第一話「不可避の破滅エンド」
わたし、ルベーリア・オズボーンは生贄として捧げられることになった。
オズボーン伯爵の娘として生まれて十七年。何不自由なく暮らしてきた人生が、終わろうとしている。
父であるオズボーン伯爵は吸血鬼崇拝者で、吸血鬼一族と噂されるインバーテッド公爵家の協力者だった。
事実、インバーテッド公爵家の者たちは吸血鬼で、ある目的のために活動していた。
それは黒の王と呼ばれる存在の復活だ。
アルバート・インバーテッド。かつて吸血鬼の王として恐れられたが、聖女によって封印された伝説の存在だという。
わたしが生贄として捧げられるのは、黒の王を復活させるため。伝説の吸血鬼を目覚めさせるには、闇属性の魔力が大量に必要らしい。わたし、ルベーリア・オズボーンが持つ魔力の属性は闇。そういう理由で、わたしは生贄の一人として選ばれてしまった。
インバーテッド公爵家の屋敷内。薄暗い大広間で、黒の王を復活させるための儀式は始まった。司祭を名乗る人物の手によって生贄たちの血、正確にはそこに宿る魔力が、棺に眠る吸血鬼の王へと捧げられていく。
信じられないことだが生贄たちは全員、望んでその命を捧げているのだ。
もちろん、わたしもそうだった。……ついさっきまでは。
たぶんだけれど、わたしを含めた全員が、インバーテッド家の吸血鬼に精神を操られているのだと思う。中には心から望んだ人もいるかもしれないけど。
生贄になる順番を待っている間に、わたしの精神操作は解けてしまった。
司祭を名乗る人物が生贄たちの首を次々と……その凄惨な光景がショックだったのかもしれない。そして、わたしに起きた変化はそれだけじゃなかった。
わたしは、ある記憶を取り戻していた。簡単に言うと、前世の記憶というやつだ。
前世のわたしが暮らしていたのは、こことは違う世界。日本という国だった。
そこでのわたしは伯爵令嬢なんかじゃなくて、平凡なOL。あるとき事故に遭い、そしてこの世界にルベーリアとして生まれ変わったのだ。
そんな前世の記憶を思い出したわたしは、ある重大な事実に気がついた。
この世界……前世でわたしがプレイしていた乙女ゲームにそっくりじゃない?
わたしは前世でオタクだった。漫画やアニメ、ゲームなどなど、色々な物に手を出していた。中でも一番に好きだったのがゲーム。ジャンルは主にロールプレイングと……乙女ゲームをよく遊んでいた。
わたしが事故に遭う前日まで遊んでいた乙女ゲームは、『サント・ブランシュ~黒の王と白き聖女~』というタイトルだった。
魔法学校を主な舞台とした、剣と魔法のファンタジー物だ。
主人公は平民ながらに珍しい光属性の高い魔力を持つ少女で、物語は彼女が魔法学校に入学するところから始まる。
そして魔法学校で攻略対象たちと恋愛を繰り広げていくことになるわけだが……この乙女ゲーム、どのルートでも主人公や攻略対象の前に立ち塞がる『敵』が存在する。
インバーテッド公爵家。吸血鬼の一族だ。
ルートによって経緯は色々だけど、とにかく主人公たちはインバーテッド家の吸血鬼と戦うことになる。
物語の終盤、主人公はかつて黒の王を封印した聖女の生まれ変わりである事実が判明して……復活した黒の王を再び封印するためにインバーテッド家の屋敷に乗り込む。
そして主人公は攻略対象や仲間たちと吸血鬼を屋敷ごと封印するのだ。
わたしが生まれ変わった『ルベーリア・オズボーン』は、そんな『サント・ブランシュ~黒の王と白き聖女~』に出てくるキャラクターの一人だ。
役どころは……主人公のライバル。
主人公と同じ魔法学校に通う貴族のご令嬢。プライドが高くて我が儘。
平民なのに稀少な光属性の魔力を持ち、さらには高い才能もある主人公に最初っから敵意を剥き出しにして、とにかく突っかかる。
主人公と攻略対象の恋路を全力で邪魔する悪役令嬢……それがルベーリアだ。
で、このルベーリアは、どのルートでも同じ結末を迎える。
黒の王復活の生贄にされて死亡。それがルベーリアに用意された終わり。
つまり……わたしがこれから辿る道だ。
「いやいやいや」
わたしは思わず小声でそう囁いた。
ちょっと待って。こんな死亡の直前で記憶を取り戻すとか酷すぎない?
これじゃ破滅エンドを回避するとか普通に無理でしょ。
……本当に無理、なのかな?
