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9 たった一つの不満

 晴天の公爵家の朝。

 いつものように、最高の朝食の後でーー。


「奥様のお部屋」のテーブルの上には、色とりどりの四角い紙が散らばっていた。

 ノエルは不思議そうな顔で、それを掴んで持ち上げた。


「これが折り紙……ですか?」

「ええ。鶴を折ったの」

「異世界の鶴って、モンスターなんですか?」


 ノエルは決して、意地悪で言っているのではない。

 エリンの折り紙の仕上がりが悪すぎて、モンスターのような(いびつ)な形になっているのだ。


 前世の文化の凄さを皆に見せてあげよう、と文化交流を試みたものの、考えてみれば、エリンは前世でもあまり折り紙に触れてなかったので、レパートリーはこの不格好な鶴しかなかった。


 ノエルは器用に色紙を折り合わせて、シンメトリーな形を作った。


「我が公爵家の紋章に描かれている、模様の一部です」

「え、すご…… 私より上手いわ!」


 そうこうするうちに、折り紙に負けないほどカラフルなおやつがテーブルに置かれて、エリンもノエルも、そっちに興味が移ってしまった。


 スイーツで盛り上がる後ろで、侍女のティナが珍しく、険しい顔をしている。

 散々ドレスの仕立ての意向を伺っているのに、エリンが一向に興味を示さないからだ。


「莫大な生活費の用途が、羊の胃袋と色紙だけなんて。旦那様は奥様のドレスや宝石を充分に買えるようにと、ご用意してくださったんですよ?」


 エリンはスイーツを頬張ったまま、ソファにグータラと倒れた。


「だって、部屋着のゆるさが最高だもん」


 公爵家で用意してくれた部屋着は華やかなドレスなのに締め付けがなく、エリンは気に入っていた。そもそも着回せないほど、枚数がある。

 もともと高価なドレスに縁がなかったエリンは、それですっかり満足してしまっていた。


 ティナはそんなエリンに呆れている。


「奥様には ”欲” というものが無いのですか? 私は旦那様から、奥様のご不満をしっかり伺うよう、厳しく申し付けられています」


 そう言われて、エリンはこれまでの公爵家での生活を、改めて振り返ったーー。


 最高すぎる住環境に、美味しすぎる食事とおやつ。

 遊び相手は天使みたいな美少年だし、

 塩だけど、たまにえらい美男子(公爵)まで拝める。

 ノエル君と好きなように遊ぶ毎日は楽しくて……。


(ーーまったく不満がないような)


 などと考えながら、ゴシック調の模様が描かれた天井を眺めた。

 どこもかしこも絢爛な屋敷なので最初は驚いたが、だいぶ見慣れてきたエリンは、そこにポカンと開いた、何かの穴を感じていた。


「あるわ……お気楽な契約妻の私にも、たった一つの不満があるの」


 公爵家の屋敷は王都でも有数の豪華さを誇り、屋敷の外も中も芸術品のように厳かだ。

 だがエリンからすると、この贅を尽くした内装や家具に重い緊張を感じるのだ。


 この空間に、この異世界に、

 この貴族社会に足らないものーー。

 それは……。


「可愛いものが、足らないんだわ!」


 エリンの突然の叫びに、ノエルはビクッ、と驚いて聞き返した。


「可愛いもの、とは何ですか?」

「可愛いっていうのは、ほら、ふわふわしてたり、クマちゃんみたいな……あ、ノエル君ももちろん、可愛いわよ?」


 赤面するノエルの後ろから、ティナが部屋の片隅にあった、高級なクマのぬいぐるみを差し出してきた。


「奥様、クマならここにありますよ」


 エリンはクマのぬいぐるみと睨めっこをして、唸った。


「うーん、確かにクマのぬいぐるみだけど……顔がスン、としてるのよね」


 ノエルは意味がわからず、首を傾げた。


「スン……?」

「お澄ましたお顔、ってことよ。私はもっと、目がキュルンとした、可愛い顔が好きなの!」

「キュルン……?」


 異世界での文化交流の限界を感じながらも、エリンは確信していた。

 この公爵家に来て、グータラする時間が増えたからだろうか。時々、前世の記憶が蘇るのだ。


 前世の自分は、きっと可愛いものに囲まれて暮らしていた。

 クマや、うさぎや、猫のぬいぐるみ。

 ピンクのソファーに、プラスチックの椅子。

 チープで賑やかで、可愛くて……。

 眠る時だって、大好きなぬいぐるみがいた。


「あの子の名前は、確か……なんだっけ」


 ノエルは「あっ」と目を見開いて、咄嗟(とっさ)にエリンの肩を支えた。

 エリンの目からは、大粒の涙がポロポロと溢れていたのだった。



 *・*・*



 家庭教師の時間がやってきたので……。

 ノエルは空元気で誤魔化すエリンを心配しながら、部屋を後にした。


 ティナはエリンを気遣って、「クマのぬいぐるみをオーダーメイドするのはどうか」と提案した。

 しかし、エリンは首を横に振った。


「この異世界の貴族社会に、あの庶民的な可愛さを再現するのは無理だわ。絶対にスン、としちゃうはずよ」


 大雑把なエリンが珍しく完璧主義を(かた)るうちに、部屋の扉のノックが鳴った。


 エリンはすぐに、ピンときた。

 きっとノエル君が忘れ物を取りに来たのだ。

 エリンはティナに「シー」と唇に指を当てて、扉にそっと近づいた。

 そして勢いよく、ドアを全開にして声を上げた。


「んべろば〜!!」

「うわっ!?」


 心配していたノエルを笑わせようと、エリンは(おど)けて飛び出したものの……。

 目前で驚き、仰け反っていたのはーー。

 まさかのアシュリー公爵だった。

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