第1章
十七歳のコハル・ヤミカゲは、家の外で薪を割っていた。汗だくになりながらそれを抱え、居間へ運び込む。父のケイが待っている。
「見事だ、コハル! これで一か月はもつぞ」
「……一か月、ね」コハルは気のない声で応じる。
暖炉に薪をくべ、火が上がる。「今日の晩ごはん、何?」
「肉を切らしててな。買ってきてくれないか」
ケイは銅貨十枚を渡した。コハルは鼻で笑う。
「は? これじゃ一ポンドも買えないんだけど」
「おっと、そうだった。ほら、もう十枚」
さらに十枚。コハルは大きくため息をつく。
「……バカみたい」
ドアを乱暴に開け、丘の上の家を出る。自転車にまたがって大都市へ向かうと、交通は混み合い、人の波がうねっていた。最寄りの店は客でごった返している。
「最悪。クソ長い行列に並べって? ありがとね、父さん」
自転車を停め、店内へ。案の定、レジ前から店の奥まで列が伸びていた。コハルは肉の塊をつかみ、ちゃっかり前へ割り込もうとするが、年配の男に肩を押さえられる。
「お嬢さん、最後尾に並びなさい」
コハルは舌打ちし、しぶしぶ最後尾へ。体感で何時間も経ったころ、ようやく順番が回ってきた。感じのいい若い店員が笑顔で迎える。
「いらっしゃいませ! 以上でよろしいですか?」
「はい」コハルは素っ気なく答える。
「二十枚になります」
コハルは銅貨をじゃらっとカウンターにぶちまける。店員が数え、レシートを差し出した。
「ありがとうございました。良い一日を!」
コハルは無言で店を出て、肉を自転車のかごへ放り込む。家へ戻ろうとペダルを踏んだとき、空が急に翳り、人々が一斉に見上げて動きを止めた。
「……何、あれ?」
黒と紫の巨大な宇宙船が降下してくる。ハッチが開き、黒紫の鎧と紫のマントをまとった男が現れる。ざわめきが広がった。
「だ、誰だあれ……?」
「知らないわよ。人間?」
「人間があんな格好するかよ」
男はヘルメットを外す。現れたのは手入れの行き届いた中年の黒人の男だった。
「地球人よ、挨拶だ。 兄は“お前たちは矮小だ”と言っていたが、言葉どおりどころか過小評価だったな」
男は指先をつまむ仕草をする。
「虫ケラのようだ。踏み潰すにはちょうどいい」
サイレン。パトカーの列が滑り込み、警官たちが銃を構えて降りてくる。一人が前へ出た。
「止まれ! その場から動くな! 公共の場所に違法に駐機している。看過できない!」
男はヘルメットをかぶり直す。
「今回は抵抗があるか。 リセットのたびに“新しい誤差”が生まれる……いい傾向だ」
ぱちん。指が鳴った瞬間、警官たちは爆ぜ散り、群衆は悲鳴とともに雪崩を打って逃げ出した。男は一歩踏み出し、低く響く声で告げる。
「我はオトカミ。この星を滅ぼしに来た」
泣き叫ぶ者。うずくまる者。その前へ、一人の高校生の少年が勇敢にも踏み出した。
「嘘つけ! 俺たちをビビらせれば言うこと聞くと思ってんのか、鉄仮面!」
オトカミが黄金の光弾を指先から放つ。少年は跡形もなく消えた。同時に、大地がばきばきと割れ、人々の体は黄金の粒子となって次々と空へとほどけていく。
コハルのこめかみを汗が伝う。
「やだ、死ねない。死にたくない。他人なんかどうでもいい――私が生きる!」
彼女は倒れていく人々を踏み越え、オトカミへ駆け寄った。
「すみません! そこのあなた!」
オトカミがわずかに首を傾げる。「ふむ?」
「連れていってください! この世界がどうなろうと知ったこっちゃない。ここにいる連中なんてクソ食らえ。だから、私だけは助けて。何でもします!」
男はしばし無言でコハルを見下ろす。
