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ありえない方向から社会復帰した。  作者: 水鳴諒(猫宮乾)
――第十二章(愛情)――
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■【上】偶発的タイムベラー症候群

 聖書には、黙示録の三匹の獣が出てくる。その中のひとつに、リヴァイアサンという化物がいる。ギルベルトからすれば、この怪物は、ヤマタノオロチと類似して思える。聖書の中に、それらしき記述がないかと、いつか茨木に問われてすぐに、思い出した存在だ。水害の象徴としての龍は、西洋にもいる。


「何故、水害なんだろうな」


 ポツリとギルベルトが呟いた時、ホットケーキを焼いていた凛が振り返った。黒いギャルソンエプロンを身に付けている。ギルベルトがプレゼントした品だ。


「――地震だけなら、船を造る必要は無いと思うけど」

「俺が箱船について考えていると思ったのか?」

「違うの?」


 ふっくらと焼きあがったホットケーキを皿に乗せ、凛がメイプルシロップの瓶と共に運んできた。使用したのはホットケーキミックスである。ごくごく庶民的だ。本格的なパンケーキを作れと言われたら、それが出来ないわけではないだろう。単純に凛は、ギルベルトがチープな味のおやつを求めたために、キッチンへと立ったと言える。


「何故地震だけだと、船はいらないんだろうな」

「水が押し流すわけじゃなく、瓦礫になるにしろ、痕跡が残るからじゃない」

「しかし瓦礫は、すぐに朽ち果てる。コンクリートの脆さと同じだ」

「――他に箱船が必要な事例として、すぐに僕が思いつくのは、病気の蔓延しか無いよ」


 凛はそう言いながら、ホットケーキを切り分ける。バターはフォンスで取り出した。

 ギルベルトは皿を受け取り礼を言ってから、指を鳴らしてフォークを出現させる。


「カインの子供達には、刻印があったとする説がある。洪水で全滅した」

「例えばそれが、赤い湿疹の比喩だとしても、不思議はないけれど、空想の域も出ない」

「人がヒトを滅亡させるとして、動機には何がある?」

「さぁ。僕は知りたいとも思わない」


 ココアの入ったマグカップを手に、凛が嘆息した。


「――滅亡させるならば、どうやる?」

「僕なら箱船の中に、病原菌でも仕込むかもね。喜々として開けた人々は、後で気づかされる。その箱は、死を誘うものだったと」

「箱船から広まったもの、か。病気類似物としては、アルボス型とルブルム型の障害――他に具体例としては、外思念弁別機制。結果、フォンスが広がった。人々はフォンスに希望を持った。これが、実は?」


 凛は何も答えずに、カップの中を静かに見据える。そして、しばらくしてから口を開いた。


「だとするならば、人間は滅亡の驚異に十二分に気づいているんじゃないの? 世界貴族使用人連盟は、そのためにある。滅亡を阻止するために」

「果たしてそう言い切れるか? 例えば奴らの言う『正しい導き』とやらが、『人類滅亡への道標』でないと断言できるか?」

「――箱船から発掘された、サイコサファイアの神託なんじゃなかった? サイコサファイアは、現生人類への警告のために残された、古代のフォンス科学の産物だと、僕は開示要請をした際に聞いたけど」


 それを聞きながら、ギルベルトがホットケーキを口にする。噛むと柔らかくて、ほんのりとした甘さが口いっぱいに広まった。


「整理する」

「うん」

「古代にあった芦原文明は、当時ユメグと呼ばれていたらしきフォンス内の具現化能力により出現した、オロチにより滅亡した。その直前、箱船を日本の山に埋めた。芦原文明は滅亡し、中つ国……現在の日本に連なる文明がかろうじて残った。しかし彼らは、フォンスを使えない人々だった」

「フォンスを使えない人々が生き残ったとするのであれば、オロチというのは、フォンス能力を奪う具現化物だったのかもしれないね。あるいは、外思念弁別機制の機能を制限する能力を持っていたのかもしれない」

