記憶2
記憶は保持するものではない。失うものだ。失われるものだ。それらはどっちだって構いやしない。どちらも同じことなのだから。置き去りにするものだ。どこかへ忘れ去られた記憶。鼻の奥に残されたどこか懐かしい香り。口に含むその瞬間まではそんなことをこれっぽっちも思い出しもしなかった、舌が痺れそうなほど苦々しい後味。
これこそが記憶を記憶たらしめる唯一の証だ。記憶であることが保障されるには当然代償がいる。重たい? まあものによってはね。だからこそ我々はいつもいつもいつも名前を付けるのだ。モノに相応しい名前を捧げれば、モノはモノであり始めると言わんばかりに。モノたる器に記憶を閉じ込めればモノはいつまでもそのままあり続けるのだろうと。我々はしっぽを追いかける。ゆらゆらと揺れるしっぽを。愚直に。いつまでも捕まえることの出来ないしっぽを、それこそ永遠に。器さえ変容する。いわんやしっぽをや。おむすびころりんすっとんとん。モノは器じゃない、穴だ! 穴? 穴だよ。転げ落ちたおむすびが集約するところ。そこに違いない。穴を上から覗き込む。深い穴を。深淵に到達するとは到底思えないちっぽけな穴を。おや、底が見える。そこが見える。ソコが見える。穴は見えないのに? えっ? モノが見えないのに? ……。一体何なら見えるっていうのさ。……少なくとも底は見えるさ。とってつけたようなちんけで浅い底が。……残念ながらモノには底がない。壊れた蛇口のようにじゃーじゃーと垂れ流しになる水。辺りに飛び散る水飛沫。ぽくぽくぽくぽーん。ぽくぽくぽくぽーん。規則的に叩かれる木魚。誰が、叩いている?
記憶が私を形成することなどもはやないだろう。私は記憶ではないし、モノでもない。でも、あの風景に出会うまではそのどちらもなんだとそう無邪気にも信じていた。あの風景が、か……。
記憶が風景を呼び覚ますのではない。風景が記憶を運ぶのだ。風景に記憶が付随するのだ。風が歌を届けるのだ。歌が波を引き込み、寄せる波が手紙を書き綴る。儀式は続く。手紙の上で踊る文字が月に照らされ、欠けた月が天使の輪を彩るまで。