第2話
賑やかな料亭で魔王、奴隷商人の男、ルミオの三人は座っていた。全体的に騒がしい店だが、この三人がいるテーブルだけ無音で周囲の人々がちらちらと見ている。
沈黙を破り、最初に口を開いたのは奴隷商人の男だった。
「いやね、俺もあんたみたいなべっぴんさんならタダであげたい所だが、ウチも商売なんだよ。ここの飯代が限界だ」
魔王は終始苦しそうな顔をしてうめき声を漏らす。
「うぬう。完全に昔の感覚で金のことなど考えておらんかったわ。お主の言い分はもっともじゃが、どうしてもこの少年、ルミオが欲しいのじゃ。」
「……つってもあんた、金無いんだろ?」
「うむ」
魔王はポケットを裏返して空なのを見せた後、両手を上げて溜息をつく。
「しかしな。わしはルミオがどーしても、本当に、欲しいのじゃ」
顔の前で両手を合わせて頼み込みつつ、ウインクをして見せた。
「……あんた今、頼めばなんとかなりそうとか思ってないか?」
男が魔王をじーっと覗き込む。
「そ、そんな事無いぞ! この通りじゃ」
慌てて真剣な顔を作り、頭を下げた。男は暫く凝視していたが、やがてため息をゆいた。
「……まあ気持ちは分かったよ。だけど俺も数日中にはこの街を出て次の商売に向かわなきゃならねえ。ここは俺のホームだ。いつもなら暫く留まってゆっくり楽しんでから次に向かうんだが、今回はたまたま忙しいから長居はできないんだ」
「そうじゃったのか……」
魔王はしょんぼりと肩を下げる。
「本当だからな。それについ数年前に買ったこの街の外れにある森の金を払わなきゃならねえんだ。こっちの事情も理解してくんな」
ルミオはうつむいてたまに二人を横目でチラチラと見ている。
「昔の金すら持っておらん。何か代わりになるものと言えば……これしかないかの」
魔王は腰のベルトに掛けている四つある指輪の一つを取り出そうとするが、途中でピタリと動きを止めた。目線だけを動かして左後ろの賑わいをじっと見る。
「ん、どうしたんだ?」
「いや、なんでもない。お主よ、この街の治安はどうか分かるか?」
魔王の声のトーンの変化に男は首を傾げる。
「ああ、俺もたまにしか寄らねえが一応出身はこの街だ。俺みたいに奴隷商も居るがそれは買い手が居て安全な商売が出来るから成り立っているってことだ。悪くないと思うぜ」
「そうか……。ならよい、視線を感じたのだが気の所為じゃろう!」
そして魔王はまたベルトにかかった指輪の一つに手を付けて外し、机の上に置く。そして、再び両手を合わせて頼み込んだ。
「これをお代の代わりとはいかんか? ちゃんとした質に入れれば高値になるのは間違いないぞ」
「これは指輪か? 確かに綺麗で高いのかもしれないが……」
ちっちっちと得意げな顔で人差し指を振る。
「うむ、しかしそれだけではないぞ。この指輪は天使の取り極めと言ってな、誓いながらこれを指にはめると誓いが破られた時に即死する代物じゃ。勿論一度誓いながら取り付けると二度と外すことは出来ないぞ。しかもなんと、ご覧の通り伸縮自在じゃから腕にも巻けるぞ!!」
指輪に付いた小さなスイッチをカチッと押すと、指輪は大きくなった。男が驚くのを見て、更にニヤニヤしながら魔王は続ける。
「これは人外の力を持つ、所謂『神の箱』じゃ。売れば遊んで暮らすことを保証しよう。こんな代物お主が目にすることは恐らく二度と無いぞ?」
男はほほうと唸り、指輪をじろじろと見ていたが意見を口にする。
「確かにそれが凄いものだってことは分かった。だが本物かはまだ信用できねえ」
「うぐ……」
魔王は再び頭を抱え、苦しそうな顔で尋ねる。
「近くで買い取ってくれるところは無いじゃろうか」
「魔道具の鑑定士は大国の都市に行かないとなかなかいねえからなあ」
男の返事にいよいよ何も返せなくなり黙っていると、どこからか腰の曲がった老婆が話しかけてきた。毛皮をあしらった服装で長い杖をついてゆっくりとやってくる。老婆は空いた席に座り、いきなり提案をしてきた。
「その指輪、買ってやっても良いぞ」
「なぬ、それは本当か⁉ おばばさまどの!」
魔王は机を勢いよく叩いて立ち上がり、目をキラキラさせながら聞いた。
「本当じゃ。話は聞いていたぞ。しかし、そこの男の言う通り指輪の効果は本当か分からん。そこでこの少年を買う値段分までなら払ってやろう。それ以上のお金はよこさん」
男が二人の間に割って入る。
「一ヶ月ぶりだな、婆さん。気のせいか少し痩せたな? なんか雰囲気が変わった気がするぞ」
「なにを言うておる、気のせいじゃろう」
男と老婆は久しぶりの挨拶を交わす。
「ん? 二人は知り合いなのか」
状況が呑み込めずにきょとんとした魔王の質問に男が答えた。
「ああ、さっき言った俺の森を、俺が仕事で居ない間は研究のために貸してやってんだ。確かに婆さんならこれに興味持つかもな」
老婆はその通りだと頷いて続ける。
「これでどうじゃ? 相場通りだと思うが」
老婆は札束をポンと出した。
「おお、確かにこれなら問題ない。しかしいいのか、こんな本物か分からないもんを」
「ほっほっほ、何を言うておる。魔人の禍々しきお宝など滅多に無い機会じゃ。貰っておかねばのう。それに最近お宝集めに凝っててな。目利きには自信がある」
