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ありえない方向から社会復帰した。  作者: 水鳴諒(猫宮乾)
――第八章(解放)――
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■【5】クリスマス

 十二月が訪れた。今日はクリスマスイブだ。世界は随分と変わったが、文化はあまり変化がないなとギルベルトは考えた。特に古い宗教は残っているものも多い。旧約聖書を開きながら、ギルベルトは揺り椅子に背を預けた。ギシギシと椅子が軋む。


「来てたの?」


 エントランスの扉を開けるでもなく、フォンスで転移し帰宅した凛が、少し驚いたように声を出した。ここは、凛の家である。凛が一人暮らしを始めたのは、先月の事だ。


「おう」


 頷いたギルベルトは、創世記をめくる。彼が手にしている古びた聖書を、凛が一瞥しながら、両腕で抱えている紙袋をテーブルの上に置いた。最近、凛は買い物に行く事を覚えた。非常に新鮮である。イメージで取り出すのとは、どことなく違って思えた。野菜一つ一つの形が違う点などが、いちいち面白い。


「――初めにあった言葉、か」


 ギルベルトが呟くと、凛がフランスパンを取り出しながら、首を傾げた。


「それは別に言語という意味合いじゃないんでしょう?」

「さぁなぁ」

「ギルが一番最初に覚えた言葉は何?」

「何故だ?」

「それが一番初めにあった言葉なのかと思って」


 凛の言葉に、ギルベルトが吹き出すようにしながら、聖書を閉じた。

 それから立ち上がり、凛の横から高い位置にある戸棚を開ける。

 ――気づけば、凛の背が随分と伸びていた。ギルベルトの感覚の中では、いつまでも凛は、十三歳のままだったから、ふとした時に驚く事がある。


 ギルベルトが開けた棚に、凛がジャムやペーストの瓶をしまっていく。自然な流れだった。凛には、特に気にした様子もない。


「お前さ」

「うん」

「背が伸びたな」


 改めてギルベルトが言うと、凛が複雑そうな顔をした。


「もう十年も変化してないけど」


 今年で凛は、二十七歳である。いつか、茨木が迎えに行った琉唯と同じ年齢だ。ギルベルトはそれを思い出して、一人納得した。月日が経つのは、本当に早い。


 ――なお、凛は逆の事を感じている。自分が成長すればするほど、ギルベルトが幼く感じるのだ。一周回って子供に戻ったのかと考える事もある。


 凛がしまい終えると、ギルベルトが戸棚を閉めた。


「凛は、世界貴族使用人を、どうして連盟本部に縫い付けてるんだ?」

「――別に。僕は一人暮らしがしたかっただけだし、本部にも使用人の仕事が沢山あるというだけだよ」

「気持ちは分かる」

「享は元気にしてる?」

「特に変化はなさそうだな。俺がお前に会いに行ったと聞いたら、どうして連れて行ってくれなかったのかって怒るだろうな」

「どうして連れて来なかったの?」

「どうしてだろうな」


 言われてから、ギルベルトは首を傾げた。ただの気まぐれとしか、認識してはいなかった。揺り椅子に座り直しながら、指を鳴らしてカップを喚び出す。すると傍らのソファに凛が座った。


「ねぇギル」

「ん?」

「そろそろギルは、子離れした方が良い」

「――来たら邪魔か?」

「そうじゃないけど。一緒にいたら、ギルは僕の背が伸びた事にすら、十年かかってやっと気づくから……これじゃあ、いつまで経っても、僕は受精卵のままだ」

「受精卵?」


 何の話か分からない様子で、ギルベルトが首を傾げた。凛は、自分の正面にマグカップを出現させて、手に取った。中に入っているココアを一口飲んでから、改めてギルベルトを見る。


