猿以下
この地まで乗って来たセスナ機のパイロットに教えられた、宿を兼ねる食堂のドアを開ける。
中に入ると正面にカウンターがあり、カウンターの内側に立っていた金無垢なのかメッキなのか知らんが、ヘソの下あたりまである金色の長いチェーンのようなネックレスを首に数本掛けた男が声を掛けてきた。
「いらっしゃい。
泊まりですか? それとも食事ですか?」
「2週間程世話になりたい」
「うちは朝夕の2食付きで一泊20万ほどになりますが宜しいですか?」
「え! 高くないか?」
首都圏の高級ホテル以上の料金を伝えられ、思わず疑問を口にする。
「この料金に不満なら今の時期はお勧めしませんが、キャンプして自炊されたらいかがですか。
もっともその方が高くつくでしょうけど」
「どういう事だ?」
「料金の大半は食事代です。
主要な小麦や野菜の大半が飛行機で山の向こうから運ばれて来るのでね。
それでも村に一軒だけある食料品店は、うちを含む村の者には採算ギリギリの値段で売ってくれます。
ですが、余所者にはそんな気遣いなどせずにボッタクリ価格で販売するからですよ。
で、どうします?」
「泊まらせて貰うよ」
「料金は前払いの現金でお願いします。
それでですね、朝食は午前の7時から9時の間、夕食は午後の6時から9時の間に食べに来てください。
その時間を過ぎたら食べないものとして処理しますんで。
あと昼食の弁当が必要な時は前日の夜8時までに言って貰えれば、翌朝の7時までに用意します。
それから、もうすぐお昼ですが昼食はどうしますか?」
「貰おう」
「じゃ、お好きなテーブルに付いて待っていてください」
そう言い残し男はカウンターの奥の厨房に入って行く。
私は南の方角にある山脈が見える窓際のテーブルの席に腰を下ろす。
10数分ほどで料理が運ばれて来る。
クリームシチューとパンに少量のサラダ、それにマグカップに入った紅茶がお盆に乗せられていた。
湯気が立つクリームシチューを口に運ぶ、美味い。
でもこの肉は何の肉だろう? ハンターとして狩った獲物の色々な野生動物の肉を食べた事があるが、今迄に食べた事の無い食感だ。
「この肉は何の肉だい?」
カウンターの内側でグラスを磨き始めた男に質問する。
「それは猿です」
「こんな極寒の地に猿が生息しているのか?」
男は窓から見える山脈を指差しながら話す。
「生息はしていません。
私は山の向こう側に行った事が無いのでお客さんの方が詳しいでしょうけど、山脈の南側に生息している猿のグループが冬の終わりから春先に、人跡未踏と言われるあの山脈を越えてやって来るのです。
群れから追い出されたのか、好奇心が旺盛だったのか、冒険心が有り余っていたのかは知りませんがね。
それでやって来た猿たちは短い夏からさらに短い秋まではこの世の春を謳歌します。
この地には肉食の敵はいても他の猿のグループはいませんからね。
しかし厳しい冬に太刀打ち出来ずに縮こまっているところを、村のハンターに捕獲されるって訳です。
ところでお客さんが此の極寒の地を訪れたのはハンティングが目的ですか?」
「そうだ、ハンター仲間からこの地の森林に生息する狼はドデカイと聞いてね」
「確かにデカイ狼が生息してますが、村の者が狼に襲われるって事は無いので互いに干渉せずに生活してます。
だけどお客さんのように狼にチョッカイを出して反撃されたのか、山の向こう側からハンティングに来て行方不明になる人が毎年出るんで、気をつけてください」
いた! 村に来て5日目の昼過ぎドデカイ狼を遂に見つけた。
ライフルを構えスコープを覗き狼に狙いを定める。
と、狼も此方に気がつく。
ライフル銃を撃とうとした瞬間、狼が高く飛び上がった。
な、何だこの狼は? 猿のように木の上を飛び跳ねて近寄って来る。
木々の間に見え隠れする狼に向け発砲、外れた、ボルトを操作しようとしたその時、狼が目の前に飛び降りて来て両腕を掴まれた。
両腕を掴んだのは狼じゃ無い……じ、人狼だ…………。
首に金色のチェーンのようなネックレスを何本も巻いている。
宿の男?
答えは人狼から発せられた。
「年貢の納め時ですよお客さん。
しかしあんたら人間は馬鹿だな。
猿は此の地がどれほど過酷か知らず無知だからやって来る。
だがあんたら人間は俺たち人狼を迫害して此の過酷な極寒の地に、遙か昔追放した癖にそれを忘れてやって来るんだからな。
猿以下としか言いようが無いよ。
じゃお客さん、サヨナラだ」
そう人狼は言うと私の頸動脈を喰い千切った。
私の意識はそこで途絶えた…………。