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ありえない方向から社会復帰した。  作者: 水鳴諒(猫宮乾)
――第六章(大蛇)――
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■25:茨木の部屋



 体を重ねた後は、目を覚ますといつも茨木が隣にいた。朝までぐっすりと僕は眠るのだが、起きると必ず隣にいた。だから今夜、どうして僕の目が覚めたのかは分からなかったが――午前三時五十分過ぎ、時計の音を聞きながら双眸を開けると、隣には茨木の姿が無かった。ゆっくりと体を起こしながら、暗い室内を見る。気配は無い。なんだか無性に不安にかられて、僕は静かに寝台から降りた。


 考えてみると、これまでの間、僕は茨木の部屋に行った事は無い。だが、フォンスですぐに位置は分かった。邪魔をしないようにと、気配を押し殺して、僕は部屋の前まで行ってみた。そして、気づかれないように、静かに扉を開ける。寝ていたら、起こしては悪いと思ったのだが、きちんと居ることを確認したかったのだ。


 扉の合間から、青白い光が漏れてくる。卓上ライトだ。

 この洋館の中では見た事がない、どこか科学的で事務的な室内――黒いデスクの前に茨木は座っていた。分厚いファイルを開いている。ここから見える横顔は、僕の知らないものに思えた。怜悧な表情に、僕は目を瞠る。


 呟くような声が聞こえてきたのは、その時だった。


「洪水は神の怒りなどではなく、自然災害だ――あるいは、人災か。その中には、F型表現者の手による水害も含まれる」


 僕は息を呑みそうになったから、片手で口を押さえた。

 茨木は、先ほどの僕との話を思い出しているのかもしれない。僕は何も考えずに話していたのだけれど、茨木にとっては違ったのだろうか。確かに話している時も、真剣な瞳をしていた。


「オロチはユメグにより――具現化のフォンスにより、内的世界から外的世界に出現した架空生物の可能性」


 響いた茨木の声に、僕は驚いた。確かに『ユメグ』と聞こえたからだ。

 僕の脳裏で、蛇の声が谺する。


「他者が具現化させた存在を、切断可能な十拳の剣――八岐大蛇の中から出てきた、後の草薙の剣……それらを手にした須佐之男、か」


 茨木が小さく溜息をついたのが分かった。


「フタハシラ46――ヒトの染色体は23。23対46本……箱船由来遺伝子――第一世代の二つの受精卵から生まれた子供――その二人の子供の産みの母親の一人が、日本人。最も血の濃い、最後の第二世代。既に第五世代まで生まれている状況……ただ、前例を振り返る限り、その者は、当然日本人的な容姿となる。そうでなくとも、どこか日本風の子供が多い……受精卵自体にも意味、選ばれた理由があったのか否か――例えばそれが、アダムとイヴや、須佐之男の両親のような」


 難しくて、僕には茨木の独り言の意味がよく分からなかった。


「オロチに対して警鐘を鳴らしているからといって、救世主やその両親の受精卵を保存しておいてくれたとは限らないか」


 そう口にしてから、茨木がタブレットを手に取った。見ていると、どこかに電話をかけている様子で、茨木はじっと画面を見ていた。


『――コースフェルトか?』


 通話が繋がった時、タブレットから声が聞こえた。


「ええ」


 僕は、響いてきた名前と、頷いた茨木に目を見開いた。


『生きていたのか、久しぶりだな。今はどこで何をしているんだ?』

「――ラシード氏のお孫さんと暮らしています」

『っ、箱船の第二世代の?』

「いいえ。戸籍上のお孫さんですよ」


 続いたやりとりに、僕は何故なのか冷や汗をかいてしまった。茨木が一緒に暮らしているのは、僕と、この館の使用人達だ。使用人の家族構成は分からないが、戸籍上の祖父――血の繋がらない祖父がいる人間というのは、そう多くはないと思う。だけど僕は、亡くなった祖父と、戸籍上の関係しかない。だが――祖父の名前は、ラシード氏ではないし、コースフェルトもラシード氏も、僕が最近知った名前だ。


『観察研究か。けど、戸籍上って……その孫は何歳だ? ラシード氏は、もう何年も前に――……生きていたのか?』

「ええ。最後の第二世代の観察研究をなさっておいででしたよ。ご自身の手で。その後、こちらでも亡くなられましたが、本当に没されたのか、私には分かりません」

『ふぅん。それで? 今のお前の研究対象は、何か面白味があるのか?』


 研究という言葉に、僕は凍りつきそうになった。

 これが僕の話だとしたならば――茨木は、僕を観察して、研究しているのだろうか?


「……恋愛転移するには十分な程度に」

『また古い概念を持ち出してきたな。お前、フロイト派だっけ?』

「いいえ。普通の恋だと確信していますから」


 不安が、続いた茨木の声で一気に霧散した。僕は倒れ込みそうになったが、必死でこらえて、中の様子を伺う。タブレットからは相変わらず声が漏れている。


『お前が僕に恋愛相談のために、夜中に連絡を……二十年ぶりにしてくるとは、とても思えない――用件は何だ?』

「宋伯爵、貴方の曽祖父様が参加された箱船の発掘時、何か剣のようなものは、存在しませんでしたか?」

『――曽祖父の記憶をサイコメトリックした限り、あの遺跡の形状自体が、船というよりは、剣だった。他には……僕には思い当たるものは無い。父ならば何か知っているかもしれないが、父については僕よりも凛が詳しいだろう』


 凛の名前に僕は首を傾げた。そうしながら、今更になって――盗み聞きをしてしまっている事に気がついた。


「宋大佐はお元気ですか?」

『さぁな。僕はもう何年も研究室から出ていない』

「――日本では、貴方の名前で世界貴族が介入しているそうですが」

『好きにさせておけばいい。僕には関係が無い事だ』

「そうですか。それでは、またご連絡させて頂きます」

『ああ。たまには、顔を見せてくれ。今は、なんて名乗っているんだ?』

「茨木、と」

『覚えておく。じゃあまたな』


 そんなやりとりが終わってから、茨木がタブレットに触れた。通話が終わったのが分かる。僕は声をかけるか迷った。聞きたいこともあったからだ。例えば、茨木はコースフェルトという名前なのかだとか、僕の祖父はラシード氏だったのか、だとか。逡巡していると――茨木が回転椅子を回して、振り返った。思わず息を飲む。


「おはようございます、琉唯様」

「あ……ご、ごめん……」

「何に対してです?」

「盗み聞きを――……そういうつもりじゃなかったんだけど……その」

「私の好意を疑った事について詫びて下さい」

「え?」

「あんまりにも不安そうな感情を感知したので、そこで私は、琉唯様がいらっしゃっている事に気がつきました。がらでもなく、恋愛について口に出してしまったのは、それが原因です」


 茨木はそう言うと、少しだけ苦笑するように、だかどこか楽しそうに僕を見た。

 恥ずかしくなって、僕は顔を背ける。


「じゃあ……疑う要素が無いようにしてよ」

「――かしこまりました」


 それから朝までの間、僕は茨木と話をしていた。だけどその内容は、僕のどこが好きかだとか、僕が茨木のどこを好きだとか、そういった話だったから、僕はいつしか聞きたいことを忘れてしまった。決して濁されたわけではなくて、質問したならば茨木は答えてくれただろうと思ったが、僕はこの時は、何も聞かなかった。






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