生贄の列は、わたしの順番が回ってくるまで少しある。今のうちになんとか逃げ出せば助かるかもしれない。
でもなぁ……ルベーリアも一応、魔法学校の生徒だ。
だけど、はっきり言って魔法の腕はいまいち。
この世界が本当にゲーム通りなら、屋敷にはインバーテッド家の吸血鬼がいるはず。
なんとかこの大広間から逃げおおせたとしても、吸血鬼に見つかったら終わりだ。
うーん……前世の記憶を取り戻したことでルベーリアに……わたしに特別な力が目覚めていたりしないだろうか。……まあ、そんな都合のいいことないよね。
わたしの記憶が正しければ、もうすぐ黒の王が復活してしまう。
すべての生贄が捧げられるよりも前に、黒の王は蘇ってしまうのだ。ルベーリアの正確な死因は、復活した黒の王に血を吸われ尽くして……という訳だ。
なんてことだろう。
前世では事故で死に、生まれ変わってもこんな悲惨な結末を迎えるなんて。
次に生まれ変わるなら、もっとマシな運命を用意して欲しい。
ああ、そんなことを考えている間にも、棺の蓋が開こうとしている。
司祭が次の生贄を捧げようとしたとき、大きな音を立てながら棺の蓋が開いた。
ゆっくりと、中に眠っていた男の身体が直立する。
整ったオールバックの髪に、青白い肌。黒いマント姿をした、まさに『吸血鬼』って感じの男だ。
「お、おお……」
司祭が感極まったような声を出した。
「我らが王……つい……」
そこで、司祭の言葉は途切れた。
黒の王が素手で司祭を殴り飛ばしたからだ。
司祭の身体は屋敷の壁に穴を開け、そのまま外へと飛び出していった。
大広間は騒然となる。黒の王が次々と生贄たちを襲う。
そして。
ついに、わたしの眼前へと迫った。
血のように赤い瞳が、わたしを睨めつける。
――怖い。動けない。
黒の王がわたしの首筋に顔を近づけて――
「ガァァァァァァァァァァァァッ!」
苦しげな呻き声を上げた。
なに? なにが起こったの?
黒の王は忌々しげにわたしを突き飛ばした。
「きゃっ!」
わたしは強かに腰を床に打ち付ける。
黒の王は意味を要さない声を発しながら、壁にできた穴から飛び去っていった。
「……ど、どうなってるの?」
こんな展開、ゲームにはなかった。少なくとも、わたしは知らない。
でも……助かった?
「ううん……まだよ」
わたしは、自分に言い聞かせるように呟く。
とりあえず復活した黒の王に殺されずには済んだけれど、それだけ。まだ完全に危険が去った訳じゃない。
周囲に転がる生贄たちの亡骸をなるべく直視しないよう、わたしは立ち上がる。
早く、この屋敷から逃げ出さないと。
吸血鬼も怖いけど、もっと怖いのは『サント・ブランシュ』の主人公だ。
復活した黒の王……というか、吸血鬼一族インバーテッド家を、この屋敷ごと封印しにやって来るはずだから。
このまま屋敷にいたら、わたしも巻き込まれてしまう。せっかく助かったのに、封印されちゃうとか悲しすぎる。
だから、とにかく屋敷から離れなきゃ。『サント・ブランシュ』の主人公たちが、いつやって来るかわからない。もう訪れている可能性だってある。
「ゲームだと、どんな展開だっけ……」
……いや、ルートによって微妙に違うから、記憶は参考にならないか。
そもそも『ルベーリア』が黒の王に殺されていない時点で、もうゲームの記憶は当てにならないような気もするけど……いったい、どういうことなんだろう?
