殿下はわたくしとの婚約を破棄する可能性が高いのですよ
「殿下はわたくしとの婚約を破棄する可能性が高いのですよ」
「えっ?」
ある日のお茶会で、水晶玉から目を離さないモードリン・サックレイノス侯爵令嬢にそう言われた。
モードリンはケルエリス王国第一王子であるぼくフレッドの婚約者でさ。
可愛くてキッチリした令嬢だよ?
でも言っちゃなんだけど妙な迫力があって、とても逆らえる気がしない。
ぼくもそんなモードリンのことを気に入ってるし。
だからぼくがモードリンとの婚約を破棄するなんて考えられないんだけど?
「な、何で?」
「殿下の前に素敵な令嬢が次々現れるからです」
「ぼくが浮気するってこと?」
ないない、それはない。
だってぼくはこう見えて慎重派だもの。
王命の婚約に逆らおうと思わないし、愛なんて面倒だと思ってるほうだし、モードリンに何の不満もないもの。
モードリンだって素敵な令嬢だしね。
モードリンがやや顔を伏せる。
「わたくしは……『見える』力だけを根拠にフレッド殿下の婚約者になったではないですか」
そう、モードリンは分岐点まで含めて未来がある程度『見える』という、特殊な力を持っている。
それがぼくの婚約者になった決定的な要因だというのを否定する気はない。
でも元々ぼくの婚約者候補なんて高位貴族の令嬢くらいだから、数は多くないしな?
中でも同い年で淑女で可愛くて頭がよくて、ぼくが一番気に入っている令嬢はモードリンなんだ。
「だけを根拠に、なんてことは全然ないって」
「ですかねえ?」
「そうそう。ぼくがモードリンのことを一番好きなのは本当」
あれ、また顔が曇ったな。
ここは赤くなる場面なんじゃないの?
何かぼく失言した?
あっ、さっきぼくの前に『素敵な令嬢が次々現れる』って言ってたな。
これから初顔合わせの子が多くて、いずれぼくが浮気すると思われている?
「……今後殿下の前には、聖女や外国の王女、年下の公爵令嬢、怪盗などが現れるのですよ」
「最後の何?」
怪盗って。
いや、聖女も大概だけれども。
バラエティに富んだメンバーだなあ。
でも『見える』モードリンの言うことならば、それらの女の子達がぼくの前に登場するところまでは本当になるんだろう。
ちょっと楽しみではあるけど……。
「わたくしも詳しいことはわかりかねるのです」
「うん、だよね」
未来って決まっているものではないらしいし。
でも聖女、外国の王女、年下の公爵令嬢、怪盗などが現れるところまでは決定なのか。
面白いと思うんだけど、面倒が勝ってしまうのはぼくの悪いところなのだろうか?
将来のケルエリス王としては失格?
「わたくしは『見える』力を駆使して、ケルエリス王国とフレッド殿下に平穏と安定を提供することはできると思います」
「大変に重要なことだね。とてもありがたい」
「しかしそれは殿下の可能性を消してしまうのかもしれないのですよ」
「えっ?」
ぼくの可能性を消す?
どういうことだろう。
実はぼくはもっとやれる子ってこと?
ええ? そんなの望んでないんだけど。
聖女や怪盗なんて、どう考えても価値観が似てると思えないし。
ぼくはお嫁さんにエキセントリックなことは求めてないしなあ。
平穏が一番だと思うよ。
「まあぼくはモードリンがいいな」
「ありがとう存じます」
モードリンの表情が晴れないな。
まだ婚約したばかりだから、不安なこともあるんだろう。
ぼくは君のこと、ウェルカムだからね。
◇
――――――――――六〇年後。モードリン視点。
「「乾杯」」
夏の夜は冷たい柑橘の果汁が爽やかでいいですね。
結局フレッド様は一貫してわたくしを選んだのですよ。
王として君臨した三〇年間、ケルエリス王国はまずまずの発展を見せたかと思います。
わたくしがフレッド様をお支えすることでできることは全てやったという自負があります。
しかし……わたくしがフレッド様の足を引っ張ってしまったという思いがつきまとって離れません。
六〇年間ずっとです。
フレッド様には偉大な王となる道筋があったのに。
「ああ、のどに染みる」
「うふふ、そうですね」
健康にいいフルーツとして柑橘が普及したのは、フレッド様治世下の特徴の一つでしょうか?
