第5話:小さな悪役ムーブ①
それは、本当に些細な出来事だった。
廊下の角。
人の少ない時間帯。
レオンは、足元に落ちている物に気づいた。
小さな革のポーチ。
刺繍入りで、貴族用の装飾が施されている。
(忘れ物か)
誰かが慌てて落としたのだろう。
踏まれれば壊れる。
それだけの理由で、レオンは拾い上げた。
――その瞬間。
視界の端で、UIが一瞬だけ点滅する。
(……今の、何だ?)
気に留めるほどでもない。
そう判断して、歩き出した。
少し先で、同じポーチに似た物を探している様子の生徒がいた。
女子生徒だ。
困ったように周囲を見回している。
レオンは、近づく。
「これ、落とし――」
言い終わる前に、
彼女の視線が、レオンの手元で止まった。
空気が、変わる。
「……それ」
声が、わずかに強張る。
「それ、私のです」
レオンは、すぐに差し出した。
「落ちていました」
事実だ。
余計な言葉も、感情もない。
だが。
彼女は、一瞬だけ躊躇した。
ポーチを受け取る手が、止まる。
周囲に、数人の生徒が集まってきていた。
「え……?」
「今、奪おうとしてなかった?」
小さな囁き。
(……は?)
レオンは、状況を理解できずにいた。
奪う?
何を?
彼女がポーチを受け取る。
その表情には、困惑と――
わずかな、恐怖。
視界に、数値が浮かぶ。
【恐怖:上昇】
【警戒:上昇】
(違う)
そう言おうとした。
「拾っただけです。返そうと――」
説明しようとした、その瞬間。
――UIが、またチラついた。
言葉が、ほんの一拍遅れる。
その“間”が、致命的だった。
「……今さら?」
誰かが、そう呟く。
「最初から返すつもりなら、
もっと早く声かけるでしょ」
視線が、刺さる。
レオンは、口を開いたまま、言葉を失った。
(何で、そうなる)
理屈ではない。
雰囲気が、そう決めている。
「……ごめんなさい」
女子生徒が、小さく頭を下げた。
レオンにではない。
周囲に、だ。
「私が、気をつけます」
その一言で、流れが確定した。
――被害者は彼女。
――加害者は、レオン。
視界が、静かに染まっていく。
【冷淡:固定】
【他者軽視:付与】
(……ああ)
これか。
これが、
“悪役ムーブ”。
本人の意思とは関係なく、
そう“見える”ように世界が組み替える。
レオンは、もう説明しなかった。
説明すれば、
きっと「言い訳」に変換される。
沈黙。
それが、最善だと悟る。
周囲の生徒たちは、ひそひそと話しながら離れていく。
残されたのは、
何もしていないのに、何かをしたことになった事実だけ。
(善意でも、ダメか)
レオンは、ゆっくりと歩き出す。
怒りは、ない。
悔しさも、薄い。
ただ、理解が深まっただけだ。
この世界では、
役割に逆らう行動は、すべて悪意に翻訳される。
それが、始まりだった。




