第31話:魔物との距離
気配に、先に気づいたのはレオンだった。
風向きが変わる。
草が、不自然に揺れる。
森の縁――
少し離れた場所で、何かが動いた。
(……いるな)
姿は、まだ見えない。
だが、夜に聞いた鳴き声と同じ“圧”を感じる。
魔物。
学園では、
倒すべき存在として教えられていた。
危険だから。
人に害をなすから。
強さを示すために。
剣を持ち、
魔法を使い、
勝てば評価される。
そういう“物語”。
だが、レオンは動かなかった。
手にしているのは、
昨日削っただけの木の棒。
武器と呼ぶには、心許ない。
(勝てないな)
即座に、そう判断する。
迷いはない。
生活魔法があっても、
身体能力が上がるわけじゃない。
経験もない。
守るべき誰かも、今はいない。
ここで戦う理由は――ない。
魔物の影が、木々の間を横切る。
大きい。
速い。
気づかれていない可能性は、まだある。
(……避けよう)
レオンは、ゆっくりと後退した。
足音を立てないように。
視線を合わせないように。
呼吸を、浅くする。
逃げることは、恥じゃない。
避けることは、負けじゃない。
生き延びるための、判断だ。
魔物は、しばらく周囲を嗅ぎ回り、
やがて、森の奥へと消えていった。
完全に気配が消えるまで、
レオンは動かなかった。
……数分後。
ようやく、肩の力を抜く。
「……よし」
心臓は、早く打っている。
手のひらに、汗が滲んでいる。
怖かった。
だが――
後悔は、ない。
(生きてる)
それが、何よりの結果だ。
学園なら、
「なぜ戦わなかった」と言われただろう。
勇気が足りない。
貴族として恥。
悪役らしい卑怯な選択。
そんな言葉が、浮かぶ。
だが、ここには――
誰もいない。
評価も、断罪も、ない。
レオンは、畑と家の位置を見直し、
森との距離を少し取るように、歩き出した。
(近づきすぎない)
それが、今の最適解だ。
倒さなくていい。
支配しなくていい。
ただ、
距離を測る。
自分が生きられる範囲を、
静かに、広げていく。
魔物は、敵じゃない。
自然の一部だ。
そして自分は、
まだ弱い。
その現実を、
否定せず、受け入れる。
レオンは、
今日も生き延びた。
それで――
十分だった。




