思い出しても、忘れたフリをしていて(阿霖)
「――私のことなんか、忘れてください」
……今になってこんなことを言うのは、ちょっとばかり卑怯かもしれませんね。
でも、いつかは言わなきゃいけないんだと、そう思っていました。まあ、しんみりになって出た戯言だと思って、聞いてください。
「……どういう意味だい?」
文字通りの意味ですよ。私のことなんか、忘れてください。
それができないのなら、忘れたフリをしていてください。
「……どうして」
最期の望みです。
「どうして、そんなことを」
少し長くなりますよ。
「……構わないよ。聞かせてくれ」
そうですか。じゃあ失礼して。
……率直に言って、あなたは女運がないです。あなたほど女に恵まれない人は――まあ、ある意味では恵まれてるのかもしれませんけど――ともかく、数十年に一度の傑作だと思いますよ。
色んな女の人から言い寄られて。困らせて、困らせられて。
そして、私みたいな女を、伴侶に選んだりするんですから。
……怒ってくれるんですね。ありがとうございます。
でも、それが私の本心です。千年以上の歴史でも初めてですよ、阿礼乙女を伴侶とした男なんて。前代未聞です。
しかもあなた、人間じゃないですし。
まあ、半分は人間ですけど。
それは、どうでもいいですかね。
……で、また率直に言いますけど。
あなたは女を見る目がないです。ええ、もちろん、私を選んでくれた時はとてもとても嬉しかった。幸せで胸が張り裂けそうになる……そんなことが本当に起こるんだって、初めて知りましたもん。魔理沙さんとか、すごくうるさかったですけど。周りの嫉妬の目とか、すごくウザかったですけど。でも今にして思えば、そんなの大したことなかったと思えるくらいに、幸せでしたよ。
あなたは女を見る目がないです。御阿礼の子の寿命、あなたは知っていたはずですよね? なのにどうしてあなたが私を選んでくれたのか、私にはよくわかりませんでした。実際、こうしてあなたと生活できたのは……二年とちょっとですか。このたった二年ちょっとのためだけに、あなたは周りの素敵な女の人をみんな突っぱねましたのよね。だから私、あなたにプロポーズされた時にこう言ったんですよ? ……「バカですか?」って。
あなたは女を見る目がないです。私はとても幸せです。こうやってあなたに尽くしてもらえて、幸福のままに逝くことができます。でもあなたはどうですか? 私が逝ったあと、あなたは、幸せですか? 私はあなたに愛されてました。本当に、幸せすぎておかしくなっちゃうくらいに、私はあなたに愛してもらえました。そんな私がいなくなったら、あなたは、幸せであり続けられますか?
あり続けられるっていうなら、それでいいですけど。
……そのだんまりは、返す言葉がないってことで、いいですよね?
あなたは女を見る目がないです。慧音さんとか、すごくよかったじゃないですか。傍から見ててもすごくいい雰囲気だったのに。同じ半人半妖同士、すごくお似合いだったじゃないですか。
寿命、だって。
私なんかよりも、ずっと、ずっと……。
あなたは女を見る目がないです。あなたと一緒にたった二年しか生きられなかった私を愛したあなたは、もう、ダメダメです。絶食系じゃなかったことだけは評価しますけど、でもこれに懲りたら、次はもっと素敵な人を選んでくださいね。きっと今だって、あなたは引く手数多なんですから。
「――だから、忘れてください」
それができないなら、忘れたフリをしてください。
思い出しても、忘れたフリをしていてください。
あなたと二年しか一緒にいられなかった不出来な妻のことなんかさっさと忘れて、新しい人生のスタートを切ってください。
そうして、どうか幸せで、あり続けてください。
「……僕は、幸せだった」
それが過去形だからダメなんですよ。
最後の最後まで「幸せだ」と言い続けられるような人生を、見つけてください。
私は幸せです。今だって。これからだって。ずっと、ずっと。
たった二年間でしたけど、それでも二年間のあなたの命を、私に捧げてくれてありがとうございました。私は、みんなに申し訳なくなるくらいに幸せ者です。
ですから次は、あなたの番です。
私のオススメはやっぱり慧音さんですね。あの人はあなたにぞっこんなので、ちょっと甘い一言を囁けばイチコロですよ。あ、でもさすがに私が逝ってからすぐにやるのはダメですからね。私は構いませんけど、慧音さんはそういうの気にしますから。頭突きをもらいたくないんだったら、一年くらいゆっくりして、ほとぼりが冷めてからの方がいいです。
あとは文さんなんかもいいんじゃないですか? 夫婦二人三脚で新聞づくりなんてのも面白いかもしれませんよ。私が思うに、文さんもあれで結構尽くすタイプなので――
「阿求」
なんですか?
「そんなに、喋らないでくれないか」
なんでですか?
ウザかったですか?
「いや……だって君は、泣いてるじゃないか」
……。
…………。
空気読んでくださいよ、バカ。
「……ごめん」
まあ、いいですけど。あなたが空気を読めないのなんて昔っからですしね。
もう、せっかく気分が乗ってきてたのに台なしじゃないですか。言いたいことは大体言えたんで、いいですけどね。
ちゃんと覚えててくださいね? とっても大切なことを言ったので、今後の人生の至言とするように。
そのだんまりは、肯定と受け取りますよ?
