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■26:機嫌

 ――こうして僕達の付き合いは、少し落ち着いてきたのかなと思う。

 だけど、あの日……僕が盗み聞きをしてしまった日を境に、茨木の口数が目に見えて減った。あの場では何も言われなかったけれど、本当は気に障っていたのかもしれない。そう考えると、僕は憂鬱だった。


「はぁ……」


 僕が溜息をついた時、目の前に、封筒が出現した。蝋印で、ギルベルトからの手紙だと分かる。ギルベルトは、僕に手紙を時々送ってくる。彼にとってのこれは、僕にとってのスマホみたいなものなのだろう。茨木は、今、夕食の手配に階下に出かけている。手紙が届くのは、大抵茨木がいない時だ。偶然では無いだろう。


 手紙の封を開けて、中身を確認する。


『二週間後の、三時のお茶の時間に遊びに行く。茨木には言わなくて良いからな』


 そんな簡潔な内容と署名があった。眺めて頷き、僕は手紙を消失させる。

 言わなくても、訪れたギルと話をしていると、大体すぐに気付いた茨木がやって来る。最近ではまた、茨木は部屋の外にいるようになった。僕はそれが、僕が日本の記紀を読むという勉強を始めたから配慮してくれてのものなのか、僕に対して怒っているからなのか、判断できないでいる。


 ――茨木が何を考えているか知りたい。


 そう思ったのと、茨木がお茶を持って入ってきたのは、ほぼ同時だった。僕を見て会釈した茨木を見た時――ふと僕は、ギルが心を読むフォンスを使っていた事を思い出した。思い出してからは無意識だった。悪い事をしている自覚はあったが――僕は、茨木の心を読んでしまった。茨木は、気づいていない様子で、テーブルにティセットを並べている。


 僕は……表情を無くした。茨木は、僕に対して、主に三つの事を考えていたのである。


『話しかけないで欲しい』

『近づかないで欲しい』

『別れようか』


 衝撃的すぎて、涙も浮かんでこなかった。


「琉唯様?」

「……」

「どうかなさいましたか? 顔色が悪いですが」

「……な、なんでもない。なんでもないから。えっと、ちょっと考え事をしたいから、一人にしてもらえ……ますか?」

「承知致しました」


 思わず僕が敬語になったからなのか、首を傾げて茨木が出て行った。

 扉が閉まる音を聞いてから、僕は全身をソファに預けて――涙した。


 一つだけ分かるのは、僕は別れたくないという事だ。

 そうである以上、努力しなければならないだろう。

 決意し、この日から、僕は変わる事にした。


 まず、なるべく茨木に話しかけないようにした。話しかける時は、最低限! 決して邪魔をしないように、非常に気を使った。同時に――なるべく近づかないようにした。同じ室内に居る時であっても、僕はそれとなく距離をとった。


 だが……日増しに茨木の機嫌は悪くなっていった……。


 すっと目を細めて僕を見る瞳は、完全に怒りや嫌悪といった負の感情が浮かんでいるようにしか思えない。気づいてみたら、最近の僕達は、挨拶と事務的な話以外しなくなっていた。


 ――それでも、体は重ねている。前よりは頻度が減ったけれど、茨木は夜になると、僕を抱きしめる。この時は、以前と変わらず、茨木は優しい。だが、茨木に限って僕の体目的だったということはないだろう。そもそも僕の体は貧弱であり、しかも男だ。


「はぁ……」


 この日も、僕は溜息をついた。


「なんだよ、暗いな」

「っ、ギル!」

「――今日、行くって手紙出しておいただろう?」

「ああ……もう二週間も経ったのか」

「時が経つのは早いよな」


 僕の正面のソファに現れたギルが、指をパチンと鳴らした。すると扉が施錠され、テーブルには、美味しそうなお菓子が並んだ。良い香りの紅茶もある。ギルはいつも、茨木が何分で施錠に気づき、それから何分で扉を開けられるか測って遊んでいるらしい。


