タイムトラベリング・チムニー
我が家には大きな煙突がある。
私の祖父が建てた家なのだが、庭付きで、大きなモミの木があり、我が家の周囲だけ海外の景色を切り取ったようになっていた。祖父の代では西洋かぶれがどうのと噂話もあったらしいが、今となっては過去の話だ。洋風の建築物なんて珍しくもない。それでも煙突が目立つ我が家はご近所の間では有名なスポットの一つだった。
煙突は赤茶色のレンガで出来ており、一人ぐらいならすんなりと通れるほどに大きかった。
もちろん飾りではなく、家の中にはこれまた立派な暖炉があって、ちゃんと煙突と通じていた。今は暖炉で火をおこすこともないので、普段は煙突の蓋を閉めているが、使えないことはないらしい。
立派な煙突があるからなんだという話だが、この時期になると年甲斐もなく少しだけわくわくする。
クリスマスの時期だ。
伝承通りにサンタクロースが入ってきてもおかしくない煙突がある。そんな家に住んでいるので、まあ、子供のころはとてつもなくわくわくしたものだ。
実際に小さなころ、クリスマスイブの夜に赤い服を着たおじいさんを見たこともある。夢か幻かとも思ったが、私は次の日の朝、興奮して両親に「サンタさんを見た!」と報告したものだ。
なんてことはない。煙突から着想を得た父親の茶目っ気だったのだろうが、それは子供心にとてもうれしかったことをおぼえている。
自分の子供が生まれたとき、いつか同じことをしてやろう思ったものだ。
そしてついに、今年のクリスマスに計画を実行する。
「サンタになろうと思う。親父がしてくれたみたいに」
すっかり年を取ってしまった父親にそう言うと、父は一瞬だけ驚いた表情を浮かべ、奇妙に焦った後、にやりと笑った。
「……まあ、がんばれ。ほどほどにな」
赤いサンタ服を買い込み、5歳になる息子へのプレゼントも用意した。電車のおもちゃだ。実を言うと私も子供のころは電車が好きで、あの時のクリスマスプレゼントも電車のおもちゃだったような気がする。
クリスマスイブ。私は息子を部屋で寝かしつけた後、こっそりとリビングに戻って、隠しておいたサンタ服に着替えた。
「ホントにやるの?」
妻は呆れたように笑った。
「直接部屋に行けばいいじゃない。わざわざ煙突を通らなくてもいいのに」
妻は私の酔狂を面白がっている。
確かに、妻の言う通り、わざわざ煙突を通る必要などない。そう言われればそうなのだが、私としてはサンタになりきりたい。
「形から入るタイプだもんね。気をつけてよ」
「もちろん」
そんな話をしながら夜が更けるのを待った。
「じゃあ、行ってくる」
「うん。先に寝てるわよ?」
「うん。おやすみ」
夜も更けたころ眠たげな妻に見送られ、私は玄関を出た。数分後には暖炉から出来るのだが、まあ、それはいい。
用意しておいた梯子を上り、屋根に上がった。落ちないように気をつけながら煙突までたどり着く。金属製の思い蓋を外して中を覗き込む。部屋の中の微かな灯りが暖炉を通して漏れていた。
「よし」
私は煙突のふちを乗り越えて、中へもぐりこんだ。煙突の中は上り下りできるように鉄の梯子がついている。普段は汚れているが、この日のために掃除済みだ。大掃除も兼ねて一石二鳥である。
何事もなく私は暖炉に降り立った。暖炉の中で靴を脱いでリビングへと足を踏み入れる。
荷物である白い袋を担ぎなおしたとき、違和感を憶えた。
部屋が暗い。さっき出てきたときよりもずっと暗い。
妻が電気を消した?