……さて、お喋りしたら疲れちゃいましたので、もうおしまいです。ちゃんと休んでくださいね。ここ最近、あんまり眠れてないんでしょう? お店の方だって蔑ろになってるじゃないですか。いけませんよ、そんなのは。
「……誰のせいだと思ってるんだい」
あーあー、聞こえませんねー。
男を困らせるのは、女の特権なのです。
……それじゃ、おやすみなさい。
「阿求。……今日は僕も、ここで寝ても」
出て行きなさい変態。
「ひ、ひどいな」
ひどいのはあなたの方です。
……空気読んでくださいって、言ったじゃないですか。
「……、……ごめん」
いえいえ、どうしたしまして。
「……おやすみ、阿求」
ええ、おやすみなさい。
「また、会えるかい?」
神が許せば。
「……待ってるよ」
……そうですか。
ほら、さっさと行く。思い切りの悪い男は嫌われますよ。
「わ、わかったよ。……じゃあ、最後にこれだけ」
なんですか?
「……また、明日」
……。
…………。
………………バカ。
○
「……本当に、あなたはバカです」
あなたはもうこの場にはいませんけど、もう一度だけ、言わせてください。
「私のことなんか、忘れてください」
それができないなら、忘れたフリをしてください。
思い出しても、忘れたフリをしていてください。
あなたと二年しか一緒にいられなかった不出来な妻のことなんかさっさと忘れて、新しい人生のスタートを切ってください。
どうか幸せで、あり続けてください。
でないと、釣り合いませんよ。
私ばっかりがずっと幸せで、なのに最後にあなたが幸せじゃなくなるなんて、そんなのは嫌です。
私は御阿礼の子。どうしても、みんなを置いて死んでいってしまう立場なんです。だから、どうか幸せにはなりすぎないようにと、昔から心に決めていました。
それを台なしにしてくれたのは、あなた。
だからあなたは、私を幸せにした責任を取ってください。
責任取って、幸せであり続けてください。
私があなたにもらった幸せと、同じくらいの。いいえ、それ以上の幸せを、どうかみんなからもらってください。
私は、もうダメですけど。
あなたには、幸せを与えてくれる人がたくさんいるはずですから。
私のいなくなった世界でも、どうかあなたが、幸せに生きていけるように。
そのために、私のことなんて、忘れてください。
思い出しても、忘れたフリをしていてください。
そうして前を向いて生きていくんです。それが、私を幸せにしてくれたあなたが果たすべき責任です。
最後の最後であなたを不幸にした妻だなんて、そんな不名誉なレッテルは嫌ですし。
それに、いつまでもだらしなく私のことを引きずってちゃ、幸福にだって愛想を尽かされちゃいますからね。
……それじゃ、今度こそおやすみなさい。
願わくは、明日目が覚めた時に、あなたが私のことを忘れていますように。
「……もういいのかい?」
「ええ。お待たせしました、小町さん」
窓の向こう側からこんばんは。
今、そっちに行きますね。
「随分とさばさばしてたけど、あれでよかったのかい?」
いいんですよ。
あんまりしんみりしすぎると、あの人にとっても、私にとっても、よくないですから。
「そっか。……けど、あいつ、大丈夫なのかねえ」
なにがですか?
「いや。お前さんの体、あのままにしないでちゃんと弔ってくれるのかなって」
あのまま腐っちゃうのは、ぞっとしませんね。
まあ、慧音さんがいるので大丈夫でしょう。
「違いない。……んじゃ、そろそろ行くかい?」
そうですね、お願いします。
三途の川に行くのは、初めてですね。
「そうなのかい? あいつに連れていってもらったことは?」
危ないからって、近くの出店までしか連れて行ってくれませんでした。
ケチですよね。
「それだけ、あんたのことを大事に思ってたってことだね」
それは、そうかもしれませんけど。
でもお陰様で、三途の川のことは縁起に書けないままでした。
「今から行けるじゃん」
そしたら、死んじゃってますから今度は縁起を書けないんですよ。
二者択一。……今後の課題ですね。
「おや。ということはあんた、また転生するのかい?」
……。
……そうですね、しますよ。
あの無精者がちゃんと私の言いつけを守ってやっていけるかどうか、気になりますしね。
また、この世界に生まれ落ちて。
また、あの人に出会います。
「また、好きになる?」
どうでしょう。
まあ、また女の子として生まれることができたら……それもいいかもしれませんね。
「そっか」
ええ。
……じゃ、行きましょうか。
「りょーかい。……六文銭、ちゃんと持ってるかい?」
ばっちりです。
「住み慣れたこの古道具屋に、最期に言い遺すことは?」
……そうですね。
じゃあ、一言だけ。
「……お世話に、なりました」
……。
…………。
もう大丈夫です。
行きましょう。
「ん。……話、色々と聞かせておくれよ」
惚気話でよければ、いくらでも聞かせてやりますよ。
「ハッハッハ、そいつは気持ち悪くなりそうだねえ」
覚悟してくださいね、砂糖吐きますから。
たった、二年間だけでしたけど。
それでもあの人は、私の素敵な旦那様だったんですもの。
「そっか」
ええ、そうです。
……じゃ、なにから話しましょうか。
あ、今日はお月様が綺麗ですね。なら、あのお話がいいかもしれません。
なんだかとっても懐かしいです。
あの日も、ちょうどこんな――
「――霖之助さんの髪の毛みたいなお月様の、夜でした」