてくれっ!」

「……ああ、わかったよ」


『よいこのはなび』の包装を解いた布都が、色とりどりの花火を見渡して目をお星様みたいにしている。霖之助は再び緩く首を振って、今度こそ余計な雑念を追い払い、思考を花火の解説へと切り替える。

 説明をしている間、神子の視線がチラチラと頬に刺さるのを感じたのは――それこそ、まさか、だろう。






 ○



 とはいえ、花火のやり方は簡単だ。そうそう、説明することが多くあるわけではない。

 木の棒が剥き出しになっている方を手で持ち、火薬が仕込まれた先端部分を、ロウソクの火につける。すぐにはつかないからしばらくそのまま待って、布都がいう『光の花』が咲き始めたらロウソクから離れ、火花が散り行く様を眺め風情を楽しむ。

 というのを、霖之助が実際に一本を使って解説すれば、布都はもう大はしゃぎだった。


「はいはいっ、我もやるやる花火やるっ! 太子様、我が先にやってもよろしいですか!?」

「ええ、いいわよ」


 花火に負けず劣らず光り輝く目で見つめられれば、首を横に振れる者などそうそういまい。布都が早速『よいこのはなび』を一本手に取り、先端をロウソクの火に当てた。火がつくまでを待つ間、布都はしきりにそわそわ体を揺らしていた。もしも彼女に尻尾があれば、休む暇もなく右へ左へ大きく揺れ動いているのだろう。

 ついた。


「わあああああっ! ついたっ、ついたぞ! りんのすけー! ついたーっ!」

「こらこら、あんまりはしゃいじゃ火傷するよ」


 布都のはしゃぎようは、まるで小躍りでもしているみたいだった。ぴょんぴょん飛び跳ね、くるくる回って、わあわあ歓声を上げ、顔はもちろん体全体で、未だかつて感じたことのない高揚を思う存分に表現していた。ここまで大喜びしてもらえれば、花火を作った職人も冥利に尽きる思いに違いない。

 布都が、花火を持っていない方の腕をぶんぶんと振っている。


「太子様ー! 太子様もー!」

「ふふ。……じゃあ森近さん、私もやってみますね」


 霖之助は半目で、


「いいけど、ちゃんと気をつけるんだよ」

「な、なんで私の時だけそんな不信な感じなんですかっ」


 もちろん、不安だからに決まっている。布都よりもずっと。

 神子がしょんぼりしながら花火を手に取った。


「びっくりして放り投げたりしないでくれよ」

「さ、さすがにそんなことしませんっ」


 果たしてどうだろうか。神子のことなので、きっと霖之助が予想だにしないなにかをやらかしてくれるような気がしてならない。なにがあってもすぐ動けるよう、体に力を入れたまま待機しておく。

 神子が花火をロウソクの火に当てる。そのまましばらく待って、

 待って、


「……あれ?」

「おや」


 おかしなことに、いつまで待ってもどれだけ火に当てても、一向に始まる様子がなかった。湿気っているのだろうか。

 まあ、正確にいつ作られたのかもわからない拾い物だし、そんなこともあるだろうかと霖之助が肩の荷を下ろした瞬間、


「変ですね。不良品でしょうか……?」

「ちょっ、」


 あろうことか神子が、今までまさに火を当てていた先端部分を覗き込んでいて、


「馬鹿ッ、神子!」

「へ?」


 直後、あまりに遅すぎる点火、


「ひゃあああああ!?」

「ッ――!」


 自分がどう行動したのかはよく覚えていない。とにかく無我夢中だった。無我夢中だったが、どうやら無意識の自分は上手いことやったようで、気がつけば神子を後ろから抱き締めるような形で、二人一緒になって尻餅をついていた。

 霖之助のすぐ足元では、地面に落ちた花火が一本、バチバチと火花を弾けさせている。

 長く大きい、肺の空気を全部入れ替えるほどのため息が出た。


「まったく、君という人は……」


 もちろん、花火が上手くつかなくても決して覗き込んだりしないように、と具体的な忠告をしていたわけではない。その点では、霖之助にも過失がないとは言い切れない。

 だがしかし、神子は大人であり、聖人であり、かつての日の本の指導者であった聖徳王だ。花火がどういうものなのかは、霖之助の説明で簡単に理解したろう。火花を吹き出すのだから、扱いを誤れば火傷をするとわかっていたろう。なのに、いきなり弾けるかもしれない花火の先端部分をなんの疑いもなく覗き込むなど、いくらなんでも浅慮が過ぎるのではないか。


