第36話:剣士セラとの遭遇
異変に気づいたのは、畑に水を撒いている最中だった。
土を打つ音に混じって、
不規則な足音が聞こえる。
速い。
だが、乱れている。
(……逃げてる?)
レオンは、すぐに作業を止めた。
森の方から、
人影が飛び出してくる。
女だ。
軽装の剣士。
息が荒く、
肩から血が滲んでいる。
その背後――
低く唸る魔物の気配。
「……ちっ」
レオンは、即座に距離を測った。
自分。
剣士。
魔物。
戦力差は、明白だ。
(助けない、って選択肢もある)
頭が、冷静にそう判断する。
関わらなければ、
ここでの生活は続く。
危険を背負う必要はない。
誰かを助ける義務もない。
ここは、
自分の居場所だ。
剣士が、こちらに気づく。
一瞬だけ、視線が合う。
何かを叫ぼうとして――
言葉にならず、足がもつれる。
(……倒れるなよ)
レオンは、舌打ちしそうになるのを堪えた。
助けない選択肢は、
確かに、合理的だ。
だが――
(完全に見捨てるのは、違う)
理由は、うまく言葉にできない。
正義感でも、
自己犠牲でもない。
ただ、
「最低限」なら、できると思った。
レオンは、川の方へ走る。
魔物の進路を、
横から大きく外す位置。
拾い集めた石を、
全力で投げる。
――ガンッ。
魔物の注意が、一瞬逸れる。
その隙に、
剣士が体勢を立て直す。
「……!」
彼女は、状況を即座に理解したらしい。
逃げる方向を変え、
森とは逆へ走る。
レオンは、もう一度石を投げ、
最後に、大きな音を立てて薪を崩した。
派手なことは、しない。
魔法も、使わない。
ただ、
「追う価値がない」と思わせる。
魔物はしばらく唸り、
やがて、森の方へ引き返していった。
静寂が戻る。
レオンは、息を整える。
「……はぁ」
心臓が、早い。
だが、無傷だ。
剣士は、少し離れた場所で立ち止まっていた。
剣を構えたまま、
こちらを警戒している。
「……助けた?」
彼女の声は、かすれている。
「追い払っただけだ」
レオンは、正直に答えた。
剣士は一瞬黙り、
それから、力を抜いた。
「それで十分だ」
短く、そう言って、膝に手をつく。
無理はしていない。
恩を着せるつもりもない。
レオンは、距離を保ったまま言った。
「ここは辺境だ。
無理に進まない方がいい」
忠告だけ。
それ以上は、踏み込まない。
剣士は顔を上げ、
少しだけ笑った。
「……忠告、受け取る」
名前も、目的も、聞かない。
助けたのは、
“最低限”。
それ以上でも、
それ以下でもない。
レオンは、畑の方へ戻る。
背後で、剣士が歩き出す音がした。
この出会いが、
何を連れてくるのかは、分からない。
だが今は――
生き延びた。
それだけで、十分だった。




