正義002・悪党
それから数分後。
無事に宿らしき建物が見つかった。
受付で一泊分の料金を尋ね、ポケットの中のコインを取り出す。
コインには銅貨の他に数枚の銀貨が混ざっていて、受付の女性によると銀貨1枚で銅貨10枚分の価値があるようだ。
幸い、ポケット内のコインは宿泊代を差し引いてもあり余り、数日分の生活費にはなると女性から言われた。
(やっぱり餞別のコインだったのかな)
エスはそう思いつつ、女性にいろいろと尋ねてみる。
親切に答えてくれた彼女のおかげで、ある程度状況を把握できた。
「……新しい舞台かぁ」
借りた部屋のベッドに座り、窓から通りを見下ろすエス。
最初から予想はついていたが、女性の話を聞いて確信した。
ここは以前と異なる〝舞台〟――町や国というレベルではなく、おそらくは世界レベルで別の場所だ。
エスが今いる場所はメネウス王国と呼ばれる国にある、ロズベリーと呼ばれる町とのこと。
全く聞き覚えのない国だったし、周りにあるという国々も知らない名前ばかりだった。
「そもそも〝空気〟から別物だもんね」
世界を満たす空気と、そこに含まれているエネルギー。
神経を研ぎ澄ませてみれば、その本質的な違いも感じ取れる。
世界という舞台そのものが違うのだから、当然そこに住んでいる人達も違う。
通りを歩く人々を眺めていると、稀に知らない種族が混ざっているのだ。
獣の耳と尻尾が生えた者。
皮膚の一部が鱗に覆われた者。
身長が低く耳が尖った者。
以前の舞台にも人間以外の〝悪魔〟が存在したが、この世界ではより多様な種族が存在するようだ。
(そういえば、俺の種族は何なんだろ? 人間でいいのかな?)
エスはふと疑問に思う。
自分の顔については、部屋に置いていた丸鏡で確認済みだ。
燃えるような赤髪と虹彩異色はたしかに派手かもしれないが、見たところ普通の人間に見える。
どちらかと言えば、内的な側面のほうが問題だった。
世界そのものが違うだけあり、人々が利用するエネルギーも違うようなのだ。
この世界のエネルギーは魔力と呼ばれていて、受付の女性によると全ての人が大なり小なり魔力を使える。
また、あまり理解はできていないが、全ての人には職業と呼ばれる力が備わっているらしい。
神様が与えてくれる力だそうで、教会での洗礼によって発現するようだ。
だが、他の舞台から来たエスは違う。
空気中に漂う魔力らしきものは感じ取れるが使える様子はないし、洗礼で職業も授かっていない。
エスがこれまで使っていたのは、魔力ではなく正義力だ。
正義力――書いて字の如く正義の力。
その力はエスの心臓を起点に発生し、正義の心が刺激されるほど増大する。
今も心臓に渦巻く力を感じ取れるので、この舞台でも普通に使えるはずだ。
そうした内的な側面を考えると、ただの人間とは違う唯一の種族なのかもしれない。
「……難しいことはどうでもいっか! 問題はそこじゃないもんね」
エスはそう言うとベッドから立ち上がる。
大事なのは小難しいことではない。
エスがこれからどのように生きていくかなのだ。
この先の行動と結果は自らの意思によって決まる。
以前のエスには今のような明確な自我がなく、目には見えない〝大いなる力〟に従っていた。
自分が次に何をするのか、どこへ向かうかは既に決まっており、そこに一切の自由はなかった。
無論、エスがその背景を知ることはないが、生まれて初めて与えられた自由は不思議な感覚として表れていた。
(俺は……何をすれば…………?)
何か行動を起こすべく宿をあとにしたエスは、そんな思いを抱えて通りを歩く。
以前の舞台とは違い、この世界には悪魔はいない。
エスは正義の存在であり、悪の存在である悪魔を倒すことこそが全てだった。
(正義……そうだ、正義だ……!)
エスは顔を上げて笑う。
正義の存在――その本質は舞台が違えども変わらない。
「悪い奴らをぶっ飛ばす……!」
シンプルで分かりやすい目的だ。
正義の心がメラメラと燃え、正義力が渦巻く胸に手を当てながら、エスは揚々と呟く。
自由に対する困惑は既に消えていた。
(この世界にだって悪い奴らはきっといる! 正義力が消えていないのがその証拠だ……!)
そうと決まれば即行動、悪い奴らを探しに行こうと角を曲がった時――通りの前方で爆発が起きる。
「ゴホッ! ゴホッ! ……待ちなさいっ!!!!」
「ケホッ……大人しく捕まってぇー!」
「馬鹿が! 捕まると思うか?」
エスが見たのは、逃走中の一人の男とそれを追う二人の女性。
突然の事態に周囲の人々は困惑し、中には悲鳴を上げる人もいる。
こちらへ走ってくる男を見て、エスの心臓がドクリと脈打った。
「見つけた…………悪い奴……!」