6 公爵家の奇妙な音
夕暮れに近づく頃……。
公爵家は奇妙な音に包まれていた。
ビョ~~!!
グモ~~!!
これまで聞いたことのない類の音が、屋敷の中から大音量で鳴っているのだ。
使用人達は不穏な顔をして、窓の外に集まった。
ここは噂の「公爵様の契約妻」のお部屋である。
契約妻が公爵家にやって来て、いの一番に肉屋を呼んだかと思いきや、奇妙な音を出し始めたのだ。
「これは奥様の泣き声なのかしら」
「まるで断末魔のようだわ。おかわいそうに……」
「愛のない契約結婚だなんて、傷ついたのよ」
メイド達は心配と同情を口にしながら、カーテンが閉まった窓を見守っている。
噂の契約妻が、莫大な小遣いを使ってどんな贅沢品を買うのかーーそんな好奇心を抱いていたメイド達は、まさかの奇異な展開に眉を顰めた。
一方、公爵家の書斎にも、この音は届いていた。
アシュリー公爵が公務を熟す書斎は、うず高く積まれた書類と書棚に囲まれている。
ペンが走る音と、紙を捲る音しか聞こえない静かな部屋で、突然にそれは始まった。
ブギ~~!!
「うわ!?」
アシュリー公爵は集中していた姿勢を崩壊させて、机にしがみついた。
「な、何なんだ、この奇妙な音は!」
執事が窓に駆け寄り、音の発生源を探した。
「はて……どうやら、奥様のお部屋の方角ですな」
グギュ~~!!
「まさか、何かの抗議のつもりなのか!?」
蒼白になっている公爵に、執事は振り返らずに呟いた。
「でしょうねぇ……」
「契約は問題なく履行しているはずだ! 条件も相手側にすべて譲歩した! いったい、何の不満が!?」
「乙女心の扱いは書類のようにいきませんなぁ」
「……」
執事の嫌味の篭った独り言に、アシュリー公爵は咳払いをすると、無言で書類の作業に戻った。
*・*・*
「奥様のお部屋」にて。
侍女のティナは姿勢を正して、しかし動揺を隠せない顔で、エリンの奮闘を見守っていた。
エリンはカーテンを締め切った部屋の中で、奇妙な袋を片膝で床に押し付け、袋の中の空気を勢い良く鳴らしていた。
この袋は、肉屋が持って来た "羊の胃袋" である。
バズ~~!!
「こんなお下品の音じゃダメなのよ! ここは公爵家よ? もっと可愛らしい音じゃないと」
エリンは前世の記憶で、このような音が出る玩具を知っていた。
歩くと音が出るサンダルや、お腹を押すと「プピー」と鳴るお人形。
それを羊の胃袋で再現して、ノエル君を驚かせる、という悪戯を画策していた。
エリンの奮闘を見かねて、侍女のティナは提案した。
「革職人に音袋を発注したらいかがでしょう? もしくは、使用人に任せて……」
「悪戯は自分の手で、真心を込めて準備しないと意味がないの」
ティナはエリンの言葉の意味が殆どわからなかったが、謎の説得力に圧されたので、引き続き作業を見守ることにした。
エリンは公爵家でグータラな生活を送るはずが、汗だくで床に袋を押し付ける一日となった。
夕食の時間ーー。
事はエリンの計画通りだった。
執事から聞き出したスケジュールによると、アシュリー公爵はいつものように書斎で夕食を取り、外出しているノエルはちょうど帰宅する頃だった。
エリンの部屋で「音袋」が作られていたとは知るよしもなく、ノエルはお澄まし顔で食堂にやって来た。
「授業が長引いてしまって……お待たせいたしました」
「いいえ、ノエル君。レッスンお疲れ様」
ぼっちゃまと奥様の無難な会話だが、食堂内のメイド達の間には緊張が走っていた。これから何が起こるかはわからないが、エリンが不気味な企みを持っているのは確かだった。
皆が見守る中。
椅子に仕込まれた音袋の上に、ノエルが腰を下ろした、その時……。
ピョーーーー!!!
と、高らかに鳴くヒバリのような爆音が、食堂中に響いた。
ノエルは「うわー!」と叫んで椅子から転げ落ち、したたかに尻を打った。
エリンはすかさず立ち上がって、決めゼリフを放った。
「どうだ、これが異世界倍返しよ!」
エリンはしまった、と思った。
あれだけ兄に注意されたのに、おかしなことを口走ってしまった。だがエリンにとって、ここは二度目の人生で異世界なのだから、仕方がない。
ノエルは狼狽えている。
「え、い、異世界?え?」
「ええと……異世界みたいに、奇抜な悪戯ってことよ。あなたの悪戯には、真心と工夫が足らないわ」
格言を申すような自信に満ちたエリンの強い意思に、ノエルは驚きで目を見開いた。
そしてアイスブルーの瞳を輝かせて、バラ色の頬になって笑った。
ーーなんて美少年だろうか。
どうやらエリンの仕返しを「漢らしい」と認めたようで、瞳の奥には凛とした信頼の色も窺える。
ノエル君が朗らかに笑い続けるので、食堂内のメイド達の間でも、安堵の笑いが溢れた。
全てを見届けたティナも謎の達成感にはしゃいで、エリンと手を握り合って喜んだ。
一方、アシュリー公爵の書斎ではーー。
執事が窓辺に立って、遠くにある食堂の窓の明かりを眺めていた。
楽しそうな笑い声がここまで聞こえてくる。
「賑やかなお夕食ですな。ぼっちゃまがあんなに明るい声を上げて笑うなんて、何年ぶりでしょうか」
「……」
アシュリー公爵は無言のまま、こっそりと卓上のカレンダーを確認した。
まるでお祝い事のような賑やかさに驚いて、今日はいったい何の祝日だったのか……と焦って調べたが、何度見ても、ただの平日だった。