「初めてだな、こういうのは」
さきほど列で注意してきた老人が、体を崩しながらコハルの腕をつかむ。
「な、何をしてるんだ、君は――」
コハルは蹴り上げた。「触んないで、ジジイ」
オトカミは彼女を頭のてっぺんからつま先まで眺め、言った。
「伴侶がいてもいいかもしれん。妻だ」
「はい! なります! あなたが望むなら、私、何にでもなる! だから連れていって!」
「名は?」
「コハル。コハル・ヤミカゲ」
「ならば今からお前はコハル・オトカミだ。来い。この星はすぐ灰になる」
惑星がひび割れを広げる中、二人は船へと乗り込む。ハッチが閉まりかけたとき、遠くで父のケイが走り寄ってくるのが見えた。
「コハル! コハル、待て!」
コハルはちらりと振り返り、眉間に皺を寄せる。
「バイバイ、父さん」
惑星が爆ぜる直前、彼の視界に映った最後の光景は、船がポータルへ吸い込まれて消える姿だった。
⸻
現在――。
「ってのが、三十年以上前に母さんが父さんと出会った経緯。最高にクールだろ?」
「へぇ……どうやって知ったの、それ」
「父さんに聞いた。母さんは機会があれば殴ってくるだけだから」
王城の寝室。透き通るような白い肌をもつ十代の少年がベッドに腰かけ、同い年ほどの人間の少年が床を必死に磨いている。
「ユウ、部屋全部やらなくてもいいよ」
ユウは手を止めずに言う。
「念のためです、レガル王子。お母上は城を一片の埃も許さないと……」
「そうか。止めはしないけど」レガルは肩をすくめる。「続き、話してやろうか? 退屈しのぎに」
「ぜひ。お母上が陛下(お父上)を裏切ろうとしたこと、あります?」
レガルは少し考える。
「結婚当初はあったみたい。でも父さんには通用しないってすぐ悟って、企みは全部捨てた。母さんも結局、父さんが怖いんだ。俺たちのことは……まぁ、嫌いだよ」
レガルはため息をつく。
「母さんが愛してるのは父さんだけ。機会があれば子どもなんて作らなかったって即答するだろうね」
「お母上こわ……。じゃ、お父上はもっと怖い?」
「うん。でも父さんは何も言わないし、何もしない。だから機嫌を損ねないように勝手に忖度するしかない。姉たちは全員、父さんに夢中だし。父さんと結婚したいとか言い出す始末。母さんが絶対に許さないけど」
「……怖い。で、姉君は何人? どんな人たち?」
レガルは背筋を伸ばし、指を一本立てる。
「新入りのユウのために基礎だけ叩き込む。ヒールが頭に刺さって死なないようにな」
こほん。
「まずはレメディ。二十三歳、長女。後継者で、母さんが**“比較的”気に入ってる**。といっても嫌ってるのは変わらないけど。冷酷・冷徹・傲岸不遜、でも才能は一級品。何でも手に入れる。対等を気取ると凍死するよ」
「服従。了解です」
「次はロイヤル。二十歳、序列二番。母さん崇拝者。暴力的でイカれてる。苦痛が大好き。忠誠心だけは満点」
レガルは自分の青あざを指でなぞる。
「つまり、俺の目にヒールをぶっ刺してくる」
「対処法は?」
「母さん礼賛。彼女自身の称賛。これだけ」
「はい。次」
レガルは身震いする。
「ロノヴァ。十八。怖い。絶対に逆らうな。人類抹殺の口実を探してるから。兄弟の中で一番殺してる」
「殺戮の女神?」
「そんな感じ。俺を殺すとき、一言もしゃべらない。ただ踏み潰して息が止まるまで。距離を取るのが鍵。死にたいフリをするのも手。感情ゼロ、あるのはキル、キル、キル。纏う圧がエグい」
「……了解。次」
「レーヤ。十七。扱いは簡単、正しくやればだけど。どう言えば……バカ」
「バカなんですか?」
レガルは親指を立てる。