「太子様ッ、大丈夫ですか!?」


 布都が、燃え尽きた花火を片手に血相を変えて駆け寄ってきた。アホの子の疑いがある布都にとっても、神子の行動は甚だ予想外だったことだろう。


「霖之助も……」

「ああ、僕は大丈夫だよ。……神子は、火傷してないかい?」

「……え、ええ……だいじょぶ、です」


 神子は、半ば放心状態になっているようだった。まあ、自分の本当に目の前で花火がいきなり爆ぜたのだ。驚くあまり魂を抜かれたようになってしまうのも、無理からぬことかもしれない。

 地面で燃えていた花火が、火薬を使い切ったらしくあっという間に光を失っていく。ひとまず最悪の事態だけは免れたようなので、霖之助は吐息し、


「……布都。終わった花火は、あそこの桶の中に入れておいで」

「あ、そうだな」

「悪いんだけど、そこの花火も一緒に始末してくれるかい」

「うむ、わかった!」


 布都が花火の始末をしている間に、霖之助は未だ腕の中で固まっている神子を厳しく見下ろした。さすがに少しくらいは、言うべきことを言わなければならないと思った。


「神子、君は少し――」

「――あ、あの。もりちか、さん」


 けれど、なにやら余裕を欠いた固い声に遮られ、出鼻を挫かれた。


「……なんだい?」


 神子はあいかわらず、石みたいになったまま微動だにしない――しないが、体越しに伝わってくる体温が、心なしか上昇してきているように感じる。

 焦っている?

 まさか、さっきは気が動転してつい大丈夫だと言ってしまっただけで、実は火傷をしているのだろうか。彼女は怪我に強い妖怪ではないし、同時に女性でもあるから、もしもの場合は急いで手当てする必要が


「そ、そろそろ、放していただけると、ありがたいんですけど……」

「……」


 ああ、そっちか。


「……確かに。すまなかったね」

「い、いえ。こちらこそお手数を……」


 神子から手を離し、立ち上がる。神子はへたり込んだまま、両手で胸を撫で下ろしている。その頬がかすかに赤く色づいて見えるせいで、なにやら居心地の悪い、微妙な雰囲気になってしまった。


「太子様ー! 花火はまだまだありますぞ! もう一度挑戦すればよいのです!」


 と、やり切った花火を始末し終えた布都が、両手に『よいこのはなび』を持って戻ってきた。霖之助と神子の間に漂う微妙な空気にも気づくことなく、笑顔で神子に花火を一本握らせ、霖之助にも、


「霖之助も! 霖之助も一緒にやろうっ!」

「……そうだね」


 正直なところ、霖之助は神子を叱りつけるつもりだった。けれどそんなことをしたところで、神子の性格が今すぐ改善されるわけではないし、せっかくの楽しい時間も台無しになってしまうことに気づく。

 幸い大事には至らなかったのだから、もう水に流して、引き続き花火を楽しむべきなのかもしれない。


「りんのすけ?」


 愛らしい笑顔のまま首を傾げた布都から、花火を一本、受け取った。


「よーしっ、それではどんどん行きましょう! 太子様も、もしやり方がわからないのでしたら我が教えて差し上げます!」


 神子との間にあった微妙な空気が、布都の笑顔に吹き飛ばされていったのを感じる。それは神子も同じだったようで、腰を上げ、立つ瀬を失ったように苦笑した。


「……あはは。そうね、お願いしようかしら」

「はいっ!」


 力強く頷いた布都が、よーしでは行きますぞー、とロウソクの火に花火を当てる。

 その傍らでふと、神子と目が合った。どちらともなく、一緒になって微笑んだ。

 本当に布都は、場の雰囲気を和ませることにかけては天才的だ。






 ○



 ところで『よいこのはなび』は、布都の腕の中にすっぽり収まってしまうほど小さな、子どもというよりかは幼児向けの花火セットである。

 つまりどういうことかというと、霖之助と布都と神子の三人で一緒にやったら、あっという間に全部なくなってしまった。


「……うー、もうなくなっちゃった……」

「あっという間でしたねえ」


 霖之助と神子はさておき、布都は大変物足りないご様子だった。口をへの字にして、やり終わった花火を先ほどからずっとロウソクで火炙りにしている。そんなことをしても火薬が残っていないのでどうにもならないのだが、思わずそうせずにはいられないくらいに、過ぎ去ってしまった一瞬が心残りなのだろう。