「――芦原文明の前のより原初的な文明もまた、オロチにより滅びた。滅びの間際には、オロチが出てくる」


 ギルベルトの言葉に、凛がカップを置いた。


「ギルの記憶上最古の文明には、オロチは出てきたの?」

「いいや」

「二番目の文明には?」

「――いいや」

「三番目の文明には?」

「出てきた。それは、この文明の初期だ」

「どこに出てきたの?」

「芦原文明という事になる。目視はしていない。今、記録を遡って所だ」

「一番目と二番目は――人類文明だったの?」

「俺の記憶では、現生人類とは異なる」

「ねぇ、ギル。俺が思うに、人がヒトを滅ぼそうと考えるよりも、人以外がヒトを滅ぼそうと考える方が、非常に腑に落ちるんだけれど、そうは思わない?」


 凛の声に、ギルベルトがフォークを置いた。そして傍らのカップを手に取る。珈琲を一口飲んでから、ギルベルトは頷いた。


「その通りだな。だが既に、地球上のどこにも、人類でないそれらは存在していない」

「調べたの?」

「ああ」

「ふぅん」


 頷いた凛は、食べかけのホットケーキを眺めながら、腕を組んだ。


「箱船の中にも?」

「――生まれた形跡もない」

「受精卵は、母体によく似た特質を持つと聞いたけど」

「……それは」

「仮にギルの言う存在の受精卵が人間に酷似していたとして――それを人の女性が孕んだら――どんな風に生まれてくるのかな」

「……」

「ギルの言う、最も最初の文明の、メルムという存在は、フォンスに類似していた力を持っていた。受精卵から誕生した子供達もまた、強いフォンスを持っていた」

「凛……――だとしたら、お前はメルムの末裔という事になるぞ?」


 ギルベルトは揶揄するように口にしたが、その瞳が伺うような色を宿していたのを、凛は見逃さなかった。


「僕が怖い?」

「まさか」

「メルムという種族の上空にあった大陸は海に沈んだ――けれどその当時、ミセリア人が地上にはいた。果たしてその存在が、メルムの子供を宿したら――生まれてきた子供はどのような姿をしていたのかな?」

「……」

「もしそうだったとしたら、ギルはどうする? 例えば、この世界の人間の中に、半分くらいメルムがいるとしたら」

「――滅ぼすだろうな」

「オロチは、メルムを排除する存在だったのかもしれない」


 その言葉に、ギルが小さく息を飲んだ。


「定期的にこの事実に気づいた人間がいた――その者が、今のギルと同じように考えた結果、オロチが生まれた。こういう推測はどう? 全ては可能性の問題だよ」

「もしもその推測の通りであるならば、箱船に刻まれていたのは、人類への警告じゃない。メルムによるメルムへの警告だ」

「そうなるね」

「さらには、サイコサファイアが守れ――監視しろと主張する存在は、メルムにとって非常に重要な存在である可能性が高い」

「琉唯なら、ユメグでオロチを具現化させる事も可能だろうし、場合によっては――メルムという種族を、メルムとして復活させる事も可能かも知れない」

「――前にスミス氏は、八つ頭がある蛇の夢を見たと言っていた。ユメグを使えと言われたらしい」

「使ってみて判断できたら楽なのにね。滅んだのが何なのか、見極めるだけで良いんだから。琉唯には、それが可能であっても、優しいから出来ないと思う」


 凛はそう言うと、マグカップを傾けた。


「フォンスが遺伝しないのは――メルムを受精したかどうかが、問題であるから、というのはどう?」

「本物の子供はどこに行ったんだ?」

「少なくとも生きてはいないだろね」

「――俺は、フォンスを持っているが、メルムでは無いぞ」

「生後すぐと、弟子入り等の方法で、人間は後天的にフォンスを手に入れられると、僕はギルに教わったような気がするけど」

「……、……待ってくれ」

「フォンス能力者が支配する世界が訪れた――嘗て、メルムは地球の支配者だった。フォンスを用いて。違う?」

「メルムには、メルムの自覚はあるのか?」

「さぁね。仮にあったとしても、人間の倫理観と異なるのならば、理解はできないかもしれないよ。ギルが、僕の殺意を理解できないのと同じ事だよ」


 ギルベルトが沈黙した。指先が僅かに震えている。ちらりとそれを見た凛は、ゆっくりと瞬きをした。


「ギルは、僕の事を愛してるんだよね?」

「――おう」

「僕がメルムだったとしても?」

「……それ、は……」

「ギル。前に茨木さんがある仮説を唱えていたんだ。この世界に、不老不死は、存在しないのではないかという説だった」

「じゃあ俺は、何なんだ?」

「ギルはここにいる。昔も、今も。その状態で、過去も現在も未来も同時にフォンスで読み取ってしまっている。だから脳が整合性を保とうとして、無理に時間を作り上げて、連続性を錯覚させている」

「……」

「つまりギルは、本当はメルムの社会を知らない。後続のミセリア文明も知らない。全て、地球の痕跡をフォンスで読み取っただけという事になる」

「……」

「そういう人物を、現在にとどめるためには――現状維持コネクトが必要だと聞いたんだ」

「一体それは、どんな代物なんだ?」

「愛」

「は?」

「愛だと、茨木さんは言っていたよ。愛する人の存在が、その者を現在に引き止めるらしい――そうなれば、もう、偶発的タイムトラベラー症候群からは脱出できる。残る問題はひとつだけ」

