第3話
ハルシウスは微かに聞こえる風を切る音で目覚めた。大きな欠伸をしながらそちらを見ると、ルミオが槍を自在に振り回している。その小さい身体に見合わない程大きく、一突きするだけで空気を揺らす立派な槍を軽々と扱っている。
「なかなかの腕前じゃのお、ルミオ」
「おはようございます。起こしてしまったのならすみません」
ルミオはハルシウスの方を向いて槍を降し、一息つく。
「そんなこと気にするな。それよりも今日から早速調査開始じゃ。先ずは聞き込みをしながら稼ぐ方法も考えるぞ。もしかしたら遠出になるかもしれぬからな!」
「分かりました。支度を始めますね」
支度を終えると、二人は街の中心に向かった。街は今日も賑やかで、様々な人が行き交う。
「そう言えばルミオよ、この街は色んな人が仲良く住んでるのう。魔人やヒト、獣人もおる」
ハルシウスは思い出して尋ねる。
「そうですね……僕は村を出たことが無いのでたまに村に入ってくる人しか見たことなかったですけど、別に珍しいことでは無いんじゃないでしょうか? 奴隷船の中にも色んな種族の人がいましたよ?」
「成る程のう……」
「そう言えばハルさんは魔人なんですね、全然分かりませんでしたよ」
ハルシウスはうむと頷くが、突然ピタリと止まった。
「そうじゃが何故わかった? わしが言ったかのう」
真剣な顔を見てルミオは驚き、慌てて補足した。
「いえ、昨日のお婆さんが言ってたのを思い出してそうなのかなって思ってただけです。角が無かったり肌の質感が僕たちと同じなので僕には違いが分かりませんでした」
ハルシウスはポケットに手を入れて、歩きながらぶつぶつと呟く。
「そうじゃ、それが正しい反応じゃ。魔人なら普通角や尻尾、何かしら見て分かる身体の特徴がある。ヒトと区別が付かないわしの方が相当レアケースなはずじゃ。だから昔は人界にも潜り込めておった。それなのに何故……」
考えながら歩く内にとある掲示板を見つけた。掲示板には、料亭、清掃、商人の雑用の手伝い等の募集だけでなく、指名手配やニュースについての記事も張り紙がされていた。
「こうして見ると色々と張っているんですね」
「そうじゃな。これを見て街だけでなく、世界中の情報を知るのじゃな。便利になったものじゃ……お、これなぞ恐らく昨日話した紙の箱の一つじゃなかろうか」
そう言ってハルシウスは一つの記事を指差した。
「んーと、『喪失の仮面盗難事件、未だ犯人は見つからず』ですか。大分見つかっていないみたいですがまだ探しているんですね」
「うむ、『付けたものが直接見たことのある者をイメージすれば、顔だけでなく骨格や匂いまで変身できる仮面』とは十分に人智を超えてると思うじゃろう?」
「確かにそうですね。……変身できるなら、この犯人を捕まえるのは難しそうですね」
ルミオは少し背伸びをして、記事を読みながら言った。
「そうじゃなあ。やはり能力が能力だけにのう。それゆえにまだ探しておるのじゃな……そして我々が探すべき区画はここら辺かの」
ハルシウスは少し横にずって依頼のコーナーから探し始めた。以来の数は多く、二人とも暫く眺めていたが、ハルシウスが一枚の貼り紙を破り取った。
「ふむ、これが良いじゃろうな」
「何かいい職業が見つかったんですか?」
ハルシウスが持ち上げて見せると、『森での狩猟の依頼』と大きく書かれていた。
「まあ、職業というより、依頼じゃ。ルミオもそれなりに闘えるようじゃから、狩りが一番手っ取り早かろう。額もこれだけ違う。500ミルじゃと。これは昔の人界の貨幣と一緒じゃな」
ルミオが他の張り紙を見ると、ハルシウスの言う通り他のものは大体10から良くて100ミルと書いてある。
二人は早速紙に書いてあった役所に向かった。役所には同じような依頼に並ぶ人々や仕事の完了を報告する人。中には依頼を受ける為にチームをここで組んでいる人もいた。役員は初めは明るい顔で二人を迎えたが、依頼書を見せると、突然表情が重くなる。そして、ぽつりぽつりと説明を始めた。
「……こちらの依頼は、この街の外れにある森に生息する危険種、新種の狩猟になりますが危険種、新種のことはご存知でしょうか?」
「いや、私達はこの街に来たばかりだから分からぬ。説明をして頂けぬか?」
「そうでしたか。この街やその外れは以前は危険な魔獣など存在せず平和でした。しかし、ここ数年何故か森全体でとても獰猛な魔獣が発見されるようになりました。幸い街までは降りてこないので、今は森へ入らないように注意喚起をして被害を最小限に抑えてますが、既に死者も出ています。しかし、森に私有地を持つ方も居ますし、いつまでも森への立ち入りを規制する訳にも行きません。そのため、こうやって募集をかけました」
「ほうほう。今まではこの依頼を受けたものはおらんかったのか?」
