ある日突然呼び出され
よろしくお願いします。
――声が聞こえる。心落ち着かせるような、とても心地の良い声。しかし、その声音は心地よさを台無しにしてしまうほど切迫しているようだった。
「……さん。カガ……ヤ……さん」
必死に呼びかけてくる声。僕は、一体どうしてこんな声が聞こえるのか疑問に感じた。目を開ける。今まで閉じていた、という事実に気付かぬままに。
「マサヤさん。カガリ・マサヤさん」
「誰……? 僕を呼ぶのは」
声を出して驚く。自分の声だけははっきりとした言葉として、空間に響き渡っていた。
そう、“空間”だ。ここは、上下左右も定かではない、果てしなく白いもやのようなものが全天を覆う不思議な空間だった。光源は見えないのに、この世界は光に満ち溢れていた。自分の格好を思わず確認する。それは、僕がいつも寝ている時にきているシャツにハーフパンツというスタイルだった。
「聞こえますか、私の声が――」
「あー、えっと……」
その声は、この空間全体から響き渡るような女性の声だった。誰かいるのかと、ぐるりと首を回してみても、空間が続くだけで全く人影は見当たらなかった。少し不思議に思いながらも、僕は何故かこの空間と、謎の声に嫌な感じを覚えなかった。
「ってか、聞こえてるでしょう? 全く、人の話をちゃんと聞きましょうって教わりませんでしたか? 全く!」
「えっ、ご、ごめんなさい?」
声の主は立腹したように、若干語気を強める。僕は反射的に謝ってしまう。
「おほん。まあいいでしょう」
仕切り直し、とばかりに咳払いを一つして、改めて彼女? は訴えかけてきた。
「カガリ・マサヤさん。助けてください。世界の危機なのです」
「え? 嫌です」
ピシリ、と空間が固まったような気がした。何とも言えない空気の中、若干震え気味の声の主が問いかけてくる。
「あ、あのう。理由をお伺いしても?」
「いや、だって明らかに怪しいじゃないですか。それにどう考えてもこれって夢でしょ? 僕疲れることは嫌いなんですよね」
「この現代っ子のもやしっこめ!!」
「いきなり口調が変わった!? ってか、も、もやしじゃないし!」
そこは断固として主張したい。僕はもやしじゃない。ちょっぴり運動が苦手なだけなのだ。
そこで声の主は、はあと深々と溜め息をついて、何かを堪えるようにうめく。
「仕方ありません。本当は出る気はなかったんですが……」
「なんですか? 何しようっていうんですか? っていうか僕の夢の分際で生意気ですよ?」
その瞬間、僕の眼前に一際強烈な光が収束していったかと思うと、額に青筋を浮かべた絶世の美女が現れた。銀糸にもにたさらさらの長い髪をたたえ、シンプルな貫頭衣をまとっているがその圧倒的なオーラは、正に神話にうたわれる女神と言って差し支えなかった。ギリシア神話の彫刻のように整った顔、すっと伸びた鼻筋に、切れ長の瞳。たわわな胸部に、本当に内臓が入っているのか疑わしくなるようなくびれ。抜群のプロポーションと言える。
「おお、凄いな僕の願望! こんな美女が出てくるなんて!」
その言葉に、目の前の美女は少しだけ照れたのか、青筋をひっこめたが、すぐに思い出したように眉根を跳ね上げた。
「これはあなたの夢ではありません。現実なのです。私があなたをここへ呼び出したので――」
「家に帰してください」
「食い気味!? ちょっとは何か思う所ないんですか!?」
「ありますよ、もちろん。もし仮にこれが夢じゃなかったとしたら、僕は拉致されたわけですよね?」
「拉致って、人聞きの悪い。ちょこっと空間イジって連れてきただけじゃないですか。っていうか、さっきからあなたはなんなのですか!? それが仮にも女神に対する態度なんですか!」
ぷんすかぷーんと怒ってみせる自称女神様に、僕はそれでも何故か強気に出ていた。
「これはハッキリとした犯罪ですよ。いいんですか? 神様が犯罪とかして」
「何を今更。あなたの世界では神が生贄を欲するなど珍しい話ではないでしょう?」
そう言って満面の笑みを浮かべる女神様に、僕は心底ぞっとした。これはもしかしなくても、茶化していい相手ではないのかもしれない。
「あ、あのう」
「あら、まだ何か文句がおありですか?」
「いえいえ! 滅相もない! なんならおみ足でも舐めましょうか?」
「卑屈!? いきなりの卑屈加減に流石にドン引きです!」
言葉通りに女神様は顔を青ざめさせて僕から距離を取る。
「じょ、冗談ですよ。ハハハ」
「な、なあんだ。本当に人が悪いですね、ははは」
「「ははははは」」
ひとしきり二人で笑いあうと、ぴたりとその顔を真顔にして、女神様は僕のことをまっすぐ見据えた。
「では本題に入ります。カガリ・マサヤさん、世界の危機なのです。あなたをここへ呼んだのは、そのことを伝えるためです」
「世界の危機って……いきなり言われましても。一介の高校生である僕にどうしろっていうんです?」
「そこはほら、チート的な何かをあなたに与えて送り出しますので、ちょちょいっと世界を救ってきてください」
まるでピクニックにでも行くような気軽さで、得意げに指をくるくる回す女神様。
「チート……? ……あの、あんまり聞きたくないんですけど」
「何でも答えますよー、私は心優しい女神ですからねー!」
「ひょっとして、僕が行かされるのっていわゆる異世界ですか?」
「コングラッチュレーション! 大当たりー!!」
どこから取り出したのか、女神様はハンドベルを盛大にカランカランと鳴らして、いつの間にか紙吹雪が周囲に舞っていた。僕は肩や頭にかかった紙吹雪をぱぱっと払うと、女神様に、毅然とした態度で断言する。
「勘弁してください。僕には病弱な妹がいるんです、異世界になんて行ったら誰が妹の面倒を看るんですか!」
「こらーっ! 神様に嘘は通用しないんですよ!? あなたの妹さん、メッチャバリバリに部活動してるじゃないですか! しかもテニス部のエース級じゃないですか!? そんなしょうもない嘘ついてまで行きたくないんですか?」
「当たり前ですよ、誰が好き好んで切った張ったの世界に何か……」
「もう怒りました! あなたには、何のチートか教えてあげません! 精々異世界で苦労することですね!!」
「え!? ちょ、ごめんなさい! 今のは軽いアメリカンジョークです!」
「あなた日本人でしょう!? はい、さようなら! 行ってらしゃーい!!」
女神様が指をくるくるぽいっと下に向けると、眼下に大穴が空いていた。そしてそこには、地球によく似た星が浮いており――。
「うわあああぁぁぁぁ!? 落ちる、落ちるううううぅぅぅぅぅ!?」
完全に涙目になっている僕に、女神様は溜飲が下がったのかひたすら落ちていく僕に向かって笑顔で手をフリフリして見送っていた。
僕は、何か選択を間違ってしまったらしい。生来の天の邪鬼が余計な顔を出したせいでこのざまだ。そしてあまりの高高度からの落下に、僕はあっさりと意識を手放した。
次回は12時更新です。