「その問題というのは?」

「非実在性ファントムクラック有可視化能力者だった場合に生じる諸問題らしいね」

「それはなんだ?」

「神様の事みたいだよ」

「どういう意味だ?」

「本来、いくらフォンスを用いたとしても、それが存在しない事を、僕達F型表現者は理解できる。けれど神様は、存在しないものを作り出せてしまう。ただしそれはフォンスとは異なる。存在するからだ――神様が存在すると確信した時、それが是となる。その際、都合の悪い既存世界の方が、改変される事になるそうだよ」

「例えば俺の場合、症候群とやらを是とした時、過去に俺の痕跡が無いはずが無いとして、俺が俺の痕跡ある世界を生み出すという事か?」

「うん」

「俺はその能力者なのか? ならば、メルムの遺跡も出てくるだろうな」

「――メルムをこの世界から消去して、無かった事にも出来るよ。そうすれば、調査してもメルムは発見できない。さっき、ギルは調査をしたと言っていたね」

「だがお前の推測を信じるならば、人間の皮をかぶってうじゃうじゃいるという事になる」

「うん。ギルにバレて、もう、消される事が無いように」

「……」

「話を変えたい。仮に俺がそうだとして――例えばサンジェルマンはどうなる? あいつも俺と同じ症候群であり、能力者であるという事か?」

「その可能性が高いと僕は思う」

「スミス氏も?」

「琉唯は、偶発的タイムトラベラー症候群では無いよ。過去を見たりしない。ただ、非実在性ファントムクラック有可視化能力者である可能性は、とても高い」

「――愛情だけでは繋ぎ止められない神様が三名、ここでは挙げられたが――……もし神々同士が作り出した世界が矛盾したら、どうなるんだ?」

「それも問題のひとつみたいだね」

「なぁ、凛」

「何?」

「ならば俺は、いつどこで生まれたんだ? 二次性徴後に成長が止まる――事すらも、それは俺の想像した世界であるとして、少なくとも現在の枠組みで捉えられる範囲で俺は生まれたはずだ。本当の俺は何歳であり、何者なんだ?」


 凛は、何も言わずに、冷め始めたココアを飲む。


「――琉唯は、孤児だよ。琉唯は、それしか分かっていないと信じてる。僕は、琉唯とギルは同じところで生まれたのではないかと想定しているよ。サンジェルマン様も同様に」


 すると真剣な表情になったギルベルトが、凛の前に立った。


「三つ聞かせてくれ」

「何?」

「一つ目。お前が俺を愛すると口にするのは、現状維持コネクトのためか? 二つ目、お前は俺を愛していないのか? 三つ目、お前は、メルムなのか?」

「――一つ目。そうだよ。僕は幼い頃に茨木さんに聞いてからずっと、ギルがもうこれ以上遠いところを見ないで欲しいと思って、それからずっと愛をもって生きてきた。二つ目――その幼かった愛情が、今は肉欲を伴う恋情に変改しているから、至極二元的な意味合いで、ギルに恋をしているし、愛しているから、この答えはNOとなる。僕は本気でギルを愛している。そして三つ目――……僕は、アンナ・ラシードの子供であるといつか話したけど、それは戸籍上に過ぎなかった。実際には、白野という教師と結城家の女性の間の子供だ。僕の中には、箱船由来の遺伝子は、一要素も無い」


 それを聞いたギルベルトが、脱力したように、体をソファに投げ出した。


「最後に二つ。折角だから、答えてくれ」

「何?」

「メルムは実際に、人間に紛れていると思うか?」

「うん」

「――お前はさっき、『俺にバレて、もう、消される事が無いように』と言ったが、これはどういう意味だ?」

「ギルがメルムを滅亡させたんでしょう? 実際には。精神感染症を用いて」

「――数分前までそうだと認識していた。だが――偶発的タイムベラー症候群だとするならば、俺にはそれは不可能だ」

「可能だよ。ここから、過去を変えれば良い――正確に言うならば、本来はこの世界はメルムという存在が支配あるいは闊歩する場所だったのかもしれないけれど、彼らは過去文明の存在であるとして、滅亡させる事は可能だ。つまり現実が改変された可能性もある」

「規則で過去改変が禁じられていたとしても、無意識ならば、どうにもならない――という話がしたいわけじゃない。俺が聞きたいのは、俺はお前に精神感染症の話をした記憶がない。なのになぜお前は、俺がメルムを滅ぼしたと知っているんだ? 俺は今まで、この事は、誰ひとりにも話していない」

「それは、僕もまた偶発的タイムベラー症候群であり、僕はその時、ギルがメルムを滅亡させるのを見たからだとしか言えないよ。だけど僕は、自分を不老不死だと感じた事は無い――あの終南山における僕に対しての一番の実験は、これについてだったんだ」


 凛はそう呟くように語ると、マグカップの中身を飲み干した。






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