 けれど、終わってしまった以上はおしまいだ。花火の在庫はこれ以外にないし、夜も深まり始めたこの時間帯では、人里の道具屋も軒並み閉店している。明日以降人里で仕入れるか、それとも無縁塚に外から流れ着くのを気長に待つのか、どの道今日のところはもうお開き――


「……おや?」


 と、花火の後片付けをしていた霖之助はふと、『よいこのはなび』を包装していたビニール袋の中に、更に小さなビニール袋が入っているのを見つけた。取り出して、口元に小さな笑みを浮かべる。


「布都。どうやら、まだ花火が残ってるみたいだよ」

「なに!? ほ、本当か!?」


 布都が文字通り飛び跳ねた。霖之助は振り向き、


「うん。ほら、これ」


 布都の動きは速かった。というか、霖之助が振り向いた時点で既に布都が目の前にいた。土煙を巻き上げんほどの高速移動に、神子がパチクリと目を丸くしていた。

 光を失っていた布都の瞳で、再び星が煌めき始めた。


「おおおっ! その糸くずみたいなのも花火なのだな!?」

「糸くずって。これは線香花火といって、僕としては、一番好きな花火だよ」


 ビニール袋の中には、紙で作られた繊細な花火が六本。個人的な評価でいえば、花火の中の花火、他の花火とは一線を画す真の夏の風物詩とも呼ぶべき、線香花火である。他の手持ち花火のようなきらびやかさこそないが、慎ましく弾ける火花は儚く、されど美しく、日本の風土が育む和の心と絶妙に調和する。線香花火をやらずに終える夏ほど寂しいものはない。毎年、夏の終わりには誰かを誘って線香花火と洒落込むのが、霖之助のささやかな日課ならぬ『年』課というやつだったりする。

 ちなみに誘う相手はもっぱら慧音が多い。幼馴染だから声を掛けやすいし、こんな歳になっても嫌な顔ひとつせずに付き合ってくれるありがたい存在だ。魔理沙は、何年か前に誘ったところ「線香花火ぃ? そんなチンケなのより派手で綺麗なのを打ち上げてやるぜ」などと夜空で弾幕ごっこをやらかしてくれたので、以来絶対に声を掛けないようにしている。

 果たして、布都に線香花火の風情をわかってもらえるだろうか。


「おおおおおっ、霖之助の一番好きな花火なのか! ならば、さぞや美しいに違いないっ!」

「もちろん僕は綺麗だと思ってるけど、君にとってはどうかな?」

「なにを言う! 霖之助の言うことなら間違いなしだ!」


 布都に、霖之助の言葉を疑う素振りは欠片としてなかった。信頼してくれているのは嬉しいのだが、間違った知識や極端な発言もこんな感じで全部鵜呑みにされるのだろうかと考えると、なかなかに責任重大だ。

 線香花火のやり方についても、これといって難しいものはない。唯一気をつけるのは、無闇に動かないことだろうか。少なくとも歓声を上げて跳ね回りなどすれば、線香花火は問答無用で、哀れ夏の夢幻と消える。


「じゃあ、まずは一本やってみせるよ」

「うむ!」


 布都の興味津々な視線と、神子の柔らかな視線が注ぐ中で、霖之助は線香花火に火を灯した。ボボボッとくぐもった音とともに、火をつけた先端部が鮮やかな夕日色の玉へと変わっていく。布都が、「おおっ」と囁くように小さな声を上げた。

 そして少しの間そのまま待てば、いよいよ線香花火の真骨頂だ。

 わあ……とため息をつくように感嘆したのは、布都だったのかもしれないし、或いは神子も一緒だったのかもしれない。言葉に例えようのない、なんとも耳に心地よい音を響かせながら、夕日色の玉が流れ星みたいな火花を弾けさせる。初めはかすかに、けれど次第に勢いを増し、やがては無数の火花を目まぐるしく散らす百花繚乱となって、少しずつ、少しずつ力を失い、玉も火花も小さく、小さく、そして、


