私的庭球偵察日和 その1
四畳半神話体系を読んで、感動致しました。
よい一期一会となれるよう努めさせて頂きます。
「先輩、趣味の一つぐらい持ち合わせていないのですか。つまらない男ですね」
待て、それは違う。大きな誤りだ。君は激しく私という人間を誤解している。この世に私ほどの趣味人もいまい。古今東西、草の根掻き分け探したとしても、私ほど興味を多方面に突き出して世を歩く人間はいないはずだ。何なら、好奇心が服来て歩く、といっても何ら過言ではないのだぞ。
私の壮大にして美しく、思わず録音して何度も寝る前に枕元で繰り返し流しておきたくなる弁明が、本来ならそこから始まるはずだったのだが、それを聞くはずの麻倉氏が気付けば私の前から消えていた。
遺憾に思って不貞寝しようという気持ちを抑え、咄嗟に追いかける。麻倉氏は、玄関で靴を履いているところであった。幸いにも、履くのに時間がかかる靴であるらしく、彼女は靴紐を相手に悪戦苦闘を繰り広げていた。背後に立っても、反応はなし。暖簾にでも腕押ししているようだ。
小さな指が、あっちに行ったり、こっちに行ったり。私より靴紐がそんなに大事か。
「全く、そんな履くのに時間がかかる靴ならば、捨ててしまえ」
言い終えて、少し胸のすく気分だった。やはり、他人の揚げ足を取るのは愉快なものだ。
それまで背後の私の存在など、路傍の石ころの一つだと唱えるような不遜な彼女の背中が、そこでユラリと立ち上がった。私は思わず腰を抜かす。やはり不貞寝しておけばよかった。
しかし、私の予想とは裏腹に、彼女の口からは私を罵る罵詈雑言が唱えられることはなく、代わりに彼女は、靴箱から何やら小さな紙箱を取り出した。
私がその紙箱の正体を掴めずにいるのを尻目に、彼女はその紙箱の封を解いて、一組の靴を取り出した。明らかに新品の運動靴である。世のありとあらゆる脚光を浴びきったかのようにそれは白い。あまりに眩しくて目が潰れるかと思えた。
「な、何だ、それは俺への当て付けか!」
ああ、二年前の大学入学時には私も、これほどの光を放って生きていたのだろうか。今や、世の中の泥という泥を一心に浴びて、見るも凄惨たる風貌になってしまったが。
「何をおっしゃっているのですか」
彼女は心底不思議そうな顔をする。おのれ、無意識で私の繊細な心を痛めつけるとは、なんという恐ろしい女子であるか。
「それは何だといっているのだ。一体、何に使うつもりだ」
「靴です。用途は履いて、……終わりです」
履いて終わりだと! ……それでは、ただの靴ではないか。
「ですから、ただの靴ですよ。テニスシューズ」
「て、てに?」
「これから私は先輩には居ないお友達という方たちと、日が暮れるまでテニスをしてきます」
「な、なんと! オトモダチだと。初耳だぞ、一体どこで手に入れた」
「学校のサークルですよ。昨日、誘われたのです」
では、行って参ります。と彼女は私に背を向け玄関を開ける。
「待て! だいたい、テニスだとかいう妙ちきりんスポーツが、お前なぞにできるのか。足を捻って帰ってくるのが関の山じゃないか」
「それは先輩のことでしょう。階段の昇り降り程度で息を切らすような、先輩の」
彼女のその言葉で前後喪失を味わうことになった私には、もはやテニスだとかいう高尚そうなスポーツへと出向き、オトモダチが居るというかくも羨ましい空間に戯れんとする彼女を引きとめる余力など、塵一つも残されてはいなかった。
「うぐぐ、俺を差し置いて趣味を持つ、だと。……許せぬ」
かくして私の、彼女のいうテニスサークル偵察は始まった。
一応弁明しておくが、これは私の生涯の伴侶となるであろう麻倉女史のための行動である。
大学のサークルといえばそれらは大抵、名ばかりの破廉恥な猥褻団体と決まっているのだ。そんな野獣共の檻の中に、生涯の伴侶となる女性が入っていくのを、諸君なら黙って見ていられるだろうか。いや、きっとできまい。私にできぬのだ、諸君にできるわけがない。
それに、私にいわせれば、誘われた程度でこちらから赴くなど笑止千万。せめて三顧の礼ぐらいの手続きがあり、そこではじめて腰が上がって然るべしなのだ。親しみ中にも礼儀あり。その礼儀も弁えず、三顧どころか二顧にも至らぬ有象無象など犬以下だ。
しかし彼女は生まれ持っての石頭で、頑として私のいうことを聞こうとしない。ならば仕方あるまい。彼女に、どこらの馬の骨を近づけさせない役目は、きっと私にしか出来ない仕事。それが原因で彼女本人からも辟易されようとも、将来の光り輝く彼女の将来のために、私は心を鬼にしてそのサークルとかいう猥褻の巣窟に足を入れようではないか。
意を決めた私は部屋に戻り、急いで服を着替え、家を出た。
にっくき青春を謳歌する、あの忌まわしき大学へと、震える足を鼓舞しながら向かった。
お読み頂き、まことありがとうございました。
拙い語彙、乱文、意味深長とありましたが、お楽しみ頂けたら幸いです。