食の充実は平和を象徴する出来事ではありましょう。
わたくしの貢献したことでもあります。
が……。
フレッド様が退位し隠居して一〇年になります。
歴史書に記されるフレッド様の業績に何がありましょうか?
特筆すべきことは何もないでしょう。
凡庸な王と記載されてしまうのでしょうか。
わたくしはそれを思うと忸怩たる気持ちになるのです。
例えばフレッド様の妃が聖女スバルだったら。
出現する魔王を叩き潰して英雄王と呼ばれたはずなのです。
また例えば妃が怪盗シンディバットだったら。
中原諸国を平定し征服王と呼ばれていたでしょう。
フレッド様が偉大な業績を挙げる機会を、わたくしは潰してしまったのです。
「モードリンは今、何を考えているのかな?」
「……当ててみてくださいませ」
つい逃げてしまいました。
わたくしは卑怯な女です。
「そうだな。そのくよくよした表情は覚えがあるよ。あれはまだ婚約したばかりの頃のお茶会で、『殿下はわたくしとの婚約を破棄する可能性が高いのですよ』と言った日だった」
「えっ?」
そんな昔のことを覚えているのですか?
さすがフレッド様は賢王です。
ああ、でもわたくしにも記憶がありますね。
フレッド様がわたくし以外のどなたかを婚約者とした時、偉大な未来が現出する可能性があったことを知った直後のことでした。
その可能性をポロッと口にした時ですから。
「くだらない」
「えっ?」
くだらない?
これはちょっと意味がわかりませんけれど。
「予はモードリンとともに最高の人生を歩んだ。これ以上の現在があるものか」
「……でもフレッド様には英雄王と呼ばれる現在も、征服王と呼ばれる現在もあり得たのです。それを考えると……」
「その現在には多くの人死にを伴っただろう?」
「あっ……」
言われてみれば。
魔王を滅ぼすのにも中原を平定するのにも、多くの犠牲者が出たことに間違いありません。
「予の人生が血液で舗装された道でなくてよかった」
「うふふふっ」
ああ、何という温かい視線。
そう、フレッド様はこういう方でした。
英雄王よりも征服王よりも、人々が笑い、楽しみ、喜ぶ世界を欲するのでした。
そうした未来を欲していたフレッド様になら、わたくしは十分貢献できたと思います。
わたくしは『見える』ことを自慢していながら、自分の夫の優しい心根すら見えていませんでした。
笑ってしまいますね。
いえ、長年のわだかまりが溶けた、心からの笑いです。
バカなわたくし。
「今があるのはモードリンのおかげだよ。ありがとう」
「フレッド様……」
「君が最も欲しかった道をくれたんだ」
いえいえ、フレッド様こそ。
いつまでもくよくよと迷い悩むわたくしに、最も欲しい言葉をかけてくださいました。
何と素敵な人生でしょう。
「フレッド様が夫でよかったです」
「今頃?」
「今になってようやく悟れたと言いますか」
そう、これでいいのです。
わたくしも胸を張ってフレッド様の隣を占めましょう。
「ハクション!」
「季節の割に夜風が冷たいな」
そっと重ねられたフレッド様の皺深い手はいつまでもずっと温かく、わたくしを包み込んでくれます。
水晶玉がなくても、わたくしには見えています。
フレッド様とともに歩む、穏やかで幸福に満ちた余生の景色が。
夜風が運ぶ柑橘の爽やかな香りに目を細めながら、わたくしは愛しい夫へと、もう一度微笑みかけました。
歴史書は血を流さなかったフレッド様を平凡な王と断じるかもしれません。
いいのです、歴史家などに評価されなくても。
フレッド様の選んだ道は誰にとっても歩きやすいと、ともに歩んだわたくしにさえ気付かせないほど自然なのですから。
このケルエリス王国に生きる何万もの名もなき人々にとって、そして何よりフレッド様に選ばれたわたくしにとって。
フレッド様は世界中のどの英雄よりも偉大で最高に誇らしい、最愛の王なのです。
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