「あっ、」


 布都が小さく声を上げたのと同時に、ふつりと消えた。

 静かだった。霖之助はなにも言わず、布都と神子はなにも言えず、つい今まであった幻想的な光景を頭の中で反芻させていた。光が消えてしまったあとにやってくるこの不思議な余韻も、線香花火の大きな醍醐味だと霖之助は思う。侘び寂びとでもいうやつなのか、決して派手でなく、豪華でなく、慎ましやかで、物静かで、力を失い消えていく様は儚く、そして染み入るように美しい。古来より侘び寂びを愛した日本人らしい、実に素晴らしい発明品だ。


「――すごおーい!! なんなのだ今のは!?」


 布都が爆発していた。


「あんなに美しいものは初めて見たっ! 霖之助が一番好きだというのも納得だ!」

「布都……君、この花火のよさがわかるのかい?」

「もちろんだ! 今日やった花火の中で、我も一番好きだったぞ!」


 霖之助は、柄にもなくちょっぴり感動してしまった。どうやら布都は、小さな体にもかかわらず侘び寂びを感じる和の心まで備えているらしい。なんと感心な子なのだろう。


「太子様太子様っ! 太子様はいかがでしたか!?」

「そうね……私も、こっちの方が好きかしら。今までのは、勢いが強すぎてちょっと怖いし……」


 神子が消去法で線香花火に軍配を上げている気がするが、この際そんなのはどうだっていい。


「そうか、よかった。僕の知り合いには、この花火を『チンケ』だって言う子がいてね」

「ちんけ?」

「出来が悪い、粗悪品ってことさ。派手な花火にしか興味がないらしい」

「そうなのか……風情がないやつなのだな」


 魔理沙なら、むしろ風情をマスタースパークで焼き払う気がする。


「霖之助っ、我もやりたいやりたい!」

「ああ、もちろん」


 袋ごと線香花火を手渡してやれば、布都は早速一本を指に取って、ロウソクの前で膝を折った。


「この、とんがってる方に火をつければよいのだな!?」

「そうだよ。あんまり動くと落ちちゃうから、僕がやったみたいに、火がついたらじっとしていること」

「わかった!」


 期待半分緊張半分の面持ちで、布都が線香花火に火をつけた。ボボッと音を上げ玉になり始めた花火を、落とさないよう慎重に、ロウソクの炎の中から取り出す。あとはそのまま少し待てば、やがてぷっくりと膨らんだ夕日色の玉が

 ぽとっと落ちた。


「「「……」」」


 膨らみに膨らみ、今まさに火花を散らし始める瞬間の出来事だった。布都が、ハイライトの消えた虚ろな瞳で霖之助を見上げている。そんな目で見られても困る。


「こ、こういうこともたまにはあるさ。ほら、もう一回挑戦だ」

「……そ、そうだな。わかった」


 なんとか心を持ち直した布都が、新しい線香花火をロウソクに持っていく。そう、たまたま、神懸かり的に運が悪かっただけだ。風だって吹いていないし、布都だって霖之助に言われた通り、身動きせずに行儀よく待ち続けている。だから気持ちを入れ替えてやり直せば、当然なんの問題もなく

 ぽと。


「……ひっく」

「わ、わあわあ!」


 すかさず神子が慰めに入った。ふるふる震えている布都を優しく抱き締めて、


「だ、大丈夫よ布都! 道具のことで困ったときは、森近さんの出番! そうでしょう!?」


 と思ったら霖之助に丸投げだった。つくづく役に立たない聖人である。

 しかし、涙目の布都にうるうると見つめられてしまえば、まさか無視できるはずもなく。


「り、りんのすけえぇぇ~……」

「おかしいこともあるものだね。普通、こんなにあっさり落ちたりはしないはずなんだけど」


 風が吹かず身動きもしていなかった以上、落下の原因など皆目見当もつかない。この少女、『線香花火を落とす程度の能力』でも持っているのではなかろうか。


「とりあえず、僕と一緒にやり直してみるかい?」


 それで上手く行けばよし、上手く行かないなら、恐らく不良品なので霖之助にもお手上げだ。

 布都がこくんと頷いたので、マッチの使い方を教えた時のように手と手を取り合い、一緒に線香花火へ火をつけてみる。

 すると、


「あ……!」

「ふむ、特になんともないね」


 これといっておかしいところもなく夕日色の玉が膨らみ、火花を散らし始めた。いっときは不良品の可能性も疑ったが、やはり普通の線香花火だ。きっと、本当に布都の運が悪かっただけなのだろう。布都は魂ごと鷲掴みにされたように、弾ける火花を一心に見つめ続けていた。

