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霖CPSS集  作者: 雨宮雪色
1/9

伏兵は尸解仙(布都霖)





「――ああ、いいところに来てくれたね。悪いんだけど、ちょっと店番を頼まれてくれないかな」

「……ゑ?」


 その日、霖之助に会いに来た――香霖堂にやって来た、ではない――布都に掛けられたのは、そんな情け容赦ない一言であった。


「み、店番?」

「ああ、そうだよ。ちょっと急用が入ってしまってね、だから……」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。我がか? 我が一人でかっ?」


 慌てて彼のもとに駆け寄り、大きな袖を必死に引っ張る。彼は急ぎがちだった荷支度の手を止め、不思議そうに小首を傾げた。


「君以外に誰かいるかい?」

「だ、駄目だ! 我はそのっ、み、店番の仕方なんて全然わからぬぞ!?」


 というのは建前で、本当は「せっかくお主に会いに来たのに!」という本音があったりするのだけれど、布都にそれを言葉にする勇気はなかった。男の人相手にそんなことを言うのは、ちょっとだけ恥ずかしい。

 袖を掴んだこちらの手を取りながら、霖之助は苦笑する。


「大丈夫だよ。まあ、自分で言うのもなんだけれど、お客さんはほとんど来ないし、品物を買ってくれる人なんてそれこそだから、ここに座ってるだけの簡単なお仕事だ。それに君ならどこかの誰かさんみたいに店の物を物色することもないだろうし、信頼できるからね」


 信頼できるから、という言葉が、布都の頭の中で何度も反響した。その陶然とした響きに思わず酔ってしまいそうになる。しかし、八回くらい反響したところでいつの間にか霖之助が荷支度を終えて店を出ようとしていることに気づき、血の気を失った。


「ま、待ってくれ霖之助! わ、我は、その、」

「じゃあ少し行ってくるよ。できるだけすぐに戻ってくるから、よろしく」

「り、霖之助ー!?」


 呼び声虚しく、彼の背中が戸の向こうへと消えゆく。伸ばした布都の右手が掴むものは何もない。


「り、りんのすけええぇ……」


 そんなのあんまりだと、布都は涙目になった。






 ○



 暮れの春。神霊廟の異変を解決してしばし、行く春を惜しんで各地で宴会が起こっていたりするその日、霊夢はそれらの誘いを全て断り、香霖堂の古びた戸を叩いていた。

 いや、正確に言えば叩いてはいない。まるで我が家に帰るかのように遠慮なく、蹴飛ばすような勢いで突撃したのだ。


「こんにちはー霖之助さん! 冷やかしに来たわよー!」

「……霖之助のばかっ、霖之助のばかっ、霖之助のばかっ、霖之助のばかっ」

「……あん?」


 しかしこの日、珍しく店内に霖之助の姿はなかった。カウンターで番をしているのは彼ではない。何事かぶつぶつ言いながらカウンターをべしべしひっぱたく、謎の幼女だ。

 明るい青空の下から急に薄暗い店内に入ったものだから初めはよくわからなかったけれど、目が慣れてくれば、銀髪の上にちょこんと乗っかった烏帽子、誰であるかは一目瞭然だった。


「……あんた、布都?」

「霖之助のばかっ、霖之助の――ん? お、おお、霊夢か! い、いらっしゃいませ!」

「いらっしゃいませ?」

「よ、ようこそ香霖堂へ! 歓迎するぞ!」

「……」


 今にも舌を噛みそうになりながら、それでも懸命に声を張り上げて、こちらを迎えてくる彼女――物部布都。顔いっぱいに浮かべたその拙い営業スマイルが何を意味するのかわからなくて、霊夢はしばしの間、その場で呆然と沈黙することとなった。