「最高級のね。今どこにいるか、何してるか、自分の名前まで忘れる。何でも質問攻め。それを利用しろ。でも暴力が最初の選択肢。俺が死ぬ」
「同情します。次」
「ラインドッティル。十六。裁きたがり。自分だけ正しい顔。二重基準。粗探ししては私刑。常に仏頂面で上から目線」
「礼儀正しく、ですね」
「できる限りな。で、双子のレベニュー。甘やかされた、自分大好きのセレブ。弱者嫌い、自分を女神と崇めない奴は消す。名前を知らなかったって理由で人を殺したのを見た」
「称賛が効く、と」
「効果てきめん」
「まだ続きます?」
「ラヴェナ。十三。超天才で博識。でも闇と禁忌に没頭するエモいマッドサイエンティスト。実験は地獄。死ぬか、死んだほうがマシ。頼まれても絶対受けるな。ただし興味は示せ」
「心得ました。最後は?」
レガルが顔をしかめる。
「ラディアンス。八歳にして知能は三十歳。欲しいもののためなら平気で裏切る。小さな子どもに見えて、あれは悪魔。ただ、飴で寿命延長はできる」
「覚えときます」
レガルは自分を親指で指す。
「で、俺。十五。基本ぼっち。一人も殺したことないのに、なぜか隔日で死ぬ」
「どうやって生き返ってるんです?」
「父さんの血。俺の特異は蘇生。勝手に死んで、勝手に戻る。一時間かもしれないし、一日かもしれない、一週間かもしれない。家族はだいたい忘れる。父さん以外は」
「狂ってるな……」
レガルは立ち上がる。
「以上。母さんと父さんは滅多に姿を見せない。万一会ったら自然体で。父さんは何も言わない。母さんは崇拝を期待してる」
「……で、給金は?」
「知らない」
「ちくしょう」
ドアが開く。金黒の裁判官の法服に紫のドレスをのぞかせた少女が、**小槌**を手に立っていた。
「時間よ、兄さん。――死刑」
「やべっ、ラインドッティル!」
**ドゴッ。**顔面に小槌が叩き込まれ、レガルが床に沈む。次の瞬間、彼女のヒールが眼窩を貫く。ラインドッティルは何事もなかったように踵を返し、ユウを無視して歩き出す。
「ちょ、待って。自分の兄を殺したのか?」
ラインドッティルが眉をひそめて振り返る。
「兄?」
ユウは床の死体を指さす。「え?」
彼女は視線を向けるが、何も見えていないかのように肩をすくめた。
「時間を無駄にしないで、召使い。裁きに遊びは不要よ」
そう言って平然と立ち去る。直後、レガルは何事もなかったように起き上がり、傷一つ残っていない顔で手を振った。
「ね?」
ユウはその場に崩れ落ちた。
「なんでこの仕事、受けたんだ俺……」
⸻
その頃。
長い白髪、高く引き締まった肢体。紫のドレスにヒールを履いた女が、鎧をまとった眠るような男の隣で玉座に座っていた。そこへ、レガルと同じ白い肌を持つ背の高い若い女が進み出て、片膝をつく。
「母上。オンテックがまた戦を起こしました」
女は見下ろし、吐き捨てる。
「愚か。なぜ止めなかった」
「お言葉を待っております。御先導なくして攻めることはいたしません」
女――コハルは立ち上がった。
「ならば総攻勢だ。レメディ、姉妹を集めよ。すぐに行く」
「御意」
レメディが去ると、隣の玉座の男が微かに身じろぎした。
「……コハル。皆殺しにしろ……」
コハルは男に歩み寄り、ヘルメットの側面に口づけを落とす。
「もちろんよ、愛しい人。私を一番知っているのはあなただもの」
彼女は踵を返し、自信に満ちた足取りで広間を後にした。
「全部、私のもの。私の邪魔をするなら――必ず殺す」
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