第9話:聖女の涙
それは、昼休みの終わりだった。
誰かが、聖女ミリアを囲んでいた。
理由は、最初は分からなかった。
ただ――
人だかりの中心で、彼女が俯いている。
小さく、肩が震えていた。
「……どうしたの?」
「ミリア様?」
声が重なり、心配が集まる。
レオンは、少し離れた場所で、その光景を見ていた。
近づく理由はない。
近づくべきでもない。
やがて、ミリアが顔を上げる。
潤んだ瞳。
こぼれそうな涙。
「……ごめんなさい」
それだけで、空気が張りつめた。
「私が、気にしすぎなのかもしれません」
「でも……」
言葉が、途中で切れる。
沈黙。
その沈黙が、周囲に想像の余地を与える。
誰かが、察したように息を呑む。
「……あの人のこと?」
名前は出ない。
だが、視線が一斉に動く。
――レオンの方へ。
ミリアは、慌てたように首を振る。
「ち、違います」
「誰かを責めたいわけじゃ……」
否定。
だが、それは弱い否定だった。
涙が、一滴、落ちる。
その瞬間。
レオンの視界で、
数値が――一斉に動いた。
【ミリア:好感度 上昇】
【信頼:上昇】
【保護欲:生成】
同時に。
【レオン:警戒 急上昇】
【敵対:形成】
(……来たな)
レオンは、ただそう思った。
ミリアは、泣いているだけだ。
誰の名前も出していない。
何をされたとも、言っていない。
それでも、
物語は完成していく。
「無理しなくていいんだよ」
「何かあったなら、僕たちが――」
王子アレクシスが、一歩前に出る。
優しい声。
正しい立場。
彼の存在が、場を“正解”へ導く。
ミリアは、困ったように微笑んだ。
「……ありがとうございます」
その視線が、
一瞬だけ、レオンの方をかすめる。
敵意はない。
悪意もない。
ただ――
**“助けを求める視線”**だった。
それで、十分だった。
周囲が、納得する。
――ああ、やっぱり。
――聖女様が、あんな顔をするなんて。
理由は要らない。
感情が、証拠になる。
レオンは、何も言わなかった。
弁解もしない。
否定もしない。
ここで何か言えば、
“聖女を泣かせた悪役”が、完成するだけだ。
だから、黙っている。
視線を落とし、
その場を動かない。
数値が、確定していく。
【悪意:仮定】
【加害者候補:固定】
(準備、完了か)
そう理解した瞬間、
不思議と、心は静かだった。
怒りはない。
悔しさも、薄い。
ただ、流れが見えただけだ。
これは断罪の前段階。
皆が「そうだ」と思えるための、感情の下地。
ミリアは、泣き止んでいた。
周囲に囲まれ、
守られ、慰められている。
誰も、レオンを見ない。
もう、結論は出ているからだ。
レオンは、ゆっくりとその場を離れる。
背中に刺さる視線を、気にしない。
(……何も言わなくて正解だな)
この世界では、
涙の方が、言葉よりも強い。
それを、
誰よりも早く理解してしまっただけだった。