「商品は自由に見てくれて構わんからな! く、寛いで行ってくれ!」


 そこまで一気に言い切った布都は、直後に顔を真っ青にして、うああとその場で頭を抱えた。そしてまた八つ当たりするようにカウンターを叩きながら、ぶつぶつと、


「こ、こんな感じでいいのだろうか……? というか、お客さんが来てしまったではないかっ。霖之助の嘘つき、ばかっ」

「ちょっと待ってよ、あんた……」


 我に返った霊夢はあくまで冷静に現状を分析する。まず、目の前の少女が布都であることは理解した。彼女がこの香霖堂にいることも、まあ百歩譲ってよしとする。だから問題は、彼女がここで一体何をしているのか、だ。

 いやいや、本当は既にわかっているのだ。「いらっしゃいませ」という言葉、そして浮かべた営業スマイル。何をしているのかなんて、考えるまでもなくわかることじゃないか。

 つまりこの幼女、霖之助と知り合ってからまだ間もないというのに――


「店番任されるなんて上等じゃないこんちくしょ――――!!」

「ふ、ふぎゃあああああ!?」


 私なんてまだ一回も頼まれたことないのに!

 霊夢渾身の平手打ちが、スパーン! と布都の烏帽子を吹っ飛ばした。






 気に食わない、と霊夢は内心で毒を吐く。霖之助とはそこそこ長い付き合いになる霊夢ですらまだ一度も経験していないことを、この尸解仙はたった一ヶ月そこらで成し遂げたのだ。気に入らないにもほどがある。


「あんた、随分と霖之助さんから信頼されてんのねぇ……?」

「ふ、ふふふ、そうだぞ我と霖之助は今やそれほどまで深い関――わあああすまぬすまぬなんでもない、だからその振り上げた拳を下ろすのだ! お、下ろ、下ろっ」


 ごちん、と鈍い音。

 ふぎゃあ、と布都の悲鳴。


「霊夢がいじめる!」

「ふふふ、違うわよ。出過ぎた杭は打たれるって言うでしょ? それよそれ」


 それにしても盲点だった。魔理沙や咲夜や文や早苗や妖夢や紫や慧音や――以下省略――、そのあたりは常日頃から警戒していたが、ここでまさか布都が一歩抜きん出てくるとは。しかもこうして店番を任されるあたり、大分親しい間柄であることも窺える。少なくとも、それを頼まれるくらいには信頼されているということだ。


 いつだったかは朧気だが、以前霊夢がここで霖之助と話をしていた時に、彼が急用を思い出して外に出て行ったことがあった。けれどその時、彼は「また今度来てくれ」と言って、一時的に店の看板を下ろしていたはずだ。店番なんて、頼まれもしなかった。


 ……これはまずい。これ以上リードされる前に牽制しておく必要がある。


「ねえあんた、いつの間に霖之助さんと仲良くなったのかしら……? ああ大丈夫、怖くないわよ。ただちょっと訊いてみたいなーって思っただけだもの」

「だったらその拳を下ろしたらどうなのだ!?」

「おっと」


 どうやら無意識の内に拳骨を振り上げていたらしい。いけないいけない、と霊夢は反省。椅子を引っ張り出してきて、布都と差し向かうように腰を下ろした。もちろん、両手は膝の上だ。


「ほら、じゃあ話してみなさいな。痛くないから」

「霊夢、その促し方はおかしいと思うのだが」


 霊夢は無視した。

 布都はしばらく半目でこちらを睨んでいたが、やがて諦めたように吐息。


「別に、なんてことはない。この香霖堂には、素晴らしい未知の道具がたくさんたくさん並んでおるだろう? だからちょくちょくやって来て、霖之助に話を聞かせてもらっておるのだ」


 それか、と霊夢は豁然(かつぜん)と悟った。つまり彼女は、誰しもが敬遠する霖之助のあの薀蓄(うんちく)を、自ら望んで聞きに来ているのだ。霖之助にしてみれば、誰も積極的に聞こうとしてくれない自分の考察を、目を輝かせて聞いてくれるありがたい存在――そりゃあ仲良くなるわけだ。