そう言って老婆はジャラジャラと大量のアクセサリーを出した。中には煌びやかな宝石やネックレス、時計もある。
「ほう、これは凄いのお。宝の山じゃ!!」
「そんな趣味あったのかよ、知らなかったぞ」
魔王と男、いつの間にかルミオも見惚れている。老婆はにこにこと三人を見る。
「最近始めたんじゃよ。それでどうじゃ小娘」
「うむ。勿論乗らせて頂こう、その話!」
これを聞いた老婆は魔王に札束を渡し、アクセサリーの山と指輪を懐に入れてすぐに帰って行った。
「よし、これで買えるな。その小僧を」
「ああ、俺も売り切れて嬉しいぜ。余りは手持ちにしな!」
男は気前よく硬貨を数枚残して先に店を出ていった。
テーブルは二人だけになる。魔王はニコニコ顔で優しく尋ねた。
「さて少年! 話を聞かせてもらおうかの。すまぬが、先ず名前はなんといったかの?」
「……ルミオ。ルミオ=レガリアです。僕のことを買ってくれてありがとうございます」
ルミオは少し怯えながら答えた。
「そんなに怖がらずともよい。わしはただお主の親戚の話がちと聞きたいだけじゃ」
うんうんと頷きながら話していると、魔王は何かを思い出したようにハッとなった。
「忘れとったな、わしも名乗らねば。わしはコウ=ミツヅキ=ハルシウスじゃ! ハルと呼んでくれ」
「分かりました。本当に買ってくれてありがとうございました、ハルさん。……それで僕に聞きたいことってなんですか?」
大きな目をぱちぱちとさせて不思議そうに聞いた。
「そうじゃったな。お主の親戚に……まあもしかしたらもうおらんのかもしれんが、勇者と呼ばれ慕われとった者はおらぬか?」
これを聞いてルミオは首を捻るが、暫く考えた後、諦めるように口を開いた。
「すみませんが分かりません。僕の一族は皆で村を作り暮らしていますが、そのような人は聞いたことがありません」
「やっぱりか……」
ハルシウスが頭をうーんと捻る一方で、ルミオはまだ何か言いたげに両手の指同士を合わせてもぞもぞと動かしている。
「なんじゃ、どうかしたのか?」
「い、いえっ! なんでもありません」
気になったハルシウスは更に踏み込む。
「残念そうな顔をしながらそんなことを言うではない。先ずは聞いてやるから遠慮せずに話してみよ」
ルミオは少し黙った後、ゆっくりと話し始めた。
「僕が奴隷として売られたのは今日が初めてだったんです。生まれてから一ヶ月ほど前までは一度も村から出ずに暮らしていました。ここはもちろん、外の事はほとんど知りません」
ここでハルシウスが遮る。
「ということは、もしや故郷の場所がどこら辺なのかも?」
「はい、ここがどこなのかすらも分かっていません」
「お主もか……。実は私も長い眠りについてて最近のことがさっぱりなのじゃよ。幸先良いと思っておったが、これは困ったのう」
ハルシウスは残念そうに溜息をつく。
「そうだったんですか……お力になれなくてすみません!」
ルミオが深く頭を下げた。
「いや、良いのじゃよ。続けてくれ」
「はい。ある日、急に後ろから頭を打たれて僕は気を失い、目が覚めたら奴隷を運ぶ船に乗せられていたんです」
ハルシウスはルミオの情報の足りないおおざっぱな説明に少し目を細めたが、ルミオは止まることなく続けた。
「目が覚めたら僕を打った人はおらずあのおじさんと他の奴隷の子達が居て、皆と船で一か月を過ごしてこの町まで来ました」
「そういうことじゃったか。それで一番話したいことはなんじゃ?」
ルミオはごくりと唾をのむ。
「……奴隷になる覚悟は船の中で自分に言い聞かせ続けて来たので充分です。でもお願いです、一度で良いから僕を故郷に戻らせてくれませんか? 村の皆が心配なんです」
ハルシウスは唖然としていたが、我に返りぽんと手を叩いた。
「わしが男を探してると言ったな。そやつはその槍に刻まれた刻印と同じものの入った大剣を振るっておった。わしの探しとる男のこともそこに行けば分かるやもしれん。連れて行ってやろう!」
ルミオは一気に顔を明るくした。
「本当ですか、ハルさん⁉」
「もちろんじゃ。この魔王さま、もといハルさんに二言は無い!!」
ハルサウスはえっへんと胸を叩く。
「ありがとうございます! よろしくお願いします」
ルミオは安心したのかふうと息をついた。初めの怯えた顔はもうどこにも無い。そして思い出したようにハッとなり、姿勢を正して尋ねる。
「それで僕は奴隷として何をすれば良いんでしょうか?」
ハルシウスも思い出し、二人で考える。暫くうーんと頭を捻ったが、諦めた様な顔をして答えた。
「特にして欲しいことは今は思いつかんのじゃ……しかしじゃな、ルミオよ。わしはその、お金が無い。じゃからそこはな?……」
顔を赤らめて途切れ途切れに言うハルシウスを見てルミオは暫く口を開けていたが意味が分かると笑顔になる。
「ふふっ。もちろん僕は買ってもらった身ですので、一生懸命働きます!」
「それは良かった! では早速ですまぬが今日から野宿じゃ。よろしくな、ルミオ」
ハルシウスが手を差し出す。
「こちらこそ宜しくお願いします、ハルシウスさん」
こうして二人の一日目が終わった。