 やがて火花が終わったので、霖之助は布都の小さな手から自分の手を離して、


「きっと、運が悪かっ」

「すごぉ――――い!! ありがとう霖之助――――!!」

「うわっぷ」


 布都に顔面に飛びつかれて前が見えなくなった。


「すごいすごいっ、霖之助と一緒にやったらできた! これも霖之助の力なのか!? すごいのう、すごいのう!」


 むしろ、なぜ二回連続でぽとっといってしまったのかが霖之助には謎である。


「布都、わかった。わかったから放してくれないかい。前が見えない」

「はあい」


 顔面の圧迫感がふっと消える。具体的な言及は避けるが、布都はあまり成長が芳しい方ではないので、押し当てられていた鼻がちょっぴり痛かった。

 やれやれとずれた眼鏡を整える霖之助の隣で、神子が柔らかく瞳を細めた。


「よかったわね、布都」

「はいっ! 霖之助はやっぱりすごいです!」


 一緒に線香花火をやっただけで偉く大袈裟だったが、喜んでもらえて悪い気はしない。やっぱり布都のように小さな女の子は、笑顔でいるのが一番だと霖之助は思う。


「あの、森近さん……私もやってみていいでしょうか、線香花火」

「……いいけど、君まで開始早々落としたりしないでくれよ」

「だっ、だからなんで私の時だけそんな不信なんですか!?」

「今日一日の君の行動を、僕が忘れたとでも?」

「う、ううっ……」


 黒ひげ危機一髪驚異の四十一連敗に始まり、霖之助の冗談を真に受けて尻餅をつき、なかなか点火しない花火を覗き込んでは霖之助の肝を冷えさせ、線香花火に失敗した布都が泣き出せば慰めるふりをして霖之助に丸投げ。この聖人(笑)に気を許してはならないと、霖之助の理性が警鐘を鳴らしている。


「し、心配いりません! 私だってやる時はやるのです!」


 と半ば自棄になりながら気合を入れていたのが、およそ十五秒前の神子である。

 そして今現在の神子は、庭の一角で体育座りをしてどんより雲をまとっている。


「……早かったな」

「……早かったね」


 本当に火をつけてすぐに落ちた。まだ玉が完成しきらないうちにもう落ちた。なにをどうやればそんなに早く落とせるんだと理解に苦しむほどあっという間に落ちた。才能というやつは恐ろしい。


「た、太子様ー……大丈夫ですかー……?」

「……え、なんですか? 私は大丈夫ですよ。布都は気にせず花火を続けていいですよ。どーせ私はダメな聖人ですよーふふふ……」


 神子は、あまり大丈夫ではなさそうだった。

 布都はおろおろした。


「え、えっと……た、太子様も霖之助と一緒にやればよろしいのではないですか!? 霖之助がいてくれれば安心ですぞ!」

「でも線香花火、もう一本しか残ってないですよね。最後の一本は布都がやった方がいいわよ。私がやってもどーせすぐまた落ちるだけなんだもの……」

「……布都。君のご主人様は、なんとも手間が掛かる人だね」


 神子には聞こえないよう、そっと呟くように言う。今日はもう顔も見たくないと言い切った屠自古の怒りが、わからんでもない気分である。


「ふふふ、やる時はやるって言ってこのザマ……さすがに自分でもどうなのって思いますよ。本当に私、どうしちゃったのかなあ……」

「り、霖之助! 太子様がおもむろに近くの雑草をむしり出した! どうすればいいのだ!?」

「いや僕に訊かれても……」


 もう放っといてもいいんじゃなかろうか。

 霖之助は半ば思考を放棄しかけていたが、布都は一生懸命にあたふたして、ううんと、ううんと、と健気に首をひねり続けていた。苦心した甲斐あってか、やがてその表情が名案の閃きにぱあっと明るくなる。