「ぐっ……あ、あんた、そこに目をつけるなんてなかなかやるわね」

「ん? なんの話だ?」


 しかも無自覚――なるほど、そこに恋愛的な打算などなく、純粋な道具に対する好奇心だけで話を聞いているということか。

 道具に対して強い興味関心を持ち、また霖之助のくどい薀蓄も嫌な顔一つせず聞くことができる少女――まずい、これは、霖之助とあまりに相性抜群な気がしてきた。


「しかし、霖之助は本当にすごいやつだな!」


 布都が俄然勢いづく。今までどことなく元気のなかったその瞳が、うってかわって、眩しいくらいに爛々とした輝きを宿した。


「尸解仙の我が知らぬことをなんでも知っていて、恐らく道具の知識に限れば太子様にも負けぬ! 本人は否定しておるが、きっとさぞかし高尚な御方なのだろう!」

「あー……」


 ――そうか、この目か。

 キラキラキラ、なんて音が今にも聞こえてきそうな、この。

 布都が霖之助から話を聞かされる時も、きっとこんな目をして一生懸命に相槌を打つのだろう。確かにこれほど眩しい光で続きをせがまれたら、いくらでも話をしてやりたくなってしまう。……霖之助はきっと、この目にやられてしまったのだ。


(まずい……これは、まずいわっ……!)


 霊夢は焦った。これは、一歩リードを許しているどころの話ではない。今すぐ霊夢も霖之助になんらかのアピールをして差を縮めておかなければ、完全に置いていかれてしまう。


 ではどうするか。布都と同じように、彼の薀蓄話に耳を傾けてみるか? いや、そんなのは無理だ。ものすごく不審な目で「どこか頭でも打ったのかい?」なんて言われそうだし、そもそも勉学からして好きじゃない霊夢にしてみれば、彼の薀蓄は子守唄に等しい。布都が目を輝かせて相槌を打つ隣で、霊夢はひっそりと夢の世界に旅立つだろう。そうなってしまっては、彼がますます布都に好印象を抱いてしまうだけだ。


「霖之助、早く帰ってこないかのう。もっとたくさん話を聞かせてほしい……」

(こいつ、ま、眩しすぎるっ……!)


 霊夢は布都を直視できなかった。彼女のこの計り知れない無垢さ。なんか、「霖之助さんは渡さない」「あんたには負けない」と魔理沙や紫といがみ合っていた自分が、どうしようもなく小さな存在であるかのように思えてくる。何も悪いことなんてしていないはずなのに、なぜかだんだん心が痛くなってきた。

 霊夢が胸を押さえてうんうん呻いていると、


「おーっす、香りーん。独り寂しく春してるかー?」

「……あら、魔理沙」


 跳ね飛ばすような勢いでドアが開き、入ってきたのは霧雨魔理沙。両手にお菓子が詰まった袋を提げ、頬はほんのり赤く、いかにも宴会帰りといった体である。彼女はこちらの姿に気づき、おう、と挨拶代わりに片手を挙げようとしたが、


「お、おお、今度は魔理沙か! い、いらっしゃいませ!」

「あ? ……お前、布都?」

「うむ、紛うことなく我だ。ようこそ香霖堂へ、ゆ、ゆっくりしていくが良い!」

「……はあ?」


 あいかわらず今にも舌を噛みそうな布都の出迎えに、思いっきり顔をしかめたまま固まった。その様が少し前の自分を見ているようで、やっぱりそういう反応になるわよねえと霊夢は吐息。椅子をもう一脚引っ張り出して、促す。


