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向こうのリース

 仕事に追われ、あまりにも疲れ過ぎていたせいで、帰り道で立ち寄った百均で小さなリースを買ってしまった。季節感などなくなっていたわけだが、きらびやかに飾り付けられた店内の装飾でクリスマスシーズン真っ只中なことを思い出した。あと一週間もすればクリスマスがやってくる。そして衝動的に目についたリースを買ってしまった。

 百均の商品とは思えないほどいい出来なのは確かだった。何かの蔓を輪っかにして、よくわからない針葉樹らしき葉と艶のある柊が縁どられ、赤白のリボンがいくつか。輪の一番下に小さな金色のベルがついている。

 家に帰ってからどうしてこんなものを買ったのか、よくわからなくなった。疲れていたとしかいいようがない。ゴミ箱に放り込もうと思ったのだが、せっかく買ったわけだし、すぐさま捨てるのはしのびない。飾ったところで害があるわけでもない。しかし、男一人暮らしのこのアパートの玄関扉に飾るのはいかがなものだろう。こんな飾りをつけたことなどないし、挨拶ぐらいしかしないとはいえ、隣人におかしくなったと思われないだろうか。

 そんな危惧が頭をよぎり、玄関扉の内側に飾ることにした。これなら外からは見えないし、自分からは見えるので、辛うじてクリスマス気分になれそうだ。

 玄関扉に画鋲を刺すわけにもいかないのでリースの上部をセロテープで固定する。丁度リースの穴が顔の高さに来るぐらいだ。不格好だが仕方ない。

 よし、と思ったところで違和感を憶えた。

 何か変だ。

 リースの穴の部分がおかしい。

 本来なら何の変哲もない玄関扉が覗いていなければならないはずなのだが、奇妙な光景が映っていた。

「は?」

 思わずリースに顔を近づける。こんな映像機能がついているわけがない。微かにオレンジがかった光が漏れ、雪らしきものが降っているのが見えた。

 玄関扉を開ける。見慣れたアパートの外の風景だ。玄関扉には穴など開いていない。扉を閉めてもう一度リースを覗き込んだ。

 変わらずオレンジの光が漏れる雪の降る光景が映っていた。ウッドデッキのような構造もみえた。視界はあまりよくなく、感覚的には一メートルぐらいから先は急速にぼやけているようだった。そっと指を差し込もうとしたが何かに阻まれるように、穴の中の景色には触れることができなかった。穴があいているわけじゃない、ガラス窓に近いようだ。

「何がどうなってる?」

 一旦落ち着こうとリースから距離をとる。少し離れるとリースの穴は後ろの玄関扉を覗かせた。さっきまで映っていた光景は消えている。

「……疲れ過ぎか?」

 あまり愉快な想像ではないが、疲労のあまり幻覚でも見たのかもしれない。もう一度よく見ようとリースに近づくと、穴はまたあの光景を映し出した。ほっぺたをつねったが痛いだけだ。  

 夢じゃない。この方法が幻覚にも効果があるのかはわからないが、少なくとも正常な感じがする。まあ、本当は狂っていたらそんな判断はできないかもしれないが……。

 どうやらこの光景はある程度リースに近づかないと見えないらしい丁度、扉を開けようとする位置ぐらいに近づかないと見えないようだ。

 リースを外しても景色は消えなかったし、映っている光景が動いたりしなかった。映像は定点らしい。とりあえず玄関扉に飾り直した。

 いったい、これはどこの風景だ? どうしてこんなことが起きている? よくわからない。しかし、害はなさそうだ。

 そうして穴の前でぼんやりとしていると、突然、リースの向こうから誰かが顔をのぞかせた。

「うわっ!」

 後ろに飛び退る。

 なんだ、今の⁉ 人の顔だったよな……?

 後ろに飛んだせいでリースの光景は途切れた。もう一度、ゆっくりと近づく。また玄関扉以外が映っていたが、そこには誰かの顔のアップ、片目でのぞき込んでいるのが映っていた。今度は向こうが跳び退った。鮮明に映る範囲を超えたらしく、こちらからはその人影はモザイクがかかっているようにぼやけていた。しかし、ゆっくりと近づいてくるのがわかった。

 相手はまた鮮明に見える範囲に入ってきた。

 やっと相手の顔を落ち着いて見られた。

 整った人間のように思えるが、どこか奇妙な感じがした。耳がとんがっているような気がしないでもないし――個性と言われれば納得できる程度のとんがりだった――瞳はオパールのような虹色だった。中性的な顔立ちで、男なのか女なのか判別は出来なかった。