いや、そうではない。
……そうではないことはないが、違和感を憶えているのは部屋が暗いからではない。
薄暗い中で目を凝らした。
家具の配置が違う。
お、おかしい。
私は煙突を降りてきただけだ。まさか他の家と間違ったはずもない。こんな煙突のある家なの近辺にはないし、そもそも玄関を出てすぐに屋根に上ったのだ、間違えようがない。
気持ちが焦るが、他人の家に侵入したという気分ではない。家具の配置が違うが、どこか懐かしいような感じがする。
自然と抜き足になる私はゆっくりとリビングを進んだ。
このテーブルには見覚えがある。今使っている物ではないが……
これはもしかして、昔使っていたテーブルか? 私が幼いころ、家にあったものにそっくりだ。
顔を上げて辺りを見回す。
そうだ。
薄暗いからわからなかったが、この並びは私が子供のころの内装と丸っきり同じだ。
……どうなっている? まさかタイムスリップでもしたのか。
そんなバカな!
信じられないが、どうにもそうだとしか思えない。まるで夢を見ているかのような気分だ。
私は焦っていたのだろう。深く考えずに息子の部屋へと足を向けた。
今は息子が寝ている、かつて私が寝ていた部屋へ。
部屋の扉にはネームプレートがかかっており、そこにははっきりと私の名前が書かれていた。
なんということだ!
恐怖を感じながらも、好奇心を押さえられずにそっと扉を開けて部屋に入り込んだ。ベッドから微かに寝息が聞こえる。そっとのぞき込むと息子とよく似ているが、別人の顔があった。すやすやと眠る子供のころの私の顔が。
……私はこんな顔だっただろうか。息子によく似ている。
首を傾げていると、何の前触れもなく、担いでいた袋が裂ける音がした。
「あっ」
止める間もなく、きれいにラッピングしたプレゼントが転がり落ちる。箱が床に落ちて音がした。ベッドで寝ている子供の私がビクッと動いて、跳ね起きた。
「サンタさん……?」
私はプレゼントを拾うことも出来ずに慌てて部屋から逃げ出した。
急に我に返ったのだ。あまりにも非現実的なので、状況を深く考えていなかったが、これは非常にまずい。
自分に見つかるわけにはいかない。何がどうなるのか分からないが、そうなることは避けたかった。万が一、父や母に見つかったらどうなる? 未来から来た息子なんて信じてもらえるはずもない。不審者だ。
リビングに駆け戻り、暖炉に飛び込んで、大急ぎで靴を履き、慌てて煙突を上った。それから十二月の肌を刺す夜中の冷気を浴びながら煙突から飛び出して、転げ落ちるように屋根から降りて、玄関へと戻り、その中でへたり込みながら扉の鍵をかけた。
呼吸が落ち着いてからリビングに戻ると、そこは見慣れた我が家だった。過去の部屋ではない、現代の我が家だ。
……夢でも見たのだろうか。
落ち着いて状況を思い返せばそうとしか考えられないが、用意したプレゼントはなくなっていた。はやりあの時、落としている。信じられないが、現実に起こった出来事だ。
私は過去の自分にクリスマスプレゼントを届けたのだ。
私の記憶にあるあのサンタクロースの姿は父ではなく、私自身だった。
そう思うと、急に疲れを感じて、体を引きずるようにして自室に戻った。妻を起こさないように気を付けて、そのまま泥のように眠ってしまった。
次の日。
息子に渡すはずだったプレゼントをどうしたものかを悩んでいると。息子の部屋から歓声が聞こえてきた。
「やったぁ! サンタさん来てくれてる! わぁ、見たことない電車!」
リビングに飛び跳ねながらやってきた息子の手には電車のおもちゃが握られている。確かにあんな電車は見たことがない。
大喜びする息子を眺めながら、心の中で苦笑いを浮かべる。
なるほど、そういうことか。
おそらくあのおもちゃは未来からの贈り物だ。私が用意したものではない。妻でもないし、本物のサンタクロースでもないだろう。
ふと昨日、私がサンタクロースに扮する前に、父が浮かべた笑みを思い出した。あの不思議な笑みの理由を完璧に理解したよ、親父。
早速、電車を走らせている息子を見やる。
息子よ、お互い昨日は苦労したな。
昨日ここには、未来のお前が来ていたんだろう?