「魔理沙、とりあえず座ったら?」

「ん? あ、ああ……」


 まだこの状況を理解できていないのか、魔理沙の返事はどことなく心あらずであった。こっちに寄ってくる際に少しふらついたから、おおかた、大分呑んできたのだろう。

 霊夢はとりあえず魔理沙から袋を受け取り、我が物顔で中身を物色してみる。宴会の余り物なのか、お菓子はもちろん、おにぎりなどの軽食も詰まっていた。


「うわ、いっぱい入ってるわね。私のために取ってきてくれたのかしら、あらそうなのそれはありがとう遠慮なく頂くわね」

「……、」


 魔理沙は何かを言おうとして口を開きかけたけれど、言葉にしないまま、諦めるように首を横に振った。


「……まあそれでもいいか。いっぱいあるし、一袋やるぜ」

「わーい」


 ちょうど食べ物を切らしていたところだったから、なんとも折が良い。これで三日は持つわねーなんて考えながら物色を続けていると、魔理沙がこちらにそっと耳打ちしてきた。布都に聞こえないような小声で、


「で、なんでこいつがこんなところにいるんだ? それに『いらっしゃいませ』って、まさか……」

「あーうん、なんか霖之助さんに店番頼まれたらしいわよ」

「なんだと……?」


 布都を一瞥し、信じられないとより深く眉根を曲げた。


「こいつ、香霖とそこまで仲良かったのか?」

「らしいわね。霖之助さんに道具のこと教わりに、ちょくちょく話を聞きに来てるらしいわ」

「……なるほどな」


 さすが霖之助の幼馴染だけあって、魔理沙はそれだけで全ての事情を察したようだった。霊夢が準備した椅子にどかりと座り込むと、睨むように布都を見遣って、面白くなさそうに低く笑う。


「盲点だったぜ」

「ええ、そうね。どうしてくれようかしらね、これは……」

「お、お主ら、何か不穏な話をしとらんか?」


 霊夢と魔理沙は揃って無視した。


「香霖に色々話を聞く必要がありそうだな。……おい布都、香霖はどこに行ったんだ?」

「し、知らぬ。急用ができたと言って出て行ったきりだ。なるべく早く戻ってくるとは言っておったが……」

「ふうん。なら香霖が戻ってくるまでここで待たせてもらうぜ」

「それは構わんが……」

「よし決まりだ」


 魔理沙は持ってきた袋から煎餅の箱を取り出し、それを浅く掲げながらこちらに目配せしてくる。


「お菓子でも食って待ってようぜ。霊夢、お茶を淹れてくれ」

「魔理沙、世の中には言い出しっぺの法則ってのがあってね」

「袋没収するぞ」


 霊夢はお茶を淹れることにした。カウンターの横を通り過ぎ、香霖堂の奥、台所へと向かおうとする。

 すると、布都が何やら慌てた様子で椅子を立ち、小さい両腕をめいっぱいに広げて通せんぼしてきた。


「ま、待て! お主、どこに行くつもりだ!?」

「どこって、台所よ。お茶を淹れるんだから当たり前でしょ」

「ここは霖之助の家だぞ!? 勝手にそんなことをしてはいかん、泥棒ではないか!」


 なんだそんなことか、と霊夢は吐息。


「あのね、布都。私たちは霖之助さんに、お茶やお菓子を自由に食べることを許された深い仲なのよ」

「でも以前霖之助が、お主らが勝手に店のお茶やお菓子を食べてしまうから困ってる、と我に相談してきたぞ」

「……」

「霖之助に許されてるなんて、嘘であろう」

「……ほとんど黙認されてるようなものよ」

「嘘であろう」

「……」


 言い返せない。


「……まあ心配ないわよ、ちゃんとお代は払うから」

「ダメだっ! お主、ツケだツケだと言って一度も代金を払ってないのだろう!? 霖之助から聞いたぞっ!」

「……そんなことまで聞いたのね。霖之助さん、ちょっとお喋りすぎるんじゃないかしら」


 或いは、ついついお喋りになってしまうくらいに、この少女には心を許しているのか。そう思うと、また俄に焦燥感が込み上がってきた。

 無論、朴念仁な霖之助のことだ。布都に好意を抱いている可能性などは、万に――いや、億に一つもありえない。お得意さんとか友人とか、または妹とか娘とか、そういう視線で見ているに決まっている。

 けれど、そうやって色々な女性を惹き寄せていくのが森近霖之助という男。今のところは布都も、純粋に彼に懐いているだけといった体だが、それがいつ恋愛感情に変わるとも知れない。危険の芽は早めに摘み取って置かなければ。

 そう思考を巡らせる霊夢に、ほどなくして、布都から決定打が贈られた。


「霖之助は言っておった。布都は霊夢たちと違って信頼できる、と!」

「……」


 ――こいつ、今、なんと言った?


