帰宅(おまけつき)
ゴトリ、と何かに身体がぶつかる。
「うっ……?」
混濁していた意識が戻っていく。
最初に感じたのは全身に渡る硬い石の感触。
どうやら僕は床に倒れ込んでいるらしかった。
未だに判然としないまぶたを無理やり開けて周囲を見渡す。
霧がかったようにもやが取り囲んでいて視界がほぼゼロだった。
「どこだ……? ここは……?」
もやの向こう側がざわざわと騒がしい。
僕は段々と意識がハッキリとしてくる。
それに伴いもやの向こう側の喧騒がようやく聞き取れるようになっていた。
「何これ! 本当に成功したんでしょうね!?」
怒声とまでは行かないものの、苛立ったような、だけれども聞き惚れるような美しい声が木霊する。少女のようだった。
「ま、間違いなく成功しています! このマナフィールドもすぐに晴れるはずなので……」
次は中年程の男の声が聞こえた。弁解するように慌てているが、自信なさげに言葉尻がしぼんでいる。
「――しかし……何という濃密なマナなのだ……可視化出来る程とは……」
彼等? の話している言葉は理解できる。日本語を話しているようだ。ただし、言葉は理解できてもその意味は全く判然としない。
マナ? なんだ、ゲームとかでは良く魔力のことをそう呼んでいたけど……。自称女神様とやらも何か言っていたような。
とにかく、硬い床に寝転んだままはごめんだったので、立ち上がった。ちょっとふらついたが、問題なく身体は動くようだった。
僕はその時、ここに落とされる直前の記憶がフラッシュバックした。確か、自称女神様とやらと話していて、それでこの異世界に落とされたはず……。
異世界? ここが、本当にそうなんだろうか? 僕は自分が妄想、もしくは夢でも見ているのではないかと疑った。
「見て! 誰かマナフィールドの向こう側にいるわ!」
『おおぉ……』
少女? の声に大きなどよめきが生まれた。それと同時に、あれだけ濃厚だったもやがさあっと引いていくのが見えた。どこかへと消え去ったもやの代わりに、僕は自分の立っている場所を確認して……更なる混乱の極地にあった。
「えっ?」
「はっ?」
前者は僕の声、後者は目の前の少女のもの。僕には今の状況が全く理解出来なかった。何しろ、ここは絶対に僕の部屋などではなく、何かの神殿を思わせる広大な石造りの建物で。
僕の眼前にいたのは見たこともない真っ赤な髪をした同年代くらいの美少女だったからだ。これも見たこともない衣装を着ていて、まるで中世ヨーロッパのような格好だ。それと一目で高級そうだというのが解る。いわゆる貴族……っぽい?
「く、黒髪に黒目……!?」
一方で少女は僕の容姿に驚愕したように目を見開いて、わなわなと震えている。目の前の少女に釘付けになっていたが、落ち着いて見渡せば、周囲には宗教的な修道服のようなものを来た人々が大勢いて、みな一様に少女と同じ反応を示していた。
「……ここは一体どこなんだ!?」
僕が少女に問いただすと、少女は我に帰ったようにはっとして、先程までの動揺を押し隠すように凛とした態度で返答した。
「ようこそ、異世界の勇者よ! ここはあなたがいた世界とは違う世界……私達はヴァールスと呼んでいる世界よ。そしてあなたこそが選ばれし異世界の勇者! しかも黒髪黒目だなんて、まるで伝説の再来だわ!」
少女が興奮したように紅潮した頬で一気にまくし立てるが、僕には言っていることの意味が全く理解できなかった。いや、本当はうっすらと感じ取っている。僕は、ラノベなどにありがちな異世界召喚をされてしまったのだと。主犯はあの女神に違いない。
やらかしてしまったかもしれない。
「さあ、伝説の勇者よ! ヴァールスの勇者であるこの私、リア・テレシーと共に復活した魔王を倒しに行きましょう!」
「普通に嫌なので他を当たって下さい」
「えっ」
「えっ?」
少女はうーんと考え込むような仕草をして、近くの修道服さんに話しかける。
「私、何か異世界の言葉を言い間違えたのかしら? 聞き間違えたのかしら?」
「いえ、意味は双方共に通じているようですが……」
困惑したような修道服さんの同意を得られて、うんうんと納得したような少女――リアは、仕切り直しとばかりに先程と同じポーズを取った。
「さあ、伝説の勇者よ! ヴァールスの勇者であるこの私、リア・テレシーと共に復活した魔王を倒しに行きましょう!」
「人違いです、僕は勇者なんかじゃないんで、それじゃ」
僕は思った。強烈に。
帰りたい、自分の家に、世界に帰りたいと。すると――。
「な、何このマナ反応は!?」
「わっ、何だ!? 僕の体が光ってる!?」
「ちょっとどういう事なの!? 誰か説明して!」
「我々にも未知の事象です、リア様、お気をつけ下さい!」
周囲の修道服さん達もあたふたと慌てていたが、一番驚いているのは他ならぬ僕自身だ。
「どんどん光が強く――うわっ!?」
直後、爆発したような光とともに僕の全身から一条の光が天を穿ち、僕の体は異世界ヴァールスから完全に姿を消した。
「つっ……ここは……僕の部屋???」
見渡すと、そこは見慣れた僕の家の僕の部屋だった。さっきまでのは何だったんだ?
……きっと、疲れて夢でも見ていたのだろう。僕はそう思い込んで、後ろ向きにベッドにダイブした。すると――
「ぐえっ!」
カエルが潰されたような声が上がった。それと背中越しに感じ柔らかな感触。僕は、恐る恐る背後を振り返り、開いた口が塞がらなかった。
そこには、先程異世界人を称して僕を冒険へと誘った美少女、リアと名乗った彼女がいたのだから。
次回は17時更新です。