■《2》偽物
高杉蓮が何をしに来たのか見ていたら、彼は単独で茶色い征服を身に付け始めた。
――?
世界貴族であるのだから、どちらかに与する必要は、確かに無い。しかし蓮もまた、素性は隠している。梓を眺める傍ら、時折視線を向けるようになった。だが、すぐに忘れた。思い出したのは、フォンスの国内ランキングの一番上に、名前を見た時だった。そこで、気づいた。
「クリストフ伯爵――」
青海はある日声をかけた。すると硬直してから、蓮が振り返った。探るような瞳をしている。
「――の、偽物」
核心を突いた青海の声に、蓮がついに目を見開いた。楽しげに笑った青海は、それから腕を組んで、フェンスの上に乗せた。二人がいるのは、屋上だった。下にネットが張ってあるからなのか、この学校のフェンスは背が低い。
「いつ成り代わったんだ?」
「……」
「世界貴族殺しは、極刑だ。肉塊すら、残らず消滅させられるだろう」
青海の言葉に、蓮は何も言わない。肯定も否定も、不利になるからだろう。
――青海は、蓮を見て、幼さを感じた。高位の世界貴族を屠る腕前を持っているくせに、学識と実力に自信がないから、学校に通ってみるという、その発想が愛らしかった。蓮の心を読み取ってみる。何を考えているのか、知りたかった。
「ふぅん。使用人の一人としてお屋敷に忍び込み、首の骨を折ったのか。すぐに体はフォンスで量子まで分解し、自分の姿をクリストフ伯爵に変化させた」
「……」
「まぁ、誰も気づかないのであれば、今後はお前がクリストフ伯爵となれば良い」
それまで身構えてた蓮が、虚を突かれたような顔をした。
「内々に世界貴族を襲名した例はある」
「青海……じゃないですよね? 貴方は?」
「俺は青海だ。正確にな。ただし別の名前も持っている。例えばそうだな、今日の歴史の授業で出てきた中で言うならば、サンジェルマンだとか」
顔面蒼白になった蓮に対して、青海は口角を持ち上げて笑った。
「連盟には話を通しておいてやる。お前は、今、この瞬間からもう、世界貴族の一人だ。俺がそう保証する」
「……有難うございます」
「所でお前、宋伯爵家傘下の日本華族の七瀬家のご令嬢をご存知か?」
「ええ。麗しいご姉妹ですね」
「姉の方に、結城家と縁談がある。潰しておいてくれ」
青海はそう言うと微笑んでから、その場を後にした。
階段を下りながら、見合い話が潰れたら、梓がどんな顔をするのかと考える。
昨年まで先輩だったご令嬢に、梓が好意を抱いている事は、知っていた。
「泣くかな?」
そう呟き、口笛を吹いてから、青海は教室へと戻った。冬のある日の事であり、それは琉唯の元へと茨木が始めて来訪した日と同じでもある。
隅洲琉唯が編入してきたその日、青海は遅刻していた。いつもの事である。大邸宅で、ゆっくりと朝食を楽しんでいた。世界貴族使用人が、七十名程控えている。しかし彼らは、公的には一人もいない事になっていた。――サンジェルマンは、使用人を持たない。だがこれは、世界貴族の個人情報に関わる、誰も真偽を確かめられない事柄の一つだ。
魚をナイフとフォークで切り分けながら、朝の雑踏が落ち着くのを、いつも青海は悠然と待つ。足早に街を行く人々の気が知れない。珍しく蓮から連絡があったのは、デザートを食べている時だった。不可思議な気配を持つ者が、校舎の中にいるというのだ。
遠隔でサーチしてみる。そして青海は、目を細めた。自分でも、上手く探知できない。つまりそれは――ギルベルトか、それ以上の人間となる。ギルベルトが入学してくるとは到底思えないので、ならばここの所噂となっているスミス公爵様のお出ましかと考えた。
ようやく登校する気になった青海は、ゆっくりとした足取りのままで学校へと向かい、廊下ですれ違った鷹薙という女子の前で足を止めた。
「おはよ」
「おはよう、青海くん」