「私たちよりも、信頼できる?」

「そうだっ。だから霖之助は我に店番を頼んだのだ。我には、霖之助の信に応える義務がふぎゃあ!? な、なんでいきなりぶつのだ!?」

「さあ、なんでかしらね……?」


 うそぶきつつ、霊夢は魔理沙に目配せ。対し、彼女は笑顔で頷いた。

 やはり魔理沙も、同じ霖之助を想う者として、布都の危険性に気づいたようだ。二人の意志は、もはや言葉を交わすことなく通じ合った。――お互いの今後について、布都とはよっくと話し合っておくべきだ、と。


「なあ、布都。ちょっと私たちとOHANASHIしようぜ」

「え? な、なんか今」

「あら、それはいい提案ね。是非OHANASHIしましょうか」

「い、嫌だ! なんだかよくわからぬが嫌な予感がする!」

「大丈夫、痛くないぜ」

「そうよ、仮に痛くたってすぐ楽に――ゲフン」

「絶対に嫌じゃあああああ!」


 椅子を蹴って逃げ出した布都に対し、霊夢と魔理沙は一瞬視線を交わすだけで意思を疎通。一心同体の動きで、布都を香霖堂の隅へと追いやった。

 追い詰められた布都はその場でしゃがみガード、ガタガタ震えながら涙目で、


「お、お主ら、さては我のこと嫌いであろう!?」

「そんなことないわよ。そうならないために、これからOHANASHIするんだから」

「そうそう、だから観念するんだな」

「ひー!?」

「……一体何をやっているのかな、君たちは」

「決まってるでしょ、霖之助さんを誑かす危険因子を排除――って、」


 不意に響いた第三者の声。背筋がすっと冷えるのを感じて、霊夢と魔理沙は同時に振り返った。

 一体いつからそこにいたのだろう。森近霖之助が、目頭を押さえて悄然とため息を落としている。






 ○



「り、霖之助ええええええええ!!」


 布都は、気がついたら飛び出していた。待ちに待った彼の帰還は、布都を地獄の底から救い出してくれる蜘蛛の糸のようなもの。溢れた涙のせいで顔はよく見えなかったけれど、その胸の中に飛び込んでみれば、確かに彼の匂いがした。


「おっと。……大丈夫かい、布都?」

「霖之助のばかっ、帰ってくるのが遅いぞお! わ、我、ここで死ぬかとっ」

「ご、ごめんごめん。しかし、一体何があったんだい?」

「そ、そう、聞いてくれ霖之助。霊夢と魔理沙がな――」


 我をいじめるのだ――そう言おうとしたところで、気づく。

 背後から、なんというか、その、人でも殺せそうな絶対零度の視線を二つ感じるのだが――。


「ひ、ひい!?」


 つと背後を振り返って、布都は震え上がった。先ほどまで霊夢と魔理沙がいたはずのその場所に、二人の夜叉が立っている。目を鈍く光らせ、黒いオーラをまとい、姿形がとても彼女たちに似ている夜叉だった。


「り、りりりりり霖之助!? た、たすっ、助けっ」

「おっと。……一体どうしたんだい、霊夢、魔理沙。そんなに怖い顔して、布都が怖がってるじゃないか」


 ――あれって霊夢と魔理沙なのか!?