「覚えてない? ハロウィン」

「いつのハロウィンだ?」

「ギルがソファに座っていて、運命の人との遭遇機会を逃しかけた日」

「――……あ、ああ! お前が耳らしき何かを頭にくっつけてた時か。あったな。懐かしいな」


 思い出した様子で、ギルベルトが破顔した。その嬉しそうな顔を見て、凛はひと呼吸つく。するとギルベルトが、懐かしむような目をした。優しい顔だ。


「けどあの日、俺は、思えば、逃しはしてないんだ」

「そうなの?」

「おう」


 今度は凛が首を傾げる番だった。何せずっと二人で会場を回っていたのだが、凛の記憶上、誰ひとりとして、ギルが口説いた相手などいなかったからである。


「どこにいたの?」

「ん? ずっと隣にいただろう」


 ギルベルトが不思議そうな顔になった。それを聞いた瞬間――凛は照れて俯いた。いつも表情に変化がないから、こういう姿は珍しい。


「僕をからかうのは止めてって前に言った」

「けどお前も、俺をからかっただろう? 受精卵だなんて――受精卵以外に見ろだなんて、つまりは、凛を恋愛対象として見ろという意味だろう? 違うか?」

「別に、僕は――からかったつもりはない」


 不服そうに凛が言うと、ギルベルトが喉で笑った。


「好きだ」

「え?」

「――俺が最初に覚えた言葉だよ」


 そう言って笑ったギルベルトを見て、凛が悔しそうな顔をした。その頬は、まだ赤い。


「どうして僕をからかうの?」

「ん?」

「人の好意をからかうというのは、最低な行為だ」


 はっきりと抗議した凛に対して、ギルベルトが苦笑する。


「俺の事が好きか?」

「……」

「最低なのに?」

「……」


 凛は答えない。ちなみに、これまでの間、好きだと口にした事もない。好意を抱いていると口にした事はあるが、その明確な意味合いを伝えた事もない。


「いつから、だ?」


 ギルベルトが尋ねた。これは、初めての質問だった。

 すると凛が、少し考えるような顔をした。


「――いつなんだろう。少なくとも、琉唯と茨木さんが付き合うよりは前だった」

「へ?」


 その意外な言葉に、ギルベルトが目を丸くした。


「それって、随分と前だな――そんな感情は見てとった事がないが……まぁ、お前の感情は、ずっと見えなかった。思考しか見えないんだ、不思議と」

「それは僕がギルの事を好きなのがバレたら生きていけないと思ったから、ずっと隠してたからだよ。いつも必死に、見えないように気をつけてた。気をつけてる。今も」

「……ほう」

「だから僕、前に、琉唯に、『琉唯よりピュアじゃない』というような事を言ったんだ。琉唯より色々経験してるって伝えた。僕の方が、ずっと感情に向き合ってきたからだ。これは前にギルにも話した、僕の大人な部分でもある」


 淡々と語る凛を、興味深そうにギルベルトが見た。


「そんなに好きなのに、どうして俺に告白しなかったんだ? 告白というのは、自分の気持ちが抑えきれない場合にも、すると良いらしいぞ?」

「――僕には、その資格が無いような気がしたから」

「資格?」

「僕は人を殺したから」


 その声に、ギルベルトが動きを止めた。揺り椅子の軋む音もまた消えた。


「命じたのは、俺だ」

「その前にも」

「正当防衛だろう」

「結果は同じだよ」

「――人殺しには、人を愛する資格が無いのか?」

「違うよ。僕には、ギルを愛する資格が無いという話」

「どう違うんだ?」

「僕は僕だけで、人は人だから」


 だから――明確に想いを伝える事は出来ない……してはならないと、凛は感じている。甘いココアを飲みながら、凛は瞬きをした。深海が過ぎった気がする。全てが青闇に埋め尽くされていた丸い潜水艦の窓の外が懐かしい。


「それはつまり――俺は、お前に愛される日が来ないという事か?」


 ギルベルトが立ち上がった。凛が瞼を開けた時、ギルベルトは正面に立っていた。そして少し屈んで、凛を覗き込んだ。その透き通った瞳に、凛は胸が疼いた気がした。


「許さない」

「――ギル?」

「俺への愛を、そろそろ認めろ。諦めて、俺にもっと惚れろ」


 そう口にした直後、ギルベルトが、かすめ取るように、凛の唇を奪った。硬直した凛が目を見開くと、ごく近い場所にギルベルトの顔があった。


「折角、大人になるまで待ってやってたんだからな」

「ギル、それは……どういう意味?」

「とうにお前は俺にとって恋愛対象であるし、俺の心の中にいる。そうじゃなかったら、誰がクリスマスイブに会いに来るかという話だ。そうか、なるほど、それで俺は一人で来たんだな。凛と二人で過ごしたかったからだ。先に言っておくが、からかってないぞ」


 それから――ギルベルトが今度はゆっくりと唇を近づけた。凛は、諦める事にした。もう認めてしまうしかない。だからギルベルトの腕を引いて、今度は自分から口づけた。


「認めるよ」


 唇が離れた時、凛が言った。


「僕は、ギルを愛してる」

「――おう。それで良い」

「僕の恋人になって」

「ああ」


 この日から、二人の関係が少し変わった。凛は――長年押し隠してきた心が、解放されたように感じている。


 ――後にこの事実を知った琉唯は、自分と茨木に、凛が感化されてしまったのでは無いかと非常に心配した後、ギルベルトに対して「大切にしないとどうなるか分からない」と迫ったらしいが、この世界貴族による世界貴族への警告は、特に新聞記事になる事は無かった。






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