「それで、一体どうしたんだよ、スミス氏。何かあったのか? 今にも樹海につっこみそうな顔をしてるが……」


 その言葉に、僕は気づくと涙を零していた。すると焦ったように、ギルがティッシュの箱を出現させて、僕の前に浮遊させた。


「茨木に嫌われちゃったんだ……」

「は? 喧嘩でもしたのか?」

「してないよ……――なんというかね、頑張って、僕は茨木が望む通りの人間になろうと思ったんだ。何とかこれ以上嫌われないようにして、別れないでもらおうと思って」


 つらつらと僕が言うと、首を傾げながら、ギルが腕を組んだ。


「よく分からんが……自分を偽って、相手に合わせて行動する恋愛って辛くないか?」

「だけど別れたくない。茨木が好きだから」

「俺にしてみれば? 俺と付き合う?」

「それはない」

「即答かよ!」


 ギルが冗談めかして声を上げたのと、扉の鍵が回ったのは、ほぼ同時だった。扉の方が少し早かったかもしれない。音に気づいて僕はそちらを見た。すると――いつも以上に冷たい瞳をしている茨木がそこに立っていた。さながら絶対零度の瞳である。蔑むように茨木が僕を見た。思わず泣きそうになって、僕は俯く。その時、ギルが茨木に声をかけた。


「なぁ茨木、お前なんか機嫌悪くないか?」

「それはギルベルト様が面白くない冗談を仰ったからです」

「わ、悪かったって。いや、そうじゃなくて、俺が来る前からずっと。この前、世界貴族使用人連盟の会合でお前に会ったって享が言ってたけど、その時も機嫌が最悪だったって聴いてる」


 ギルの言葉に、茨木が眉を顰めた。そして改めて僕を一瞥した。


「――最近、私の恋人が頭の悪い行動しかしないからですね」

「ああ、お前はバカが嫌いだもんな」


 悪気は無いのだろうが、ギルがそんな事を言った。今度こそ僕の涙腺は崩壊一歩手前となった。そんな僕に気づいた様子で、慌てたようにギルが茨木に対して続ける。


「例えばどんな?」

「――恐る恐る近づいてきて、恐る恐る話しかけてきて、何かと私を遠巻きにしておられますよ」


 ――ん?

 僕は茨木の言葉に、思わず叫んだ。


「全部茨木の希望通りじゃないか!」

「「え?」」


 すると二人の声が揃った。だけど僕からしたら、不条理だ。茨木の希望通りの行動をしたのに、それを頭が悪いと言われたら……どうして良いのか分からないではないか……もしかして、僕が何をしても、茨木は頭にくるのだろうか? そんなに僕の事が嫌いなのだろうか?


 僕が震えていると、ギルが少し考えるような顔をした後――吹き出した。


「へぇ。なるほど。じゃ、俺は帰る。またな! 夫婦喧嘩は犬も食わぬって言うしな」


 そのままギルの姿が消えた。僕が呆然としていると、茨木が僕の前まで歩み寄ってきた。そして腕を組む。


「私の希望通りとは、どういう意味でしょうか?」

「う……あ、あの……」

「琉唯様、答えて下さい」


 冷たい瞳のままの茨木を見て、僕は意を決した。


「この前、茨木の機嫌が悪い気がして……悪いと思ったんだけど、僕のことをどう思ってるのかなと考えて……心を、その……コスモスで読みました……」

「――それで?」

「茨木は、僕に『近づくな』『話しかけるな』『別れようかな』って思ってた……」


 僕の声に涙が混じった。茨木は息を飲んでいる。


「だから……別れて欲しくなくて、それで僕……」

「お待ち下さい、琉唯様」

「別れたくないです……」

「そもそも私に別れるつもりなど、全くございません」

「だけど……思ってた。フォンスで確認したんだから、嘘じゃないはずだよ……」


 悲しくなりながら僕がそう言うと――茨木が、急に吹き出した。肩を震わせて笑っている。呆気に取られて、僕は顔を上げた。


「違います。その――好きすぎて琉唯様が至近距離にいると緊張して、上手く仕事が進まなかったり、そこまで意識しているわけですので、話しかけられたらこれもやはり緊張というか……すぐにでも押し倒したくなるというか、我ながら情けない事に口からは睦言しか出てこなくなり――これでは使用人失格です。それに――私には敵が多いため、私と共にいれば、いつか琉唯様の身に危険が及ぶこともあるかもしれず、それを考えると琉唯様の安全のためには、別れたほうが良いのだろうかと、内心で考えておりました。ただそれは……非常に心の奥深くで、通常のコスモス能力で、私の思考を読むのは不可能です。私は琉唯様の力を侮っておりました」

「え……? そ、それ、本当に? 僕の事、好きすぎてって、本当に?」

「ええ。勿論です」

「じゃあどうして、最近茨木はピリピリしてたの?」

「――好きな相手に避けられて、言葉を最低限しかかけられなかったら、機嫌も悪くなると思いますが。まさか私の心を読んでいるとは思いませんでしたから」


 茨木はそう言うと、僕を抱きしめてくれた。

 こうして――僕達は、仲直り(?)したのである。




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