 戦慄した。なんてことだ。布都はてっきり二人を人間だと思い込んでいたが、その正体があんなに恐ろしい夜叉だったとは。急いで太子様に報告しなければ。


 ……と、その時は思ったのだけれど。


「こんにちは霖之助さん。大したことじゃないんだけど、随分とその子と仲いいんだなあって思ってね?」

「そうそう。一体どういう関係なのか、ちょっと気になったんだぜ」


 そう霖之助の言葉に受け答えしているのは、いつも通りの霊夢と魔理沙だった。

 あ、あれ? と布都は内心で首を傾げた。確か今の今までそこに夜叉が立っていたはずなのに、一体いつの間に。見間違いだったのだろうか。


「ああ、この子かい? どうやらここの道具に興味を持ってくれてるみたいでね、たびたびやって来ては、あれこれと話をせがんでくるんだよ」

「ふうん……。霖之助さんとはどういう関係?」

「そうだね……まあ、香霖堂の新しいお得意さん、といったところかな」

「そ、そう」


 そうだ、見間違いに決まってる。霖之助が帰ってくる前に隅っこに追いやられて何かされそうになったものだから、その時の恐怖心が尾を引いて、あんなありもしない幻覚を見てしまったのだ。そうに決まってる。布都は何度も心の中で、そう強く自分に言い聞かせた。


 ――故に、「香霖堂の新しいお得意さん」という彼の言葉に霊夢と魔理沙がほっと胸を撫で下ろしていたのには、気づくことなく。


「それがどうかしたかい?」

「ううん、それだったら別にいいのよ。ほら、いきなり店番なんてしてたものだから、なんか怪しいなって思っちゃって」

「ああ、確かにそうだったかもしれないね。……もしかして、布都が何か失礼なことでもしてしまったかな?」

「む!? そ、そうだったのか!?」


 すぐ上から降ってきた彼の言葉に、布都は驚愕すると同時、どうして霊夢と魔理沙がこちらをいじめるような真似をしてきたのかを悟った。

 二人は、決してこちらをいじめようとしていたわけではなかったのだ。真実は、


「……では霊夢と魔理沙は、ああやって遠回しに、未熟な我を叱ってくれておったのだな。霖之助から信頼されているにもかかわらずなんと不甲斐ないのか、と」

「えっ……あ、あー、実はそうだったのよ。ねえ、魔理沙?」

「えっ……あ、ああ、そうだな。なんかそんな感じだった気がするぜ」

「そ、そうか……」


 なんと情けない、と布都は己を叱責した。これで霖之助から信頼されていると胸を張っていたというのだから、もはや立派な笑い種だ。あまりの不甲斐なさに、顔を上げることすらできなくなってしまう。


 ――故に、霊夢と魔理沙がなんとも据わり悪そうに目を泳がせているのには、気づくことなく。


「そうだったのか……。店番を任されておきながら、なんとも情けない」


 もしかしたら、お茶を淹れようとした霊夢を引き止めたのが悪かったのかもしれない。事前にちゃんと霖之助から許可を得ておいて、布都自らが淹れてもてなしてやるべきだったのだろう。ただカウンターに座っているだけではダメ、ということだ。

 そういえば霖之助は、布都がここにやって来るたびにお茶を淹れて歓迎してくれていた。きっとあれが正しい店番の仕方なのだ。布都は何より彼の実演を日頃から見ていたというのに、緊張のあまり、今の今まですっかり忘れてしまっていた。

 ここまで来れば、もはや、布都の落ち度は明白だ。


 ――霖之助は、せっかく我のことを信じてくれていたのにっ……!