「太子様っ太子様っ! 我にいい考えがあります!」


 自信満々に声を上げて曰く、


「最後の一本ですし、いい感じに間を取って、三人みんなでやりましょう!」


 だから君は、一体どのあたりにある間を取ってきてるんだ。

 三人で一本の線香花火をやるなんて見たことも聞いたこともないので、咄嗟に遠慮の言葉が出てきそうになったけれど。


「みんなで一緒に……? 私も、交ざっていいんですか……?」

「もちろんです! そうであろう、霖之助!」

「……やれやれ」


 微妙に潤んだ瞳で神子に、そして欠片の疑いもない笑顔で布都に見つめられてしまえば、やっぱり霖之助には、無視できるはずもないのだった。






 ○



 ほんの三十秒程度のわずかな時間だ。けれどそれは、今日一日の中で一番尊い時間だったと布都は思っている。みんなで一本の線香花火を囲み、弾ける火花に目を細めたひとときは、布都の心の中で永遠に色褪せない宝物となりそうだ。

 霖之助と一緒にいると、毎日が楽しい。

 無論、霖之助に会えない日がつまらないというわけではない。でも霖之助に会えると、楽しい毎日が跳ね上がるようにもっと楽しくなる。

 なぜなのかは、布都自身もよくわからない。霖之助は布都が知らない知識をたくさん持っていて、様々なことをとても興味深く教えてくれる。だから霖之助と一緒にいるのは楽しいのだと、少し前までの布都は考えていた。

 けれど、よくよく考えてみるとちょっとおかしい。布都にたくさんのことを教えてくれるのは、なにも霖之助だけに限った話ではない。例えば寺子屋の半妖教師だったり、命蓮寺の女住職だったり、紅魔館のメイドだったり、名前すらよく知らない人里の住人たちだったり。布都の知らない知識を与えてくれるという点では、みんなおんなじだ。

 けれどやっぱり、霖之助だけが違う。

 霖之助だけは、特別、な気がする。

 それは一体、なぜなのだろう。少し考えて、はたと気づいた。多分、きっと、霖之助のことが好きだからだ。神子や屠自古と天秤にかけられたら、どっちも選べずに泣いてしまうほど好きだからだ。それくらいに大好きなのは、神子と屠自古を除けば霖之助しかいない。

 なるほど、と納得する。大好きだから、一緒にいると楽しい。神子や屠自古と一緒に生活していると、心が安らぐのと同じこと。なんだ、考えてみれば、なにも難しくない至極単純なことだった。


「布都。今日は、楽しかった?」

「もちろんですっ!」


 だから、道場への帰り道で神子にそう問われた時、布都はいつにも増して、自信満々に頷くことができた。


「霖之助と一緒にいて、楽しくない日などありません!」

「そう……」


 神子は、とても優しい瞳をしていた。吐息するように、


「……布都ったら、本当に森近さんのことが大好きなのね」

「はいっ!」


 布都は霖之助が大好きだ。神子や屠自古と同じくらいに大好きだ。それはとても素晴らしいことなので、力強く、大きく頷いた。

 すると神子は、ふとしたように物憂げな面持ちになって、小声で、


「……問題は、これがどっちの『好き』なのかよねえ……」

「? 太子様?」

「いいえ、なんでもないの」


 しかしそんなのはほんの一瞬で、すぐにいつもの穏やかな神子に戻っていたので、まあいいか、と布都は思った。そして「どっちの『好き』なのか」という、まるで『好き』には二種類あると言うかのような神子の言葉への疑問は、今日の楽しい思い出の中に埋もれて、やがて消えていった。

 神子と屠自古のことは好きだし、霖之助のことも好き。その二つの『好き』が同じかどうかなど――否、そもそも、それぞれが別の『好き』かもしれないと疑うことすら、布都は知らなかったから。

 二つの『好き』が、同じか、別物か――知る者はまだ、どこにもいない。




 それから布都は、時間が許せば毎日のように人里で花火を買って、暗くなると香霖堂に遊びに行った。そして霖之助と一緒に花火を楽しむのが、夏の間のささやかな日課となった。

 時には風が強くて花火ができない日もあったけれど、それはそれ、霖之助と一緒にいられるのだからまったく構いはしない。

 霖之助と一緒だと楽しい。霖之助がいてくれれば、なんだって楽しい。それは、とても、幸せなことだから。

 だから、なにやら『好き』には二種類あるらしいことなど、記憶から抜け落ちたまま、思い出しもしなかった。











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