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■30:一年


 その日、初雪が降った――僕は庭を眺めながら、新雪に靴の跡をつける提案をするべきか悩んでいた。窓硝子に手で触れた時、吐息で少しだけ窓が曇った。人差し指を伸ばして、無意識に相合傘のマークを描いた時、僕は自分が小学生以下に退化した気分になって、すぐに消した。


「琉唯様」


 消した直後に茨木が入ってきたものだから、慌てて振り返る。何でもない素振りを心がけた。茨木は、僕を見ると、少しの間言葉を止めた。何だろう、重要な報告だろうか。思案しながら茨木を見ていると、柔和に茨木が微笑した。


「今日で、一年となります」

「――一年?」

「琉唯様をここにお連れしてからです」


 僕は驚いて、外の雪と茨木を交互に見てしまった。

 一人で暮らしていた部屋が頭に過ぎった。確かに、あれも冬の出来事だった。だが、正確な日時を、僕は覚えていない。もっと雪が深い季節であった気もしたが――なるほど、僕が嘗て暮らしていた所の方が、初雪が早いのだ。そもそもの冬の到来自体、一・二ヶ月違って感じる。僕の住んでいた家では、十一月など冬だったが、今のこの家では十二月の後半になって、ようやくそれらしくなってくる程度だ。同じ国内なのだが。


「世界貴族認定証をお渡ししてから、丁度一年となります。私がお仕えさせていただいたのも、昨年の今日でした」


 たった一年……そう思えば短いが、密度が濃すぎた。僕は既に、何年も茨木と一緒に過ごしているような気分に陥っている。けれど、昨年の今日があったからこそ、出会えたのだし、貴重な日であると言える。


「僕の部屋に来た時の事を覚えてる?」

「勿論です」

「その……正直な話、僕の事をどう思った?」

「ニュースを見ていないというのが意外でした」


 素直な茨木の声に、僕は恥ずかしくなって目を閉じた。自分がひきこもりだった事を、明確に思い出した。あの頃は、色々と諦めていた。例えば、恋人と幸せになる未来なんていうものを、僕は思い描く事が無かったのである。フォンスに正しく言うのであれば、僕が想像していなかったから、僕には恋人がいなかったとする事もできるのだろう。そう考えて、改めて茨木を見た。


「――僕が望んだから、茨木が恋人になってくれたんじゃないかと、たまに怖くなる」

「人の感情面には、深い影響を及ぼす事が困難であると、何度か申し上げたように思いますが――今でも、ご不安なのですね」


 苦笑した茨木が、部屋の扉を閉めて、歩み寄ってきた。僕よりも背が高い。窓越しに、そこに映った茨木を見た。改めて考えても、一年前からは想像もできない。信じられない事の連続だった。


「私も不安ですよ」

「え?」

「私の場合は、琉唯様のお立場とは、自身が比べ物にならない程、下にいるという点です」

「茨木は下なんかじゃないよ。僕は、茨木と対等……寧ろ、僕が下だと思ってる」

「身分差というものは、どうしても横たわってしまうものです。ただ、だからと言って私は、琉唯様を手放す気にはなりません」


 茨木はそう口にすると、僕の頬に触れた。思えばこの一年で、何度も頬を撫でられた。そうしてじっと覗き込まれると、不思議な気分になる。


「けれど時々、仕事と割り切れず、公私混同しそうになる自分が、私は許せなくなります」

「僕は、茨木が仕事としてじゃなく、一緒にいてくれる方が嬉しいよ」


 だけど、と、思った。もし仮に僕が世界貴族に任命されなければ、出会う事も無かったのだ。仕事でなければ、茨木はそもそも僕のそばに、最初の時点で訪れる事は無かったのである。ただこの件に関しては、前に茨木が「仕事上の出会いを契機に付き合い始めた恋人同士は世に溢れております」と言っていたから、僕はあまり気にしないようにしている。


「琉唯様はいつも私の『仕事』を気になさっておいでで、私はいつも『身分差』を気にしているような気がしております」

「そうだったの? 僕は、そうかもしれないけど……茨木は、気にしなくて良いのに」

「いいえ。一線を引かなければなりません。私は、滅びなど目にしたくはない」

「僕は世界を滅ぼしたりしないよ?」

「分かっております――ただ、もし今、琉唯様に何かあったら、私は自分を保てるか分かりません。そういう意味では、あっさりと私の世界は滅びる可能性があります」


 茨木はそう言うと僕を抱きしめた。いつもよりも腕に力を込められた。少し息苦しい。僕の後頭部に手を回した茨木が、僕の額を胸に押し付けるようにした。いつもは僕が自分から押し付けるから、新鮮な感覚だった。


「琉唯様が私の全てであり、私の世界です」

「それは、僕も同じ気持ちで――」

「いいえ。確実に私の方が想いは強いでしょうね」


 僕は茨木の背中に腕を回しながら、果たしてそうなのだろうかと悩んだ。


「僕は、僕のほうが茨木を好きだと思ってるけど、どちらの方が好きが上か言い合うなんていうのは、その……」

「――そうですね。無駄な事です。相思相愛であると、思っておきましょう」

「うん」


 それから僕達は、キスをした。その後、僕はしっかりと茨木を見た。


「僕ね、来年一年は、もっと世界貴族らしくなれるように頑張るよ。前に僕のままで良いと言ってくれたけど、本当に身分差が存在するのなら、僕は茨木が誇れる主人になりたい――それは、仕事として。僕は、一応、無職ひきこもりを脱出したんだし」


 僕の言葉に、茨木が小さく息を飲んでから、穏やかに笑った。


「お手伝いさせて頂きます」


 茨木がそばにいてくれるのだから、僕には何だって出来るような気がする。




 そしてそれは、多分間違っていなかった。


 ――これが、僕が世界貴族となって、記念すべき一年の記録であり、茨木との恋の軌跡、思い出だ。




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