朗らかに笑う彼女は、夏の花のような素朴さと温かさを持っている。結城梓がそんな彼女に惹かれている事を、青海は知っていた。見合い話が潰れてから、落ち込んでいた時に、何も知らない鷹薙が、体育の後にタオルを差し出したのが、きっかけであったらしい。青少年らしい情動の変遷、恋、微笑ましくなる。
「鷹薙は、今日も可愛いな」
「またそうやって、いじるんだから」
青海の言葉に、鷹薙が苦笑した。しかし、内心では満更でもなさそうだ。
彼女に青海が告白をしたのは、その三日後の事である。独立派の男子と、庶民出自とはいえ華族派の女子の恋だ。学園はざわめきたった。琉唯は知らないようだったが、梓は聞いていないはずがない。さて、どんな顔をするのか。楽しみにしていた青海は、梓が八つ当たり気味に苺牛乳のパックをダストボックスに投げた姿を見て、非常に満足感を覚えた。
蓮には、推測した隅洲琉唯の素性――世界貴族の最高位、公爵である事を伝えた。
その上で、見ているようにと口にした。
何度か頷き、彼はその通りに動き始めた。それだけ、青海の後ろ盾があるというのは、強い事である。無論、爵位上現在では、隅洲琉唯には勝てなくなったが、と、考えながら青海は、屋上へと続く階段を上った。そして目的の人物を見つけた。
「何やってるんだ? 結城」
「別に」
「天使とお話か?」
「……いいや。もう、俺には聞こえない」
そう口にして顔を上げた結城は、どこか傷ついたような顔をしていた。
聞こえない理由を、青海は知っていた。深海から『天使』が解放されたからだ。しかし梓はおそらく『病気が治った』とでも受け止めているのだろう。
隣に並ぶ。青海は、校庭を見下ろしながら、静かに嘆息した。
「お前、泣かなくなったよな」
「もう子供では無いからな。青海は、笑わなくなったな」
「――え? 俺、誰よりも笑ってないか?」
「目が笑っていない。少なくとも、俺が知る表情とは違う」
この時になって初めて、青海は、自分もまた梓に観察されていた事に気がついた。ドクンと、心臓が嫌な音を立てる。以来、青海は、梓と少し距離を取った。
嫌でも近づかなければならなくなったのは、琉唯が梓を家に招待した時だ。即座に蓮を割ってはいらせたが、気が気ではない。完全に青海は――自分との関わりから、梓が招かれたと思っていたのだ。
だから、ギルベルトの名前を聞いた時には、既に少し気が抜けていた。
――なるほど、天使に会わせたがっていたからな。そう考えてながら、教室へと訪れたギルベルトの前で、わざとらしく床に膝をついた。ギルベルトはすぐに気づいたが、何も言わない。
こうして、青海絵都としての日々の終了が、唐突に決定された。
結城梓の記憶を消去する事は簡単であったし、そうするのが筋でもある。
だが……蓮が、フォンスを発動させようとした瞬間、青海は思わず止めていた。
「結城は、俺が連れて帰るから良い」
何故そう口にしたのかは、長らく青海自身も分からなかった。
青海が屋敷に連れて行くと、梓があからさまに緊張した顔をした。それを見た時、青海は嗜虐心を思い出した。ここにいる使用人達は、誰ひとりとして、梓よりも下の地位にはいないのだ。
「頭が高いんじゃないのか? 堂々と、俺の後ろをついて歩くなんて」
だからそう話しかけた。反応が楽しみだった。すると梓は小さく息を飲んでから、目を細めた。
「ならば俺を連れて来るべきでは無かったな」
そして梓は、隣に並んだ。
「お前は俺にどうして欲しいんだ? 俺は隅洲の家に遊びに誘われたのであって、青海の家に招かれる予定は当初からなかった。帰って良いなら、そうさせてもらう」
「――俺が、世界貴族だと聞いていなかったのか?」
「だから何だ? お前は俺に、同世代の平民として扱われたいんじゃなかったのか?」
すっと目を細めた梓の声に、青海はたじろいだ。言われてみれば――これまではそうであったし、今違うのかと言われても、よく分からない。周囲では、使用人達が自分達の様子を見守っている。青海は、「取り敢えず手を出すな」と指示を出して、梓を客間へと促した。