 整った顔に凄まじい警戒の色を浮かべてこちらを見ている。警戒しているのはこちらもおなじだったが。

「……こんばんは」

 にらみ合っていても埒が明かないので、果敢に声をかけてみた。しかし、返事はない。向こうで口が動いているのが見えたので、何か言ったようだが、その声は届かなかった。

 どうやらこのリースは光景を映し出しても、音声は通らないようだ。お互いに直接干渉は出来ないらしい。

 向こうもそれに気づいたらしく、肩をすくめるような動きを見せた。互いに干渉できないなら警戒を続ける必要もない。

 にらみ合うのに飽きたのか、向こうは警戒を解いた表情で軽く手を振った。俺も釣られてをふった。そして、向こうは姿を消した。映像がぶれたので、どうやら向こうも同じように、リースに類する飾りを玄関扉に飾っているらしかった。向こうは光景からして扉の外に飾っているようだ。

 映像がぶれたのは向こうの扉が動いたからだろう。



 その日から時々、向こうの住人と目があった。偶然にも出かけるタイミングと、向こうが外から戻ってくるタイミングがかち合うと俺たちは手を振ったり、目礼をするようになった。

 奇妙に思ってはいたが、恐怖心などはなかった。覗かれているなどという心配もなかった。映像は距離が開けば見えなくなるし、見える光景も一メートル程度でしかない。

 むしろ、少し面白く感じていた。たぶん、向こうもそう思っていたと思う。

 偶然に挨拶だけする奇妙な隣人。何の因果か、かち合う偶然は結構な頻度であった。俺が仕事に出るときに向こうは帰ってきているようだったし、俺が仕事から帰ってきたときに玄関扉を振り向くと向こうも出て行くところで、こちらを振り返っていたりした。

 その度に偶然を笑いあうような関係だった。

 文字を見せたりもしたが、どうやら伝わらないらしかった。向こうも同じように見せてくれたことがあったが、とてもではないが理解できる言語に見えなかった。

 きっとこことは全く違う世界なのだろう。どうして百均のリースにこんなことができるのはわからない。たぶん、分かることはないだろう。

 友人とも言えない、何か奇妙な関係は一週間ほど続いた。


 クリスマス当日。

 出勤時に久しぶり、向こうと会わなかった。まあ、こんな日もある。こういう時は大抵帰るときにかち合うのだ。

 仕事を終え、疲れた体を引きずりながら帰ってくると、習慣になった動作で扉を振り返った。

 ちらっと向こうの顔が見えたが、向こうは気づかなかったのか、そのまま歩き去り、すぐに不鮮明な光景にのまれた。

 振り返ることもしないで行ってしまうとは、急いでいたのかもしれない。

「ん?」

 足元に何か落ちている。

 小さな袋だ。

 こんなもの、今朝はなかったし、買った覚えもない。

 手に取ると、紙袋のようだがやけに、かさついているような気がした。プレゼントのようなリボンがついている。

 リボンは見たことがない方法で結ばれていたが、一本出た端を引くとすぐにほどけた。紙袋の中から出てきたのは綺麗な紙きれと手袋だった。紙には数日前にみた訳の分からない言語で何かが書かれている。そして、手袋の方は何とも不思議な肌触りだった。薄手のシルクみたいになめらかだが、手にはめると素晴らしく温かい。

 間違いなく向こうのものだ。

 向こうからの贈り物だ。

 穴に手を伸ばしたがいつものように何かに遮られた。向こうからは触れられる? いや、そんな様子はなかった。

 確かめる方法は一つだ。

 次の日の出勤前。

 俺は昨日、大慌てて買ったそこそこ値の張る作業用の手袋をきれいにラッピングして玄関扉の前にスタンバっていた。

 お返しをする。何の確証もないが、この贈り物は向こうに届くという確信があった。

 そして、これが最後になるという確信も。

 向こうが手袋をくれたんだから、俺も返す。いつも向こうで振っていたあいつの手は職人の手だった。喜ばれるかはわからないし、きっと自分の手袋ぐらいあるだろうが、それでもお返ししたかった。

 ついでに読めないだろうが、手紙を入れておく。

「帰ってきた……」

 不鮮明な姿が徐々にいつもの姿に変わっていく。

 俺はリースの穴に贈り物を押し込んだ。穴の隙間から、向こうが驚きで目をまん丸くしているのが見えた。

 す、と贈り物が向こうに落ちた瞬間、リースの穴は玄関扉しか映さなくなった。どんなに近づいても、もうあの光景は映らない。


「おはようございます」

「ああ、おはようございます」

 玄関扉を開けたとき、隣人の男が挨拶してきた。いつも律儀に挨拶してくる奴だ。可愛らしいちょっと不思議なタイプの彼女といるところを見たことがある。

「……きれいな手袋ですね」

「ええ、まあ。遠くの友人が贈ってくれたもので」

「いいですね」

 男は会釈しながら俺の前を通り過ぎた。

 俺は少しだけ、自分の部屋を振り返った。扉の向こうのリースを見つめる。

 ああ。一週間で、話したこともないけど、俺たちは友人でいいだろう?


『楽しかったよ! ありがとう! メリークリスマス‼』


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