「はい。この街は今まで平和だったので、この様な危険な魔獣を狩れる人はいませんし、傭兵も雇っていませんでした。外から来た人々も、ここは中継地として僅かにしか滞在しない方々が多く、依頼を受けて下さる方はいませんでした」
ハルシウスは表情を変えずに頷く。
「そうか。ならばこの依頼、受けてもよいな?」
役員は驚いた後、ハルシウスを説得する様に続けた。
「私達からしたらとてもありがたい話ですが、危険が伴います、時には命の。その時の責任は負えませんがよろしいでしょうか?」
「うむ、本当に危険を感じたら逃げるから大丈夫じゃ!」
「……わかりました。では是非よろしくお願いします。場所はそちらに載っている通りです」
言われてハルシウスは地図に目を落とす。そして、何かに気づいたのかポツリと呟いた。
「この場所はもしや……」
森へ着くと、ハルシウスは急に鼻をクンクンと嗅ぎながら移動し始めた。ルミオは不思議そうな顔をするが、そのまま黙ってハルシウスについて行った。
暫く奥へと歩くと、先日熊を殺した場所に着いていた。熊を食べ残した死骸はまだ飛び散ったまま残っている。
「これってもしかして……」
ルミオが怪訝そうに見つめるが、ハルシウスは笑顔で胸を叩く。
「恐らくこれのことじゃろうな。そしてこいつをやったのはわしじゃ。じゃから安心しておけ!」
「はい、分かりました……って、そうなんですか⁉」
ルミオは驚くが、ハルシウスは気にせずにそのまま続ける。
「うむ。ということはここら辺にまだ他のやつもいるのかもしれんな。一先ずそれからといこう」
そう言って再び歩き出そうとしたが、急に立ち止まった。
「こんな所に人がいるのか。昨日のやつじゃろうか、怪しいのう。ゆっくり着いてこい、ルミオ」
ハルシウスはルミオの手を引いてゆっくりと進み始めた。
少し歩くと、うっすらと人が見える。二人とも近寄って木陰に隠れて様子を見ていると、昨日の老婆が立っていた。手には包丁を持ち、鹿の魔獣を地面に置いて解体している最中だった。この鹿も皮の全体に大きな縫い目があり、瞳は大きく開いて赤と黒が交わり光っている。肉は変色してブジュブジュと黒い煙が少し浮き上がる。明らかに普通では無い鹿の死体を解体する老婆に、ルミオは固唾を飲む。ハルシウスは表情を変えず冷静に見つめていた。
「そこのものどもよ、出てきなさい」
突然静寂が破られ、ルミオの体はびくりと震えた。額からひやりと汗が流れる。ハルシウスは無言で木陰から姿を現した。
「おお、お主じゃったか。久しぶりじゃの」
老婆はハルシウスを見て安心して包丁を下ろす。
「こちらこそお久しぶりじゃ、おばばさま。しかし何故このような所に?」
「なにを言っとる? ここは私の私有地じゃ。お主らが勝手に入ってきたのじゃぞ」
ハルシウスはほうと頷き、そして尋ねる。
「それはすまなかったのお。……しかしおばばさまよ、いくつか聞きたいことがあるのじゃが」
「よいぞ、なんじゃ?」
ハルシウスは鹿と老婆を交互に見て、ゆっくりと続けた。
「……先ずは、おばばさまはわしが昨日この森に来た時からつけておったな、それは何故じゃ? そしてその様な獰猛な魔獣を作ったのもお主か?」
再び場が静まる。老婆はにこやかな顔のまま尋ねた。
「何故そう思ったのじゃ?」
「おばばさまは昨日わしが魔人だと言ったのう? しかしわしは身なりだけでそれは判断出来ない希少種じゃ。角や長い爪、尻尾に翼の様な魔人特有の特徴は持っておらん。唯一判断するなら魔力じゃ。この森で魔力を込めた辺りからずっと視線を感じておった。あれはお主じゃったな?」
老婆は暫く黙っていたが、突然笑い出した。
「ほっほっほ。気付いていたのか。じゃが惜しかったな——」
ピタリと笑いが止まり、表情が無くなる。
「——わしはワタシではナイから、お主の考えてる悪者では無いと思ウヨ」
突然の老婆の口調に、ルミオだけでなく、ハルシウスもぞくりと背筋が凍る。
「なにを言っておるのじゃ?」
「まあ見てなさい」
そうして、老婆は急に顔いっぱいに爪を立てベリベリと剥がし始めた。大きな傷がつき血は溢れる様に流れ続ける。傷口から溢れ出す異常な量の血しぶきにおばあさんの全身が包まれて見えなくなった。二人はいきなりのことに唖然とする。
暫くして出血がゆっくりとなり、出てきたのは若い女だった。先程の腰を曲げた小さい老婆とは異なり、いつの間にか背は伸び肌のシワも無くなっている。女は右手に何か持っていた。ハルシウスが驚いて指さす。
「……それはまさか、掲示板に張っておった仮面か⁉」
「あー、知ってんのこれ? そうだよ、『喪失の仮面』」
ルミオは頭をくしゃくしゃとした。
「もう駄目です! ハルさんの言うことも、おばあさんの言うことも全然分かりませんよ」
「確かに、わしにもお主が何故おばばさまに変身してこのようなことをしていたのかさっぱり分からぬ。最初から説明してもらえぬか?」
女は少し考えた後、
「んー、別に良いけど黙っといてね。そもそも私がこの街に来たのはね……」
女の話が始まった。