雪の魔法
クリスマスの三日前から底冷えのするひどく寒い日になった。三日前の朝から降りだした雪はしんしんと降り続き、その日のお昼前には十センチ程に降り積もった。
三日間で辺り一面、真っ白に染まってしまっていた。雪が止んでしまったクリスマスイブの朝である今日も、僕の目の前も当然のように白く染まっている。
日が昇ってから、ずっとあまり気分がよくない。動けない日々が続いている。
頭が重い。それでもここしばらくの習慣で、僕は道の向こうへ目をやった。
毎朝同じ時間に、この道を通る女の子のグループがいる。その姿を眺めるのが朝の習慣になっていた。体調の悪い僕とは違う、活気にあふれるその姿を目にすると、あふれんばかりのエネルギーを分けてもらえるような気がした。
楽しげな笑い声が聞こえて来て、今日もあの女の子たちが近づいてくるのがわかった。
「いえーい! メリークリスマス! メリークリスマス!」
「ジングルジングル! 鈴が、ちゃーん!」
「いや、テンションたっかいな! メリークリスマスは明日でしょ! あと、鈴ってそんな音する?」
「ホワイトクリスマスだし! 雪! あたしは喜び~……?」
「庭駆けまわる!」
「それは犬でしょ!」
あははは、という軽快な笑い声が聞こえる。
三人の女の子が僕の前を通り過ぎていく。高校生だと思う。モコモコのコートに身を包み、黄色、緑、赤とそれぞれマフラーを巻いて、楽しそうに笑う口から白い吐息がこぼれていた。
黄色と緑のマフラーの女の子がふざけ、赤いマフラーと巻いた黒髪の女の子が鋭いツッコミを入れて、三人で笑いあう。それが彼女たちの平常運転のようだった。
楽しげな会話が遠くなっていく。彼女たちは足取り軽く学校へ向かうのだろう。
僕はため息すら出ないほどに疲弊している。それでも彼女の姿を見るとほんの少し元気が出る気がした。
夕方。
また楽しげな声が聞こえてきて、僕は目を覚ました。道の向こうへ目をやると、はやり彼女の姿が見えた。
「いいね~雪積もってると景色が幻想的でいい!」
「この道も雪だるまだらけでファンシーだよね。お、あの塀の上、雪ウサギの群れがいる!」
「今朝はなかったのに、誰か作ったのね。力作」
「まあ、道いっぱいにあるし、新しいの作りたくもなるよ」
「ちーちゃん、不器用だけどね」
「いや、雪だるまぐらい作れるから! なっちゃんも大したことないでしょ!」
「なにぉ!」
「どんぐりの背比べじゃない? 二人ともわたしには及ばない」
「うわっ、ちょっと器用だからってさ! ちーちゃん、どうする? アカリ、シメとく?」
「雪玉の刑に処す」
「やったわね⁉」
三人は笑いながら雪玉を投げあっている。
あの赤いマフラーの女の子は『アカリ』というのか。きれいな響きだ。『ちーちゃん』も『なっちゃん』も元気で羨ましい。
「まあ、アカリが器用なのは認める」
「急に褒めてくれる」
「三人で作ってみる? 雪だるま」
「流石にひと様の家の前はまずいでしょ」
「そういえば、この辺の雪だるま、三人でちょこっと助けたよね」
「ああ。帽子とか、手が落ちてたりしたやつあったしね」
「いやーいいことしたね、あたしたち。作った子供たちも喜んでるよ。きっと」
そうだ。彼女たちは雪だるまをきれいに整えていた。三日前のことだ。雪が積もり始めた日の帰り道で。
そして、僕のことも助けてくれた。転んでしまっていた僕を『アカリ』は起こしてくれた。
「もう大丈夫そうね」
目の前の赤いマフラーの女の子はそう言った。
「何やってんの、アカリ」
「別に。起こしてあげただけよ」
僕はあの時、お礼を言えなかった。あの時、彼女が助けてくれたのに、僕は何も伝えられなかった。
それがどうしても心に引っかかっている。
今日はクリスマスだ。
一晩、考えた。
どうしても、『アカリ』にお礼を伝えなくてはいけないと思う。ちゃんと彼女に感謝の気持ちを伝えるんだ。あの時、助けてもらってうれしかったと。
昨夜、空を飛んでいたであろうサンタクロースに願った。話しかける勇気をください、と。
今日はクリスマスだ。クリスマスの魔法がきっとある。そして、僕にも勇気がある、はずだ。この僕の声でも、きっと伝わる。いや、伝える。
いつものように笑い声が近づいてきた。
三人とも笑っている。
言うんだ。
勇気を出せ。伝わると信じて。
早くしないと『アカリ』が行ってしまう。
心に引っかかったままじゃ駄目なんだ。
言うんだ!
『ありがとう!』
「ん?」
「どした? アカリ」
「今、お礼が聞こえたような気がしたんだけど……」
「お礼?」
「うん。『ありがとう』って。二人は聞こえなかった?」
「あたしは……ちーちゃんは?」
「聞こえなかったけど」
「そう……気のせい? わたしたちの他に見当たらないし」
「うーん……あ、わかった。あいつだね」
「あいつって、なっちゃん」
「この間、アカリが起こしてあげたあいつだよ。そこにいるじゃん」
「ええー今更?」
「照れてたんでしょ。なんか、そんな感じだもん。ね、アカリ」
「そうね……悪くない考えね。お礼なんて、律儀にありがとう」
アカリは笑う。
「ちゃんと受け取ったわ。どういたしまして、雪だるまさん」