16 最高に愛い奴
夕食の時間。
ノエルは右手にクマのマスコットを握り、左手にオリエンタル風の立派な剣を握っている。
どうやら帰り際に、レナルドお父様から貰ったらしい。
ほんのり嬉しそうな顔なので、エリンは安心した。
知らないおじさんになってしまったとはいえ、本当のお父さんと再会できたのは、ノエルにとって嬉しいに違いない。
そしてエリンはフォークの先が定まらずに、何度も人参を皿の外に溢していた。
(アシュリー公爵は真面目な方だから、レナルドお兄様の無礼に怒ったのであって、私に嫉妬なんかするわけないでしょ……)
と、いつまでも浮つく自分の心に、釘を刺すのに必死だった。
今日のドタバタで業務が滞り、アシュリー公爵は書斎で食事を取りながら仕事をしている。エリンの目前にある不在の椅子が、いつもより寂しく感じる。
延々と人参を追い回すエリンを見かねて、ティナが言伝をした。
「あの大量のボタンは全て、奥様に差し上げるとのことですよ」
「へ!? 全部!?」
「はい。アシュリー様から、そのように伺いました」
エリンはあの可愛いボタンの山を思い出して、また心が舞い上がった。
あれは可愛いの塊で、可愛いの可能性をたくさん秘めていると、エリンは直感していた。
「どっひゃー!」
夕食後にエリンの部屋で、あのボタンの山が再登場した。改めて見るとすごい量、すごい可愛さである。
「キャンディーみたい!」
ティナもニコも、ボタンのデザインを手に取って夢中で見ている。
「クマ作りの会」は参加希望者が増えて、集まったメイド達もみんな楽しそうだ。
はしゃいだテンションの中で、エリンは "可愛い" のイメージがどんどん広がっていた。
ハートのボタンや綺麗なガラスのボタンをクマの目やお腹に付けてみると、「可愛いクマのぬいぐるみ」は途端におしゃれに見えた。
「可愛くて、おしゃれ! 来たわコレ!」
ノエルも好みのボタンを組み合わせて、デザインを提案した。
「これどうです? おしゃれじゃないですか?」
「おっしゃれー! さすがノエル君、わかってるね」
エリンはこれまで、クマを作りながら適当にデザインを決めていたが、バリエーションの幅が広がったので、デザイン画を作って計画的に作ることにした。
いったい、どれだけの可愛いクマがこの異世界に誕生するのかと考えると、エリンはワクワクが止まらなかった。
*・*・*
夜も深まりーー。
盛り上がった「クマ作りの会」はお開きとなった。
みんなが自分の部屋に帰ってもエリンは興奮が冷めやらず、静かな部屋で一人、小躍りをしていた。
「かわいい、かわいい、可愛すぎる!」
試作品としてボタンを使ったクマのマスコットは綺麗なまん丸のガラスの目を真ん中に寄せて、胸に赤いハートのボタンを着けている。
ちょっと眉尻が下がった "甘えん坊タイプ" のデザインだ。
なんておしゃれで、なんてキュートだろうかと、理想を上回る完成度にエリンはご満悦だった。
扉のノックが鳴ったので、ティナが戻って来たのだろうと、エリンは上機嫌で返事をした。
するとーー。
「夜分に失礼します」
不意に堅いイケボが聞こえて、エリンは飛び上がって驚いた。
まさかのアシュリー公爵が、エリンの部屋を訪れていた。
「どうしても、あなたにお詫びがしたくて」
公爵はエリンに促されて室内に入ると、遠くにある椅子に腰を下ろした。
エリンとアシュリー公爵の距離は以前より近いとはいえ、やはり数メートル空いている。
「兄に説教をするつもりが、逆に叱られました。このような契約の婚姻を結ぶなんて、あなたに失礼だと」
あの海賊、いや、レナルドお義兄様から叱責されるとは。
エリンが驚いていると、アシュリー公爵は恥じるように目を伏せた。
「……兄の言う通りです。僕は公爵家を突然継ぐことになった重圧で、周りが見えなくなっていました。あなたの気持ちも考えられないほどに」
反省する顔もとても良いので、エリンは真面目を装いながら、やはりアシュリー公爵に見惚れた。
この契約婚は確かに変な縁談だったが、そもそもエリンは「優雅にグータラ暮らしたい」という不純な夢があったので、利は一致しているのだ。
「いや、最高な境遇だし、ウィンウィンですよ」とエリンは言いたかったが、アシュリー公爵がしっかり反省しているので、軽口は慎んだ。
「あなたにはせめて、この公爵家で何不自由ない生活を送っていただきたい。何かもっと、他に要望があれば……」
「いやいやいや」
エリンは思わず、定番の流れを止めてしまった。
「あの、私は何の不満もありませんよ? ノエル君と遊んだり、クマのぬいぐるみを作ったり、毎日が楽しくて……。逆に、公爵家のお仕事を手伝えないのが申し訳ないくらいで」
それは本心だった。
あまりにアシュリー公爵が根詰めて仕事をしているので、内容が理解できるなら協力したいところだ。
……うん、きっとできないけど。
アシュリー公爵は少し驚いた顔をして、はにかむような笑顔になった。
こんな可愛らしい顔もするのかと、エリンは新たな発見に胸がキュンと疼いた。
こうして見ると、甥のノエルにも似ている。アシュリー公爵もさぞかし美少年だったに違いない。
「エリンさん。あなたには感謝しています。ノエルはあなたのおかげで明るく笑ってくれるようになりました」
「私はノエル君と楽しく遊んでるだけですが……」
「ノエルだけではありません。使用人達も息の詰まる空気から解放されたようで……」
アシュリー公爵は言いにくそうに、口元を手で抑えて続けた。
「その……僕は……ホッとしています」
「それなら良かったです」
「……」
何かを言いたそうな、でも言い出せない顔のまま、アシュリー公爵は席を立った。今夜も節度を持って、長居を避けているようだ。
だがエリンはまだ、アシュリー公爵に行って欲しくないような気がして、咄嗟に理由を探して引き止めてしまった。
「あの、この前のビンゴゲームの賞品なんですけど……」
自ら黒歴史を掘り返してしまい、エリンは慌てた。
「ああ。あのゲームは楽しかったです。貴重なクッキーをご馳走様でした」
真面目な反応に恥ずかしみが強くなる。
「えっと、それでですね、アシュリー公爵にクマのぬいぐるみをまだ差し上げていなかったので、これ……」
エリンは手に握っていた、新作のクマのマスコットを……。あのおしゃれで最高に可愛いヤツを、アシュリー公爵に捧げた。
アシュリー公爵は少し戸惑いながらそれを受け取って、クマの顔を確認した。
下がり眉の "甘えん坊" タイプのクマの顔に、アシュリー公爵は「ふふ」と自然に優しい笑みを溢した。
「可愛いですね。このクマは、あなたに似ているように見えます」
エリンはギョッとして、「甘えん坊クマなんだが!?」と脳内で突っ込んだ。頭がクラクラする。
「大切にします。おやすみなさい」
アシュリー公爵は最後まで誠実な言葉を残して、静かに部屋から去っていった。
エリンは情緒が爆発したまま天井を仰ぎ、一人で立ち惚けるしかなかった。