……わたしは小さくかぶりを振る。
今はあれこれ考えている場合じゃないんだった。まずはこの大広間を出よう。
わたしは大広間から廊下に出る扉へと近づく。
そして、おそるおそる扉を開いた。
廊下には誰もいない。しんと静まり返っている。黒の王はどこに行ったんだろう? 逃げる途中で出くわさなきゃいいけど……黒の王だけじゃなくて、他の吸血鬼にも。
わたしはそう願いつつ大広間を出ると、慎重な足取りで廊下を進み始めた。
前世の記憶が蘇ったわたしだけど、この世界でルベーリアとして生きてきた十七年間の記憶もちゃんと保有している。なので、出口までの道は問題ない。迷いなく慎重に、だけどなるべく急いで進んでいく。
やがてわたしは、広い玄関ホールに辿り着いた。屋敷の外までもう一息だ。
さっきから遠くの方で音がしてる。たぶん、戦いの音だと思う。
主人公たちが来て、黒の王や吸血鬼と戦っているのかも。急がないと。
わたしは物陰から周囲を確認する。……誰の姿もない。よし、行こう。屋敷の扉に向かって駆け出す。
「おい、止まれ」
不意に背後から声を掛けられた。心臓が飛び跳ねる。
そのまま走り去ればいいのに、わたしはどうしてだか足を止めてしまう。
背後から声の主が近づいてくる足音。わたしはゆっくりと振り返る。
「あ、貴方は……」
そこにいたのは美しい男性だった。
上質そうな黒いスーツを着た、背の高い美青年だ。
濡れたような艶を伴った黒髪。切れ長で、血みたいに赤い目がわたしを見下ろす。
驚くほど整った、彫刻めいた顔。肌は白く、とても綺麗だ。
年齢は二十代前半ぐらいに見えるけど、本当はもっとずっと長く生きているはず。
そう、わたしは目の前に現れた彼を知っている。
この美青年も、『サント・ブランシュ』のキャラクターだからだ。
名前はクロウ・インバーテッド。
インバーテッド家の長男……つまり黒の王アルバートの息子で、もちろん吸血鬼だ。
ゲームでは主人公たちの敵として登場する。
その目的は父親……黒の王を復活させること。
最終的には彼も屋敷ごと主人公によって封印されちゃうんだけど……その美しい見た目などから、敵なのに人気の高いキャラクターだった。『なぜ攻略対象じゃないのか』という声が多数あったほどだ。まぁ、わたしはさほど好きじゃなかったけれど。
「お前……その格好、父上の生贄に呼ばれた人間だな?」
その格好……わたしは今、生贄全員が着せられていた、フード付きの黒いローブを身に纏っている。たぶん、クロウにこちらの顔は見えていないはず。
「こんな所でなにをやってる? ……いや、それより父上になにがあった? 儀式はどうなったんだ? なぜ生贄になるはずのお前が生きている?」
クロウがわたしに詰問してくる。
「そ、それは……」
どうしよう……ありのまま答える? それとも逃走を試みる?
……ううん、逃げるのは無理だ。クロウは吸血鬼。とても強い力を持っている。
逃げ出したところで、すぐに捕まる未来しか想像できない。
でも、このままここで彼と話していたら……主人公によって封印されてしまう。
とにかく逃げないと。こうなったら、クロウにも状況をわかってもらうしかない。
「い、今は時間がないんです! ここにいたら、わたしも貴方も封印されちゃう!」
「は? なに訳のわからないことを……いや、封印……まさか、あの女に……?」
あの女というのは『サント・ブランシュ』の主人公だろう。
「おい、お前」
クロウがわたしの手首を掴んで、自分の方へと引き寄せる。
その拍子にわたしがかぶっていたフードが脱げた。
露わになったわたしの顔を見て、クロウが微かに目を見開く。
なんだろう、この反応は。
いや、今はそんなことを気にしている場合じゃない。
「あ、あの……」
わたしが口を開いたそのときだった。
どん――と、突き上げるような揺れを全身に感じた。
それから地響きと共に、屋敷全体が激しく振動する。
「な、なにこれ……もしかして……」
「ちっ……聖女の封印魔法だ」
忌々しげに、クロウはそう口にする。
ああ、やっぱり。聖女……主人公が封印魔法を使ったんだ。
「は、早く屋敷の外へ!」
「もう遅い」
焦るわたしとは対照的に、クロウは諦観しきった声色で告げた。
「もう封印魔法は発動した。今さら屋敷の外に出たとこで、どうにもならない。じきに、俺たちも眠りにつく」
間に合わなかった。もう少しで屋敷の外に出られたのに……クロウが出てくるから。
「……そうよ」
「ん?」
「貴方がわたしを呼び止めたりするから!」
なんだか無性に腹が立ったわたしは、クロウに詰め寄る。
吸血鬼は怖いけど、どうせ封印されちゃうんだから関係ない。
「なんだそれは……だいたい、お前は自分の意思でこの屋敷に来たんだろう。自業自得だ」
「自分の意思? 違うわ、貴方たち吸血鬼が精神を操作して連れて来たんじゃない!」
「は? 俺はそんな指示を出した覚えは……な……」
クロウの言葉が途切れる。わたしの手首を握っていた彼の手が緩み、離れた。
「ちょ、ちょっと……?」
クロウが床に膝を突く。そのまま、彼はうつぶせに倒れ伏してしまった。
「あ……」
全身から力が抜けていく感覚に襲われ、わたしも床にくずおれる。
ああ……結局、破滅エンドからは逃れられなかった。
そりゃそうだよ。前世の記憶を取り戻すのがギリギリすぎる。
本当、次に生まれ変わるなら、もっとマシな運命にして欲しい。
あ、でも封印されるってことは死ぬわけじゃないから……転生もナシかも?
そうだとしたら酷すぎじゃない?
本当……恨むよ、神様……
なんてことを考えながら、わたしの意識は遠のいていく――