7 大人のゲーム
翌日からーー。
エリンはどうやら、ノエル君に懐かれてしまったようだ。
エリンが行く先どこへでもついてきて、主に「異世界」について質問してくる。
エリンはのらり、くらりと交わしながら、侍女のティナが用意してくれた「庭園のティータイム」に勤しんだ。
フィナンシェやプディングがタワーとなって聳え立ち、それらをつまみに飲む紅茶は、信じられないほど美味しい。「これがマリアージュである!」と、エリンの脳内は革命を起こしていた。
スイーツタワーを攻略するエリンの横で、すっかり心を許したノエルは、自身について話してくれた。
この公爵家で実の母親を知らずに育ったノエルのもとには、次々と新しい継母がやって来たらしい。だが、どれも破天荒な女性だったために、ろくに会話もしなかったとか。
新参者のエリンに悪戯を仕掛けたのは、少年なりの「悪女指数」の調査だったのかもしれない。
そして父親である公爵家の長男が失踪してからは、叔父のアシュリー公爵も多忙を極め、ノエル君は家庭教師による座学とレッスンに明け暮れる日々なのだと。
「毎日、勉強とレッスンしかしないの? 遊びは?」
エリンの質問に、ノエルは首を傾げた。
「それ以外の時間は、図書室で本を読んでいます」
エリンは眉を顰めた。
遊び盛りなのに遊ばないとは、なんともったいない。
一緒に遊ぶ友達もいない様子のノエルは、この屋敷でずっと孤独なのかもしれない。
「ティナ。ペンと紙を頂戴」
ノエルが興味津々で覗き込む中、エリンは大きな紙に、ペンを走らせた。
丸や、ギザギザした四角。
それから道のようなものが描かれたので、ノエルは興奮した。
「これは異世界の地図ですか?」
「いいえ。これはね、本当に勇気がある者にしかできない、大人の遊びなの」
途端に、ノエルの顔は緊張で引き締まった。
これから危険な遊びが始まる……という予感に、スリルと期待が高まっていた。
「じゃーん、異世界・大人のすごろくよ!」
エリンが掲げた紙を、ノエルとティナは真顔で覗き込んだ。
すごろくの小さなコマには、くだらない命令が書いてある。
「ものまね」
「得意なダンス」
「一発ギャグ」
だがーー。
時々混ぜられたガビガビのコマには、過激な命令が並んでいた。
中には、こんなことが書いてある。
「アシュリー公爵の書斎に乱入して、一発ギャグ」
ノエルは青ざめた。
「ま、まずいですよ! 叔父様のお部屋は!!」
「あら? 怖いのかしら? 家族なんですから、ギャグを披露してもおかしくないわ。これは遊びよ?」
ノエルは「本気ですか」という恐れ入った顔で、エリンを見上げた。
エリンは大人ぶって気勢を張ったが、正直、内心ではビビっていた。
ノリで描いたすごろくは理外に過激になってしまったが、ノエルの手前、今さら修正する選択肢はなかった。
いよいよーー。
ティナに調達してもらったサイコロが届いた。
さっそく転がそうとするエリンの手を、ノエルは止めた。
「待ってください。二人で遊んだら、過激のコマに当たるリスクが確率的に上がります。もっとプレイヤーを増やして……」
理性的な少年の悪あがきに、エリンは淑やかな笑顔を向けた。
「ダメよ。おイタをして許されるのは、立場上私達だけですもの。使用人の誰かが公爵家を首になったら、私に止める力はないわ」
権力の程度を自覚している契約妻の計いに、ノエルは感心した。
「一応、計算してるんですね」
「大人ですもの」
エリンは勢いよく、サイコロをテーブルに転がした。
「ものまね」のコマを引き当てたエリンは、皆の前に立った。
ティータイムにはノエルとティナしかいなかったはずなのに、「契約妻が何かをしている」気配に興味を持って、使用人達が集まって見物をしていた。
ギャラリーが増えて照れるが、エリンは渾身の演技力で、ものまねをした。
異世界でも通じるものまね……子供も喜ぶ、みんなが好きなものまねと言えば……動物である。
エリンは自分が「一番好きな動物」を真似た。
ノタリノタリと歩いて、クタリと地面に転がり、またノタリと立ち上がっては、ゆっくりと木を掻いて見せた。
ノエルは怪訝な顔で尋ねた。
「それはいったい、何のものまねですか?」
「ナマケモノよ」
「それって異世界の生き物ですか?」
エリンはしまった、と思った。
この異世界では、いや、ひょっとしてこの国では、このような猿は存在しないのかもしれない。
だが、使用人達は何か珍しい物を見たような気になったのか、盛大に拍手を送ってくれた。余計に恥ずかしい。
その後もエリンは「一発ギャグ」なども当てたが、異世界の温度差なのか、いまいち受けなかった。
逆にノエルには是非、「変顔」を当てて欲しいエリンだったが、彼が当てたのは「得意なダンス」だった。
ノエルは戸惑いもせずに美しいポーズを取ると、優雅なダンスを見せてくれた。
洗練された笑顔とステップは、この異世界の優美さを表していた。
エリンは思わず感激して拍手をしてしまったが、なんだか自分だけが恥をかいているようで、モヤモヤした。
どうにかノエル君に、ひと泡吹かせるコマを当てさせたい……という大人げない願いは、次のターンで叶った。
ノエルは珍しく、大声を上げた。
ガビガビのコマの過激な命令を引き当ててしまったのだ。
そこにはこんなことが書いてあるーー。
「笑顔でスキップしながら、中庭にいる人全員に挨拶をする」
エリンは想像だけで吹き出して、笑い転げた。
普段はお澄まししているノエル君が突然こんな奇行に走ったら、みんなさぞ驚くことだろう。
ノエルはしばらく「嫌だ嫌だ」と駄々をこねたが……さすがに公爵家の令息である。
約束事は破らない、という矜持があった。
ーーエリンの視界には、微笑ましい景色がある。
美少年が楽しそうにスキップをしながら、庭師やメイドや使用人達に笑顔を振りまいて、挨拶をしているのだ。
みんなギョッとしているが、ノエルの笑顔に釣られて相手も笑顔になって、それは本当に、異世界に舞い降りた天使のようだった。
「……笑いすぎて、ほっぺの筋肉が痛いです」
頬を染めて帰ってきたノエルは、まんざらでもない顔で可愛く拗ねた。
エリンは見事に命令をやり遂げた少年の「漢らしさ」を讃えて、悠然と頷いた。
この後まさか、自分が例の地獄のコマを引くとはーー。
ポジティブなエリンは、想像だにしていなかった。