 ただただ情けないばかりで、目元に水分の気配が近づいてくるのを感じた。でも霖之助にそれを見られたくなくて、彼の裾にくしゃりと顔を押しつけた。


「すまぬ、霖之助っ……我では、お主の信頼に応えられんかったぁ……!」

「え? ちょ、ちょっと待ってくれ……?」


 霖之助が何かを言ったような気がしたけれど、よく聞こえなかった。ああ、もしかしたら失望されてしまっただろうか。そう考えると、どうしてなのか、感じていた情けなさが突然恐怖に変わった。もし嫌われたら、その言葉を思い浮かべるだけで、心が引き裂かれてしまいそうだ。


「ふえ……」


 恐怖に耐えられず、声を上げてしまう。こんな風に裾に泣きつかれて、霖之助も困っているだろうに、それを確認するような勇気もなかった。ここから彼の顔を見上げることすら、今の布都には怖かったのだ。


 ――故に、心底気まずそうに沈黙した三人が超高速でアイコンタクトを交わしまくっているのは、気づくことなく。


 やがて霖之助が、こちらの背中をそっと叩いてきた。


「だ、大丈夫だよ布都。少なくとも僕は君に店番をしてもらえて大助かりだったし、霊夢と魔理沙だってそんなことで気を害したりはしないさ。そうだろう?」

「そ、そうよ。大体、初めてのことを完璧にこなす方が難しいでしょうが。その、私だって、いきなりこんなこと頼まれたら失敗しちゃうと思うし」

「だ、だな。だからあんまり気に病むことでもないぜ。これからできるようになっていけば問題ないんだよ、うん」

「……みんな」


 三人の言葉が、不思議な暖かさを持って心に染み込んでいく。霖之助はもちろん、一時はその姿が夜叉にすら見えた霊夢と魔理沙までもがそう慰めてくれることに、深い感慨を覚えずにはいられなかった。

 だから布都は、ほどなくしてこう決心する。まだ目元に涙の気配は残っていたけれど、勇気を奮い立たせて霖之助を見上げ、力強く告げた。


「霖之助っ、我に香霖堂をお手伝いをさせてくれ! 必ず、お主の信頼に応えられるようになってみせるからっ!」


 霖之助の信頼に充分に応えられないまま終わってしまうなんて嫌だ。絶対に店番の仕方をマスターして、霖之助に褒めてもらうのだ、と。

 彼は一瞬驚きで目を丸くして、それでもすぐに微笑んでくれた。



「……そうだね。君ならすぐできるようになるさ」



 ――いつもは少し寂しい香霖堂に、優しく暖かい空気が満ち溢れていくのを感じた。その奇妙な居心地の良さに、布都や霖之助だけでなく、


「ま、頑張りなさいな。偶には様子を見に来てあげるわ」

「案外、香霖よりも商売上手になったりしてな。……いや、それは言うまでもないか」

「魔理沙、それは一体どういう意味かな」


 本来これを止めるべきであるはずの霊夢と魔理沙までもが、完全に流されてしまって。


「うむ……ではよろしく頼むぞ、霖之助!」


 あくまで本人に他意などないとはいえ、『霖之助のお手伝い』というさり気なく美味しいポジションを、布都は見事に掻っ攫っていったのだった。






 後に、香霖堂でたびたび目撃されるようになる銀髪の店員。店主と仲睦まじく香霖堂を切り回すその姿が、幻想郷の一部の女性陣に大きな衝撃を与え、更にその中の一部では暴動を引き起こす原因になったりもするのだけれど。

 その時になって、博麗の巫女と普通の魔法使いは、頭を抱えてこう語った。


 あいつは思わぬ伏兵だった、と。












(読まなくてもまったく困らないあとがき)


 おはようございます。もしくはこんにちは。はたまたこんばんは。当サイトで『銀の狐と幻想の少女たち』を投稿している、雨宮雪色と申します。

 本作品は、私がブログ及びpixiv様に投稿している森近霖之助のカップリングSSを、ご要望から当サイトへマルチ投稿したものとなります。『銀の狐と幻想の少女たち』の投稿をメインに行っている身ですので、こちらは完全に息抜きの不定期更新となることをご了承ください。


 それでは、霖CPがお好きな方も、霖CPに興味を持ったばかりの方も、ただなんとなく読んでみただけの方も。

 布都霖にゃんにゃん。

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